会話で自分の心を確かめる
「私さぁ、やっぱAOやめとこーと思うねんなぁ」
長女は別の学部のAO入試に落ちた。違う学部はまだあるらしい。でも学部が違うと提出する書類が違い、普段から文章を書き慣れていない長女は自己推薦書や小論文書くことが不安らしい。
そーなの?何でもやってみたらええやん
と呑気に言う私に
「でもな、そこにかけてる時間で成績下がるかもしれんやん。前もな、AOの準備してる時、模試の成績下がってん。だから、やっぱ普通入試目指した方がええんかなと思って」
そう思うならそれでいい。だけど、そこであっさり答えるとまた納得しない長女。
とりあえず、適当にやってみたら?あかんかったらあかんかったでー
「いや、やるんやったらちゃんとせなあかんやろ。だってその書類で合格かどうか決まるんやで」
まーそーかもしれない。だけど、どっちでもいいなら別に適当に受ければええやんと思うこれまた適当な私。ちゃんとしたい長女にはこの適当さが納得いかないらしい。
そもそもどうしてその大学に行きたいのか。その先何をするのか、そんな事も聞いてみた。
「そんなん今から決められへんやろ。やりたい事はこれから決める。」
だったらどこでもいいんじゃないか。どこに行ってもゴールは一緒だと私は思っている。
私たちはああすれば良かった、こうすればよかったと後悔する事があるかもしれない。
だけど、すでにゴールはどうなるか決まっているように私は思う。遠回りするか最短でたどり着くかはわからない。しかし、自分の人生は何をしようとある方向に向かっているのではないか。そんなことを思っている。
だから長女も何を選択しようが、きっとよりよい人生になる。そんな話をしたら
「もー私、お母さんのせいで機嫌悪くなった。」
あらら、そんな事言われちゃったよ。
だいたい長女は私と同じで自分が大好きだ。人にどう思う?と意見を聞くが、最終的には意見を聞いても参考にはしない。いつも自分の中で答えは決まっている。
そんな様子を見ていると
"聞かなくていいじゃん"
と毎度思う私である。しかし、このやりとりが大切なのだとも思う。人と会話をすることで自分の心がどのように揺れ動くか、すんなり入ってくるか、何だか心がザワザワするのか。そんなことをやりとりの中で確かめているのではないだろうか。
18歳の長女。改めて考えるとこうやって色んな話を私にしてくれる事は幸せなんだと思う。そんなやりとりができる関係性が出来ていることが嬉しい。改めてそう思った。
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