教育という趣味
私のしたいことは何かシリーズ、4つ目。
これまでの時系列的な話から少し変わった切り口で。
教育と趣味という単語から、何を想像するだろう?
言葉やその語感、使い方はそれぞれだし、
だからと言って特別なことを書くわけではないが、
私の生き方を示すにはこれがいいだろう。
〇教育に対する認識
この記事のタイトルを見て、
不気味に思った人はいるのではないだろうか?
教育について何をどう考えているのかはわからないが、
気楽に臨んではいけないような、間違いが許されないような、
そんな崇高なイメージと、
趣味と言う言葉の安易さに不快になったかもしれない。
教育という言葉や概念について、
現代のあらゆる国や文化において、かどうかまではわからないが
関心を全く持たない人はそれほどいないだろう。
日本で言えば、現代人のおそらくほとんどが学校に行ったことがあるし、
学校に行かなくなっても、仕事だったり家庭だったり人付き合いだったり
の中で『教育』という概念と隣り合わせになることはあるだろう。
学校での思い出や記憶についても、その良し悪しに関わらず
自分の考え方や生き方を大きく左右された人も多くいると思う。
おそらく教育についてのイメージや概念は、
よりよい仕事をするためや、よりよい人生を過ごしていくために
価値がある(べき)ものだと言うことだろう。
〇趣味という認識
おそらく不気味に感じた人との認識の違いはここにある。
趣味、という単語をgoogleで検索すると、
次のように(一部抜粋)出てきた。
『1.
専門としてでなく、楽しみとして愛好する事柄。
2.
物事から感じ取られるおもむき。味わい。情趣。
「―のある絵」。物事の味わいを感じ取る能力。
(それに基づく)好み。』
どちらもああ、そんな意味があるなぁと言うくらいの感じだが、
どちらかと言えば、
1のほうがより日常的に使う意味に近い場合が多いだろう。
そして、おそらく私が言おうとしている意味は、
『趣味が合う・合わない』とか、『趣味が悪い』とか、
そういう時に使う『趣味』のような気がする。
それはおそらく、上で言うところの1の意味において、
同じ趣味を持っているとか、その趣味はダメだとか、と言う意味ではない。
2の意味においての特に最後の、
『(それに基づく)好み。』の部分になるのだろう。
それに沿って書いてみるならば、
「教育に味わいが感じられ、それを好みとしている。」
という感じだろうか。
こう書くと、不気味な感じは薄れると思う。思いたい。
〇趣味という生き方
世の中にはいろいろな生き方があるだろうが、
私は好きなことでなければ基本的にやりたがらない。
例えばお金がたくさん儲かるとか、有名人に会えるとか、
そういうことにはそれほど価値を見出さない。
なんらかの責任を負わされる場合もあるだろうが、
そう言った場合も自分なりのやりがいが見つかるまでは
中々熱がこもらず、作業的になってしまう。
なので、ある行為や考え事についてそれが趣味であるということは、
私にとって十分熱を入れてやる価値がある、という意味である。
と同時に、おそらく止められても
それに熱を注いでしまうという意味でもある。
趣味人、なんて言葉もあるが、まあそれに近いだろう。
なので、タイトルの「教育という趣味」とは、
そう言ったことだと思ってもらいたい。
〇『教育』を『趣味』だと認識させるモト
1年ほど前に、YouTubeで行われたとあるライブ配信を例に挙げたい。
(私はアーカイブを見ただけだが。)
ご存じの方もいるかもしれないが、
あるVTuber(グウェル・オス・ガール さん)が
あるVTuber(魔界ノりりむ さん)に、
積分を解けるようになるまで教えるという個人授業の配信だ。
VTuber文化が受け付けない人もいるかもしれないが、
動画を貼っておいたので興味が湧いた人は見てもらうといいかもしれない。
ただし、少し長いのでそのつもりで。
簡単に様子を説明しておくと、
授業開始時の魔界ノりりむさん(授業を受けている方)は、
微分も積分も聞いたことがない、
xとyの使い方もわからない、
約分もわからない、
と言った感じ。
8時間ほど連続で行われたこの配信は、
最後は定積分の問題を解くところまで達成された。
この8時間の中には、
できないことをできるようになったり、
新しいことに気づいたり、
自分の閃きを使って理解したり挑戦したり、
そのために一生懸命考えたり取り組んだりしている
といった様子が詰まっている。
そういう時間を過ごしている人の傍にいると、
傍にいる人も心を揺さぶられたり、応援したくなったりする。
このアーカイブを見たから私の認識ができたとか変わった
ということではない。
ただ、グウェルさん(教えている方)の様子や
アーカイブのチャット欄を見ていると、
私と同じような人がこのライブ配信にはたくさんいるようだったので、
伝わりやすいかと思って例に挙げさせてもらった。
教えている形態は違うが、
私が多分『教育』を『趣味』だと認識しているのは、
こういうものを見てきたからだろうし、見ていたいからだろう。
そのために授業の中に自分で考えたり試行錯誤したりする時間をつくり、
活動を用意してそれを見守る。
時間はかかるかもしれないが、少しずつ育っていく。
そうなっていけるように活動づくりをし、
授業をデザインするのが何よりも楽しい。
自分がすることのない授業でも
気がついたら活動づくりをし始めてしまっている。
こういった意味で、これはもう趣味でしかない。
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