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〝史上最悪〟のTV討論会~本当の問題点とは?

■「史上最悪」「混沌」・・・トランプVSバイデン 第1回TV討論会

1960年9月26日。シカゴのテレビスタジオで、米大統領選史上、初のテレビ討論が行われた。候補者は、共和党のリチャード・ニクソン副大統領と民主党のジョン・F・ケネディ上院議員だった。

当時のスタジオは、司会者と候補者のみのシンプルな演出だった。よく知られている通り、この討論会は、〝最初のテレビ大統領〟と呼ばれるケネディ大統領を生むこととなった。ケネディ氏は、議論では負けたと見られたが、視聴者から「好感度」を得たと評価された。それから、ちょうど60年。今回の討論会はコロナ禍で、スタジオに入る聴衆は関係者に限られ、いわば原点に戻った形となった。だが、その内容は「好感度」を競うようなものには全くならなかった。

写真 第1回TV討論会①

「1テーマ、およそ15分。2分間は、それぞれの候補が質問に答え、残りの時間は、自由討論となります」

冒頭で、司会を務めたFOXニュースのベテラン記者そしてキャスターの、クリス・ウォレス氏は、明確に討論のルールを説明した。だが、このルールは度々無視され、双方の非難合戦に陥った。特に、トランプ大統領によるバイデン前副大統領が発言中の割り込みは頻繁に起き、ウォレス氏はこれを制止しようと何度も声を荒らげた。一方のバイデン氏も「黙ってくれないか」「嘘つき」「史上最悪の大統領だ」などと罵倒した。トランプ氏の挑発に堪えきれなかったのか、子供じみた物言いも少なくなかった。
討論会終了直後、CNNやCBSなど、スタジオにいたキャスター、コメンテーターからは、「Chaos=混沌」「most chaotic in the history=史上、最も混乱」などの言葉が相次いだ。1960年以来「史上最悪」とは辛辣だ。「大惨事だった」「最低のショーだった」と評したアンカーもいたという。ミズーリ大学の政治コミュニケーション専門、ミッチェル・マッキンニー教授に、今回の討論の何が悪かったのかを訊いた。

「トランプ氏は、大統領らしくないスタイルを討論会の舞台に持ち込みました。私たちの歴史のなかで、最も混沌とし、攻撃に満ちた大統領討論会でした。この討論会の、ほとんどの方向性は、中断、嘲り、誹謗中傷によって叩く、というトランプ氏の戦略によって決まっていました。おそらく、この討論会の最大の敗者は、90分間にわたり口論や中断を聴いた、アメリカの人々でしょう」

司会者のウォレス氏には、「発言の途中で、トランプ氏のマイクを切るべきだった」との指摘まで出た。この混乱を受けて、討論会を企画する米大統領候補討論会委員会(CPD)は、次回のテレビ討論会から秩序ある討論を行えるよう措置を講じるとした。有権者が投票にあたって、重要な判断材料となる政策論を深めるためにも、一定のルールの変更も必要だろう。
だが、問題はそれに留まらない。今回の討論会でのトランプ氏の発言には、より深刻な問題点が見えてくる。


■「独裁者のリトマス試験紙」4つの基準

米ハーバード大学のスティーブン・レビツキー教授、ダニエル・ジブラット教授による『How Democracies Die(邦訳『民主主義の死に方』)』という書がある。欧州や南米の政治制度を研究してきた2人の学者が、米国政治における民主主義の衰退を分析するなかで、「独裁者を見極めるための4つの危険な行動パターン」を導き出したと記している。
今回の討論会のトランプ大統領の発言は、このパターンを想起せざるを得ない内容が含まれている。独裁者を判定するための「リトマス試験紙」とも呼ばれる基準を一つ一つ見ていきたい。


<パターン①ゲームの民主主義的ルールを軽視する姿勢>

独裁的な政治に陥るひとつ目の兆候として、同書が示すのは、政治家が民主主義的ルールを拒否、あるいは軽視する姿勢だという。民主主義の根幹は言うまでも無く、選挙だ。この選挙制度についてトランプ大統領は、正面から正当性に疑問を投げかける。

●トランプ氏
「不正がある。多くの票が小さな川などで見つかっている。トランプと名前が書かれた投票用紙がゴミ箱から見つかることもあった。・・・これから、見たこともない不正が起きるだろう。・・・投票が終わるまで、結果が何ヶ月もわからないかもしれない」

