見出し画像

丁寧に蒸発させていくこと

今日は、保健師さんに話を聞いてもらったおかげで、だいぶ安定して過ごせています。

話を聞いてくれる人がいるということは、その人を思い浮かべるだけで、心が整ったり呼吸がしやすくなったりします。私にとっての「聞いてくれる人」とは、「私が私の表現で話すことができて、興味深く耳を傾けてくれて、否定以外の形で言葉を返してくれる人」です。

こういう相手は、専門家であれば数名思い浮かびますが、それ以外だと…少なくとも病前の私には一人もいませんでした。今、一人だけ、もしかしたら無理なく会話ができるかもしれない友人がいて、会いたいなーと連絡したら、年明けに会う約束ができました。半年以上ぶりかな。私が私でいるための行動の中で、この約束には足し算の要素があると思います。

今日、引き算の要素がある行動をしました。それは、行く気分になれない誘いを断ること。

だいぶ前に誘ってもらった集まりが明後日に迫っていましたが、いくつかの理由で欠席の連絡をしました。人数が10人くらいと多いこと、みなさん普段会わない人たちなので気を遣うこと、苦手な人が含まれていること、など。

この集まりのことを考えると不安定になるので、なぜ行きたくないんだろう?と自分に聞く作業をしました。その作業を丁寧にしていくうちに、断ることへの罪悪感と、どうしても行くのは難しいんだという苦しい気持ちが、互いに手を繋いで私を納得させてくれました。

「風邪を引いた」「急用ができた」などの言葉を使おうかとも思いました。自分の素直な気持ちを見せる勇気もないし、変な波風が立つのもこわかったからです。

だけどそうすると、せっかくの自分との対話が消化不良を起こしてしまう。苦しみが行き場を失って蓄積してしまう。それを痛いほど経験しているので、「誘ってもらった明後日の集まりなんですが、私の体調がすぐれないので欠席しようと思います。体調というか、心理的な面なのですが、大勢の集まりに行く元気が出せませんでした…」と送信することができました。また元気な時に遊びましょう、と返事をもらい、苦しみが蒸発して消えていくのを感じました。

蒸発、うーん、もっとしっくりくる表現がないかなーと考えを巡らせたのですが、今は思いつきません。語彙を増やしたい。そして考えを巡らせ続けたい。

とことん考え抜くことは、丁寧に生きることに繋がる。私にとって、消化不良を防ぐために必要不可欠なことのようです。

今年も、来年も、ずっと先まで、私は私のままで生きていきたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?