20~21世紀に何が変わったか【ESG投資/経営の歴史】

20~21世紀に何が変わったか【ESG投資/経営の歴史】

つちつゆ

 2018~2019年あたりから、「ESG(環境・社会・企業統治)」や「サステナブル経営」といった言葉を聞く頻度が急激に増えた気がします。

 ある程度以上の年齢の方で金融やIR(投資家向け広報)に携わっている方はご存知だと思いますが、10年以上前から企業の社会的責任(CSR)という概念があり、責任投資原則(PRI)や社会的責任投資(SRI)というものもありました。が、この10年くらいで、あらためて「ESG」「サステナブル」「SDGs」ブームになっています

 個人的に、こういう流行りものの過去や歴史を調べるのが好きなので、色々と調べていった内容をまとめていきたいと思います。

リーマンショック、ハーバード、ポーター

 なぜ、この10年くらいに急激にブームになってるのか。というのを、めちゃくちゃESG投資に詳しい知り合い(プロ)に聞いてみたところ、

まず、ハーバード大学が諸悪の根源。ハーバードのビジネススクールで教育を受けたエリートが金融機関で利益至上主義に走り、2008年のリーマンショックが発生したため、合理主義的な教育内容そのものに疑いの目が向いた。そこで、ハーバードはknowing(知識)、doing(実践)、being(価値観、信念)とか言い出したり、マイケル・ポーターが「CSV経営」とか言い出したりして、教え子が社会に巣立ったあたりから、「ESG投資」やESGを考慮した「サステナブル経営」が加速度的に流行した。

 ということらしい。ほへー、とネットで調べてみると、確かに2011年、ハーバードのマイケル・ポーター教授(マーケティング論で日本でも超有名な先生)とマーク・クラマー教授が「CSV: Creating Shared Value(共通価値の創造)」という、社会価値と経済価値の両立を目指すことが長期的な競争優位や企業価値の向上につながるという考えを提唱しています(※1)。

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出所:奥村(2014)

 CSVのポイントは、遠藤(2017)を引用すると、

CSV の考え方は、既存の経営戦略論が環境や社会問題を経済活動の外部要素(外部不経済)としていたのに対し、それらを内部化し企業競争力強化に繋げようとするものであり、ビジネスモデルの革新的な転換を意味している。

です。つまり、環境や地域社会と共存した上で企業を存続させ利益を拡大していくという、単なる慈善活動ではない戦略的な「サステナブル経営」の考え方であり、営利企業が導入しやすい概念であることが分かります。

SDGsの登場

 もう一つは、2015年に国連がSDGs(持続可能な開発目標)を2030年に向けた国際目標に定めたことがあります。

 SDGsには、2001年に採択された前身のMDGs(ミレニアム開発目標:Millennium Development Goals)というのがありますが、こちらは実は成功したとは言えません。朝日新聞のこちらの特集記事から引用すれば、

MDGsの実施期間中、課題として指摘されたことがいくつかある。その一つが、地球から貧困をなくすという課題設定から、達成を求められたのは開発途上国であり、先進国が必ずしも「自分事」として捉えていなかったのではないか、という疑問、あるいは途上国から寄せられた不信だ。

ということです。

 途上国任せだったことから失敗したMDGsに比べると、SDGsは発展途上国、先進国を問わず解決すべき課題を明示しているので、日本に住む我々の耳にも入ってきやすくなったのでしょう。

 実際、国連がSDGsを採択した2015年、日本最大の機関投資家である年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がPRI(責任投資原則)に署名。その後、署名機関投資家の数の伸びは加速しています。

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出所:PRI

 企業側も、日本経済団体連合会(経団連)が2017年11月に企業行動憲章を改訂し、PRIで整理されているESG要因に配慮した経営を推進することを明記しました。

 ここまでの話をまとめます。リーマンショックによるエリート層(というよりはエリート層を養成するビジネス士官学校=ビジネススクール)の方針転換により、環境や社会と共存した利益拡大という戦略的な「サステナブル経営」の考え方が広がるなか、MDGsの反省点を踏まえた国際目標=SDGsが設定されたことで、PRIへの署名投資家数が増加、投資を受ける側の企業の行動にも変化を促している、という流れなのでしょう。これが、現在の「ESG投資」「サステナブル経営」ブームの背景と言えます。