さらにトランプ氏が郵便投票で不正が起きると言っていることを司会者が指摘し、最高裁判所による票の確認について問うと・・・。

●トランプ氏
「彼ら(最高裁判所)が票を確認することを期待している。そうあって欲しくないが。起きていることが信用できない。2016年の票の1%が無効だったという。我々は、そういうことは望まない」

不正の疑いがあれば選挙結果を受け入れない可能性も示唆したのだ。
前回のnoteでも指摘したが、トランプ大統領は遊説先の演説でも繰り返し、投票のプロセスについて民主党によって不正が起きると主張している。その根拠として挙げているのは一部で起きた小さなミスであり、これを大きく誇張して郵便投票の信頼性を貶めている。1860年以来、有力な大統領候補が民主主義の制度について、こうした疑問を投げかけたケースはトランプ氏を除き一例もないという。(『How Democracies Die』より)


<パターン②対立相手の正当性の否定>

トランプ氏は2016年の選挙戦中、当時のオバマ大統領が、ケニア生まれのイスラム教徒だと主張し「大統領の資格がない」と正当性を傷つけようとした。これに対してオバマ氏は出生証明書を公表し、全くのデマだったことが明らかになっている。
今回は、バイデン氏の、加齢による「認知能力の低下」を吹聴している。討論会の前には、根拠も示さずに「認知症」の疑いまで指摘していた。討論会では「認知症」という言葉こそ使わなかったが、こんなやりとりで示唆した。

(バイデン氏が、トランプ政権のコロナ対策を、賢く、素早く実行しなかったから死者数が多かったと指摘したことに対して)

●トランプ氏
「賢い、という言葉を使ったのか?ほう、デラウェア州に行ったと言ったな。しかし、自分の大学の名前を忘れたていたな。…クラスで、最下位か、ほぼ最下位で卒業したのに、私に、賢い、という言葉を、今後一切、使わないでくれ。今後一切、その言葉を使うな」

バイデン氏が出身大学を忘れるほど、認知能力が落ちている、と強調しているのだ。トランプ氏の応援団も、同様の主張を繰り返している。かつてはニューヨーク市長として、治安の改善や同時多発テロ事件での指揮で名声を得たルドルフ・ジュリアーニ氏。いまはトランプ氏の側近ともいえる立場だが、そのジュリアーニ氏はFOXニュースの番組で、「バイデン氏は認知症だ、疑う余地はない」などと主張している。医師による診断書などを提示するのであれば、大統領候補の資格を問う重要な問題提起になるが、根拠を示さなければ誹謗中傷を超えたデマの拡散であり、許されるべきではない。

写真 第1回TV討論会②


<パターン③暴力の許容・促進>

先の『How Democracies die』では歴史上、政党による暴力は、民主主義崩壊の前兆となることが多いとする。「暴力の許容」とは「支持者の暴力をはっきりと非難せず、懲罰を与えないことによって黙認する」という説明だ。そして今回トランプ氏は、司会者の質問に対してこんな発言をした。

●司会者
「白人至上主義者や民兵組織を、今夜非難するつもりはありますか?」

トランプ氏
「もちろん、そうする用意はある」「私が見てきたほとんどは、右翼ではなく、左翼のものだった」「なんて呼びたいんだ?名前をくれ。私に誰を非難させたいんだ」

その後、バイデン氏が「プラウドボーイズ」の名前を出すと・・・。

●トランプ氏
「プラウドボーイズよ、引き下がって、待機するように。ただ、言っておきたいのは、誰かがアンティファと左派をなんとかしないと・・・」

「プラウドボーイズ」とは、反ヘイト団体ADLによると、女性蔑視、反イスラム教、反移民を標榜する組織で、白人至上主義や反ユダヤ主義の思想を抱えるメンバーも含まれるという。構成人数は不明だが数百人規模とされ、最近ではオレゴン州ポートランドなどで人種差別への抗議デモの参加者と衝突している。また創設以来、暴力が団体の重要な構成要素となっていると指摘している。下記は、ADL制作のプラウドボーイズの説明動画。

こうした団体を、トランプ氏は非難するのではなく、「Proud Boys, stand back and stand by.」=「引き下がって、待機するように」と言ったのである。何に向けて待機しろというのか。現職大統領の発言としては極めて重大な問題と言えよう。これを受けてプラウドボーイズは、大統領から認められたと受け取ったのか、この言葉をロゴマークに挿入した。

