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毎日じゃないけど時々死にたくなる女

毎日死にたいって考えるほど病んではいない。でも時々ずーん、て不意に深淵に突き落とされるみたいに「死にたい」って思う。私は家族もいるし、食いっぱぐれるような経験もしていないし、大災害に遭ったり大病を患った経験もない。トラウマのようなものもないのに、なぜときおり死にたいと考えるのだろうか。むしろそういう経験がないから生きる事にも死ぬことにも怠惰なのかもしれない。しかも結構な頻度で死にたい。なんなら、常に少しは死にたいという考えにとらわれていて、時折それが強くなるから今こうして書いている。幻覚が見えたり、奇声をあげたり、体調が悪い事もないから精神病でもない。単純に生きることに怠惰で甘えていると言われればそれまでだ。

多分死にたいって思っているだけで、死ぬことはまだない。だって痛そうだし、苦しそうだし、死んだあとどうなるか分からないから。つまり本当は死にたいんじゃなくて救われたいのかも。私は中途半端な生き物で、大病を患ったことはないけど、側彎症っていう大変つまらない病気を小さい時から抱えている。簡単にいうと背骨が曲がる病気で、ひどくなると肺を圧迫して呼吸しにくくなったり、歩行困難になったりと生活に支障が出ることもあるらしいが、比較的「死」には遠い病気だ。ただ、私は曲がる角度が中でも結構ひどい方で、昔から背中にかなり大きなこぶがあるし、立ち姿も体がねじれているように見える。服を着ていればカバーできるから普通に街を歩いている限りでは気づかれることはないが、友達が時折背中に触れたときなどに肩甲骨が出っぱっていると指摘されることがよくある。

私はその時の友達の顔の変化がとても嫌いだ。なんとも言い難い驚いたような、奇妙なものを感じ取った時の表情で、私はその瞬間に「ああ、バレた」と何も悪い事をしていないのに何か悪いことをしたような居たたまれない気持ちになる。

死にたいことと、この側彎症という病気が自分の中で絡み合っているような気がするから書いてみたけど、じゃあ仮に側彎症じゃなかったら今は晴れやかに生きているのだろうかと考えたら分からない。

ただ女にとって見た目の不自由というのは、その人にしか分からない苦痛があるということは確かだ。裸になった時の身体に自信がないからセックスの経験もないし、恋愛に積極的にもなれない。劣等感の塊だ。例えば女性は、自暴自棄になって出会い系で知らない人とヤッちゃった、とかいう人もいるが、私にとってはそういう自暴自棄になり方があることがすでに羨ましいような気がしている。他人と自分を比べるのは嫌いなのに、こういう感覚が芽生えてしまっていつも苦しい。私は私だけの幸せが欲しい。誰かと比べることがない、私だけが素晴らしいと思えるものを見つけたい。

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