前史としてのCSRとSRI

 さて、足元のブームの背景は見えてきました。次は、ブームの下地となっている、2000年代前半にかけて日本で盛り上がったCSRやSRIの議論を見ていきましょう。松村(2006)に興味深いデータ(以下、図表1、3)が載っています。

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 日経テレコンという新聞記事のデータベースから、SRIやCSRについて掲載された記事数を集計した表です。CSRについては1980年代後半から、SRIについては2000年代前半に、急速に議論が盛り上がっていることが分かります。

 この時期に何が起こったのか。それは、「持続可能性=サステナビリティ」という言葉が世界的に広がるタイミングの到来です。以下、夫馬(2020)の記述を参考に、説明します。

 1992年に、ブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議(地球サミット)が開催され、「リオ宣言」「アジェンダ21」「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」など多くの条約、宣言が採択されました。この地球サミットで、「持続可能な開発」という概念が強く提唱され、今に至る「サステナブル(持続可能な)」「サステナビリティ(持続可能性)」という単語が世界的に広がることになります。

 これと前後して、1991年に経団連が「経団連地球環境憲章」を制定し、産業界に自主的な環境への取り組みを促しました。続いて1992年には通商産業省(現・経済産業省)が企業に自主的に環境に関する実績データを公表するよう呼び掛けた(ボランタリープラン)ほか、1997年には環境庁(現・環境省)が「環境報告書作成ガイドライン」を策定し、大企業が環境報告書を毎年発行する慣習が生まれました。

 この流れのなかで、CSRは「社会貢献活動」「環境報告」「法令順守」の3つを指す言葉であることがほぼ固まり、1990年代から2000年代にかけてのCSRブームが訪れます。

 さらに、1999年の日興アセットマネジメントの「日興エコファンド」を皮切りに、大手の国内運用会社でSRIファンドやエコファンドを設定する動きが相次ぎました(※2)。SRIブームも到来しました。

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出所:松村(2006)

 ただ、CSRとSRIのブームは、日本国内ではいったん沈静化します。2001年にITバブル崩壊が株式市場を遅い、2004年にかけて日本の株式市場は低迷。SRIファンドやエコファンドは、管理費用=コストが相対的にかさむにも関わらず投資パフォーマンスがパッとしない時期が訪れ、SRIブームは去ることになりました。また、国際政治や政府、経団連という外部のプレッシャーにより形成され、利益を蝕むだけの活動でしかなかったCSRは、本質的には経営陣の関心を集めることはなかっといいます(※3)。

 さて、こういう下地があったんだね、で終わってもいいのですが、もう少し、歴史を紐解いていきたいというのが、この記事の主旨です。ここまでくると、CSRとSRIの概念の発端はどこか、という好奇心も出てきます。

CSRとSRIの現代史――アパルトヘイト反対運動

 先ほどの知り合いに、もっと歴史を調べたいというと、「これ読んどけ」と一冊の本を紹介されました。エイミー・ドミニ(2002)です。木鐸社ってまた渋い出版社から出ていますね。

 この本によれば、それまで信仰や倫理の視点から存在していた特定分野(タバコ、アルコール、ギャンブル、ポルノ等)への投資忌避の概念(※4)が、より具体的な社会的要請へと変化していった一つのきっかけは、1975年まで続いた「ベトナム戦争」だったといいます。

 ベトナム戦争は、企業の利益が人類の恐ろしい苦しみを犠牲にしてもたらされている事実を際立たせた。ほとんどのアメリカ人は背中に負った火傷に叫びながらカメラに向かつて走っていた裸の少女の写真を見たときのショックを記憶しているであろう。その写真はアメリカが村にナパーム弾を投下した少し後の1972年の6月に撮られたものである。大衆の怒りはダウ・ケミカルに集中し,全国規模で抗議運動が組織された。どんな化け物がそんなものを製造して売っているのだと。

 同時期に、海洋生物学者レイチェル・カーソンが1962年に発表した『沈黙の春』では、殺虫剤の使用による自然破壊が脚光を浴び、1979年にはスリーマイル島の原子力発電所の事故があり、原子力技術の安全性に強い疑念が生じていました。