写真 プラウドボーイズ ロゴ


さらに司会者が、選挙当日について「支持者に落ち着いて行動するよう、騒乱に参加しないよう呼びかけますか?」と質問すると、トランプ氏は「支持者には、投票所へ行き、注意深く観察するよう呼びかけている」と答えた。あえて、騒乱に参加しないことを求めなかった。
2000年の大統領選では、共和党のジョージ・W・ブッシュ氏と民主党のアル・ゴア副大統領の大接戦となった。票の読み取りに問題があったフロリダ州では票の再集計が必要になった。このなかで、ブッシュ氏支持者が集計作業の続くビルに集まり、乱入する事態が起きている。
今回は、コロナ禍で郵便投票数が大幅に増えることが予想されているが、トランプ氏が「大きな不正が起きる」主張しているため、バイデン氏勝利の場合、トランプ支持者の一部が過激な行動に出るのではないかという懸念も高まっている。


<パターン④「対立相手や批判者の市民的自由を率先して奪おうとする姿勢」>

トランプ大統領は2016年、対立候補のヒラリー・クリントン氏について、刑務所送りになるべきだと話していた。また批判するメディアのオーナーへの訴訟も辞さない姿勢も示した。そして今回の討論会では、あからさまな言動は無かったものの、執拗にバイデン氏の息子・ハンター氏について追及した。

●トランプ氏
「君の息子は、何十億円も稼いでいる。それに、気になるんだが、モスクワ元市長の妻から350万ドル(=3億7千万円)を受け取っただろう?」

バイデン親子をめぐっては、ウクライナや中国をめぐり汚職疑惑などが指摘されたが、捜査対象からは外れているとされる。バイデン氏も討論会の場で「それは事実ではない」と否定した。しかし、トランプ氏は執拗にこの件を取り上げ、あたかもバイデン氏の息子が罪を犯しているかのような印象を与えようとしていた。

以上、見てきたように、世界から注目されたテレビ討論会という場で、トランプ大統領は、4つの基準とほぼ合致するとみられる発言をしたと言っていいだろう。


■〝異論〟に耳を傾ける政治文化は?

今回の討論会で、政策に関する議論の深まりは無かった。一方的に相手を攻め、自分の言いたいことだけを言い放つ。相手の主張を正面から受け止めた反論もない。これでは「ディベート」とは言えない。トランプ氏はもちろん、バイデン氏も批判を免れないだろう。異なる意見は議論と説得で解決する、重要な課題では共通の合意点を探る、という政治文化がもはや失われているのだろうか。

写真 ペパーダイン大学公共政策学部のピート・ピーターソン学部長

ペパーダイン大学ピート・ピーターソン学部長

今回の討論会を「破綻した政治文化の表れ」と手厳しく評するペパーダイン大学公共政策学部のピート・ピーターソン学部長に、その意味するところを詳しく訊いた。

「この討論会は、政治的な所属あるいはイデオロギーが、自分のアイデンティティの主な感覚となっている米国政治において、ますます強くなっている傾向を示していると考えています。西側世界では、孤独と疎外のレベルが高まっていて、人間の所属に対する欲求が、政治に過度に集中するようになり、かつては単純な意見の相違だったものが、実際にあるゼロサムの議論に変わってしまうこともあるのです。こうした傾向は、コロナ禍で対面での接触や会話の機会がさらに減少していることから、悪化しているでしょう。イデオロギー的に対立する相手と直接会って話すよりも、ソーシャルメディアを介して払いのける方が、はるかに簡単なのです」

〝史上最悪〟だった討論会の背景にある深刻化する分断。さらにピーターソン教授は、選挙後の在り方にも懸念を示した。

「はっきりさせておきたいのは、こうした傾向は左から右へと、政治的な所属を超えて広がったということです。そしてこれらの問題は、トランプ氏だけの問題ではなく11月に誰が当選したとしても、米国の政治文化は、近い将来も悪化を続けると私は考えています」

政治家だけの問題ではない。市民が党派による「敵」「味方」を作り出し、異なる意見に耳を傾けなくなる社会は極めて危うい。そこに「独裁的なリーダー」が生まれる隙も与えてしまうだろう。今回の大統領選は、民主主義の脆弱さを映し出している。


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ニューヨーク支局長 萩原豊

社会部・「報道特集」・「筑紫哲也NEWS23」・ロンドン支局長・社会部デスク・「NEWS23」編集長・外信部デスクなどを経て現職。アフリカなど海外40ヵ国以上を取材。