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自衛隊中央病院で治療、ドイツ人夫婦から届いた感謝の手紙

今年3月。一通の手紙が届きました。

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陸上自衛隊 湯浅悟郎 陸上幕僚長様

私たち夫婦はクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」で新型コロナウイルスに感染し自衛隊中央病院で治療を受けました。


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私たちの治療にあたってくれた全ての日本の関係者に心からの感謝を申し上げます。特に医療チームには感謝しております。医師のプロ意識と親身な対応は決して忘れません。自衛隊中央病院で治療を受けることができたのは、幸運でした。


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手紙を書いた、ペーター・ヤンセンさん(75)、メリー・オニールさん(55)夫妻です。

ペーターさんの75歳の誕生日を祝うため、クルーズ船に乗った夫妻。しかし・・・

ペーターさん:
船室が桟橋側だったので、駐車場がよく見えました。毎日、救急車の台数が増えていくのがわかりました。どんどん増えていました。

メリーさん:
(救急車が来たので)たしかに不安になりました。でもその運命を受け入れなくてはならないのだと思っていました。悲しいけれど、運命は運命ですから。

情報を得るため、メリーさんは、船内のアメリカ人やイギリス人などと無料アプリを使ったグループを作り、情報交換を行いました。

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Q.どんな情報交換をしていたのですか。

メリーさん:
食べ物、食べ物!食事のメニューは?何時に届いたの?インターネットにアクセスできた?そして、お互いの体調について。「元気?みんな生きてる?」って。全員考えたことは同じでした。みな、この運命を受け入れようと。辛抱強く、きたる運命を待とう。そういう気持ちでした。

ペーターさん:
感染力が高い病気だと言うことは理解していました。武漢で何が起きているか、知っていましたから。奇妙に聞こえるかも知れませんが、船にとどまるように日本政府が決めて、よかったという感情もあったんです。もし、全員が下船し、世界中に飛行機で帰国していたら、どれほど世界中に感染が広がっていたことでしょうか。船にとどまることが正しい判断だったのです。

船内ではBBCやオーストラリアの放送から情報を得ていたといいます。

横浜港に停泊してから12日後。2人とも陽性と判定され、翌朝、自衛隊のバスで自衛隊中央病院に移されました。

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メリーさん:
味や匂いがしないというのは確かにあったんです。ただし特に気にもならなかったし、人にも言いませんでした。船のエアコンのせいかなと考えた程度でした。あとになって、それが新型コロナウイルスの症状なんだとわかりました。

当時、自衛隊中央病院ではダイヤモンドプリンセスの乗客、128人を受け入れていました。うち、およそ半数の67人が外国人でした。自衛隊中央病院では、外国人の患者に対し、通訳を行う自衛官を用意し、対応しました。

外国で病気になることについて、不安はなかったのでしょうか?

ペーターさん:
日本だから不安はなかったですよ。大丈夫だと思いました。

メリーさん:
CTで、肺に影があると言われて驚きました。少し心配にはなりました。だって咳も出てなかったのですから。

ペーターさん:
医官も看護官も説明を尽くしてくれたので、落ち着いて過ごせました。非常に専門的でプロフェッショナルな仕事ぶりでした。医官がいてくれたことが最大の幸運でした。英語も上手で、非常に丁寧に説明を尽くしてくれました。医師としての能力、人としての魅力が、チームに反映されていました。とてもいい雰囲気でした。

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メリーさん:
これ(折り紙)は看護官が作ってくれたんですよ。私たちにプレゼントしてくれたんです。ほかの患者さんと「日本のこの病院にいられて私たちはなんて幸運なんだろう」と言い合いました。それでお礼の手紙を書くことになったのです。


自衛隊中央病院とは

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夫妻が入院した自衛隊中央病院。「ダイヤモンドプリンセス」の陽性患者などこれまで220人を受け入れていますが、院内感染はゼロ。どのように院内感染を防いでいるのでしょうか。

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「ここは二重扉になっていて、中が陰圧になっています」(自衛隊中央病院 清家尚子 8西病棟看護師長)

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症状が重い患者が入院しているエリア。このときも8人が入院していました。

Q.一番気をつけていることは。

「個人防護衣の装着の徹底と看護の質を落とさないこと。防護衣を着ての看護は体力的にかなり消耗して、集中力も無くなるのでそういうことがないように。」(自衛隊中央病院 清家尚子 8西病棟看護師長)

内側に危険区域と安全区域を分ける「ホットゾーンライン」を指定。ゴーグルやマスクがなければ中に入れません。院内感染防止のため、区分けを徹底する仕組みです。

定期的にスタッフを交代させ、休養させるなど勤務態勢にも配慮していますが、忙しい時は連続して5、6時間、陰圧室に入り続けることもあるということです。

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「一番大切にしていることは基本を守る。それを続けることです。それが現在まで院内感染を起こしていない原因の一つだと思います。」(自衛隊中央病院 上部泰秀 院長)

自衛隊中央病院では、鏡を見ながら防護衣を着る訓練を自衛官一人一人に徹底しています。

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特に、脱ぐときにいかにウイルスを拡散させないかがポイントだということで何度も手を消毒しながら防護衣を脱ぐ様子が報道陣に公開されました。


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夫妻からの手紙のことは、4月24日に行われた日独防衛相電話会談でも取り上げられました。河野太郎防衛大臣からは、手紙に対する感謝が、そして、クランプ=カレンバウアー大臣からは自衛隊の対応に関する感謝が示されたと言うことです。

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「ダイヤモンドプリンセス」での日本政府の対応は、当時、国際的に批判を浴びました。これについてはどう考えているのでしょうか。

ペーターさん:
あれ以外にやりようはなかったと思います。今の世界の状態を見ると、あの時点で制御するのがどれほど難しかったのかわかりますよね。世界のどこの国も、3700人を隔離する状況を体験した国などなかったのですから。だれもやったことのないことだったのです。全員を船内で隔離する。それが唯一の方法だったと思います。

自衛隊中央病院で治療にあたってくれた医官看護官全員の名前を挙げて、感謝の気持ちを伝えた夫妻。

メリーさん:
生きることにはリスクが伴います。そうでない人生などあり得ません。

ペーターさん:
2人一緒にいられたことが本当に幸運でした。辛いときも2人一緒に乗り越えられました。


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「もう一度クルーズ船に乗って旅がしたいですか?」と最後に尋ねてみました。

ペーターさん:絶対乗りたいですね。もう一度日本に行きたいと強く願っています。

メリーさん:まずは東京ね。

ペーターさん:そうだね。東京を見ないとね。

メリーさん:東京を見ていませんから。

ペーターさん:病院の窓から東京は確かによく見えましたが、残念ながら窓からしか東京を見ることができませんでしたから。



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立山さん

取材:立山 芽以子 記者  (防衛省担当)

1997年入社。政治部、社会部、「news23」ディレクターなどを経て現職。最近の作品として「綾瀬はるか「戦争」を聞く」、アフリカ・コンゴの紛争を取材した「ムクウェゲ医師の闘い」など。