 環境への意識が社会的に高まりつつあるなかで、ベトナム戦争は企業行動に強い批判のまなざしを向けるきっかけとなり、意識の高い人々は企業行動に働きかける手段を探すようになります。そこで、彼らは社会における企業の果たすべき役割、つまりCSRについて争う場所として、企業の年次株主総会を意識するようになりました。

 また、CSRを訴える活動が現実を動かしうることを具体的に証明したのが、南アフリカの「アパルトヘイト」(黒人隔離政策)問題です。これについては、現代のESGやサステナブル経営といった概念へと続く一大画期と言えるので、少し細かく経緯を追います。

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 米国では一部の信仰集団が、アパルトヘイトを支える米国企業の行動を変えるため、株主総会に働きかける手段を採用しました。1971年に米国の英国国教会の流れをくむエビスコパル派の主教であったジョン・ハインズ師は、米国内における最大の雇用主であり、南アフリカにおける米国企業のうち最大でもあったゼネラル・モーターズ(GM)の年次株主総会に出席し、南アフリカから撤退することを求めたのです。

 株主投票では負けたものの、GMの新任の取締役であるレオン・サリバン牧師はこの問題に大いに興味を持ちました。GMは社会的責任に関する批判キャンペーンを受けて、1970年に公民権活動家のサリバンを役員に選任していました。彼は1977年、後に「サリバン原則」として知られる、南アフリカでビジネスをする際の行動基準を創設しました。サリバン原則は、人種差別をしていないこと、公明・公平な雇用慣行、賃金平等、統一的教育プログラム、非白人の管理監督者の増加、全ての従業員の生活状況の質的改善などについて、毎年、詳細な報告を提出するように求めるものです。

 1980年代には、米国の州や市といった自治体が、南アフリカで操業する企業の商品やサービスの購買を拒否し始め、大学や信仰集団、年金基金は南アフリカで事業をする企業の株への投資を引き揚げるようになりました。多くの教派は英国国教会に同調し、企業に南アフリカでの活動を回避するか、少なくともサリバン原則に署名するよう求めました。国家の姿勢も変わり始め、通常の貿易制裁に加えて、米国、欧州(当時はEC)、英国はこぞって1986年には南アフリカヘの新規投資を禁止しました。

 結果、南アフリカヘの資本流入は劇的に減少しました。1986年には景気の見通しが暗くなったこともあり、南アフリカで75%を雇用する企業グループがアパルトヘイト撤廃を要求する企業憲章を作成しました。CSRの議論が、お金の流れを大きく変え、企業の行動を変容させたのです。

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出所:エイミー・ドミニ(2002)

 CSRに対する社会の認識が大きく変わり、実際に国際的なお金の流れに影響を与え、社会を変える原動力になりうることを証明したといえます。

 有力な投資家である学校の基金や年金基金の理事会で、南アフリカ問題についてどのような立場をとるかについて議論が繰り返され、CSRについても真剣に検討されることになりました。自分たち、株主以外のステークホルダー(利害関係者)ヘの企業活動の影響を考慮した「責任ある投資」、つまりSRIの時代が到来したといえるでしょう。(なお、1980年代前半までには、アパルトヘイトだけでなく、アルコール、タバコ、ギャンブル、原子力発電、兵器に関連する事業を手掛ける米国企業への投資を避ける動きが出てくるようになりました)

 このように、アパルトヘイト反対運動を通じて、CSRとSRIの概念は形成されていったと言えます。

 ここから得られる教訓は何でしょうか。それは、企業の影響力について立証し、それを社会に知らせ、投資家を通じて企業の行動変容を促すために「データ」が必要であったことだと思います。そして、その先駆けが「サリバン原則」だったのです。エイミー・ドミニは以下のように語っています。

 (サリバン原則のように)企業の影響力を追跡調査する確固たる情報源を使 うことによって、企業の社会的責任についての調査は今日まで支えられている。(中略)データの収集により事実が明らかになり、行動につながる。それこそが南アフリカ問題が世界に教えたものであった。

まとめ

 ESGやサステナブル経営につながる歴史を、現代から過去にさかのぼるように説明してきました。最後にまとめとして、逆、つまり過去から現代への時系列順に整理しておきます。 

 1970年代前半まで続いたベトナム戦争が、一般大衆に対して、企業活動への批判的視点を醸成しました。米国の志ある人々は、現代資本主義の要である株主会社制度を利用することで、具体的には株主総会という場を利用することで、企業の行動を変容させることを考え始めます。

 1980年代には実際に、南アフリカのアパルトヘイトという人類史上を見ても悲惨な政策を、資本主義=株式会社制度をツールとして使うことにより変えることができました。その手段は、極めてシンプルです。

・企業活動の実態、社会影響についての情報開示を制度的に働きかける

・開示された情報に基づき、投資家の行動に訴えかけ、お金の流れを変える

 加えて、1980年代には、CSRやSRIの概念が形成され、アパルトヘイトだけでなく、アルコール、タバコ、ギャンブル、原子力発電、兵器、といった分野への投資を避ける動きも出てきました。

 日本でも、CSRについては1990年代から議論が盛り上がり、SRIについても2000年代前半には運用会社が関連ファンドを立ち上げるまでに、議論が浸透するようになりました。

 2000年代は、新興国投資ブームや証券化商品ブームもあって、世界的に利潤至上主義的な思考もビジネスエリートに根強く存在していました(前の記事で説明したフリードマンの影響もあり)が、2008年のリーマンショックを受けて、大きく変化します。エリート養成学校である米ビジネススクール(の名物教授)の方針が転換。さらに、2015年にはSDGsの設定により、PRIへの署名機関数が増加していきます。この流れのなかで、2017年には日本の経団連の企業行動憲章にESGに配慮したサステナブルな経営の推進が盛り込まれるようになり、ここ数年のブームにつながっているというわけです。


※1:CSVの起源については諸説あり、奥村(2014)によると、ポーター教授は2006年に「競争優位のCSR戦略」という論文を発表しており、その論文にCSV概念の萌芽があったとされています。また、夫馬(2020)によればスイスのネスレが2008年からCSR報告書の名称としてCSVを打ち出しており、ポーターはこれをコピーしたという意見もあります。とはいえ、ここでは、超有名教授のポーターが持論として、CSVの概念を生徒に伝え始めたという点が重要です。

※2:企業年金運用において、SRIファンドがエリサ法上の受託者責任に違反しないかどうかは、1976年創業の米カルバートが労働省に確認し、「同様の投資リスクがある他の投資ファンドと同じ程度の投資リターンが提供できるのであれば受託者責任に反しない」という回答を得ています。これが、一部の公的年金でSRIファンドを採用する動きにつながります。夫馬(2020)参照。

※3:日本のCSR研究者の間では、日本で最初にCSRが提唱されたのは、1956年の経済同友会の決議「経営者の社会的責任の自覚と実践」であるという共通理解があるものの、この決議はその後、顧みられることはなかったそうです。というのも、経済的利益と社会影響は相反し、利益よりも社会的インパクトを重視すべきという、脱資本主義的な内容となっていたからです。高度経済成長期を迎えた日本で、利益を重視しない経営という概念は、しっくりくるものではなかったようです。夫馬(2020)参照。

※4:1920年に米国で導入された禁酒法を受け、この時代、キリスト教財団の間で、アルコール企業に対する投資を控える動きが広がりました。1920年代には、キリスト教の教義に反するタバコやギャンブル、ポルノへの投資回避の動きも現れました。キリスト教財団は寄付金なので、信託でも年金でもなく、受託者責任の制約がないため、比較的自由に特定分野を投資対象から外す動きが通用したといいます。夫馬(2020)参照。

<参考文献>
奥村剛志(2014)「共通価値の創造(CSV:Creating Shared Value)」『トーマツ 企業リスク』85

遠藤直見(2017)「グローバルな CSR の潮流とサステナブルな価値創造経営についての考察 ――「サステナブルな価値創造経営モデル」の提言」『企業と社会フォーラム学会誌』第6号

松村勝弘(2006)「わが国における社会的責任投資(SRI)論議の問題点とその普及に必要なもの」『立命館経営学紀要』第44巻

エイミー・ドミニ著、山本利明訳(2002)『社会的責任投資』木鐸社

夫馬賢治(2020)『ESG思考 激変資本主義1990-2020、経営者も投資家もここまで変わった』講談社

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