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怒号が飛び交う我が家

2021年お正月、皆様いかがお過ごしでしょうか?
私は、元日から仕事始め、2日こそ休みをもらいましたが年末年始も関係なくお仕事でした。

家族も専業主婦の母と一人で起き上がることが不可能な祖母を除けば社会人で、妹はお正月休みをもらえるような職場でしたが父も元日は出勤でした。でも、テレビから飛び込んでくる浮ついた雰囲気がいつもとは違うめでたさを演出していて、なんとなく正月なんだなあ、という感覚。ただし、決して平和ではありません。

ここからは父親と価値観の合わない私の文句が続きます。

父親のコミュニケーション

祖母が食事や排泄の補助が必要であるため、要所要所で両親がつきっきりになります。主に母親がついてあげることが多いのですが、父親とやり方が違うため父親の目があるときはアドバイスと言いつつやり方を怒鳴りながら押し付ける父と、考えあって行動を起こしているのにすべて否定されながらも押し黙り作業を続ける母、という構図が常となります。また、半分ボケて時間間隔や日付感覚、空腹感や筋力を失い老化している祖母に対しても、もっと声を出すように、自発的に運動するように父は気が付くと怒鳴りつけています。耳が遠いため大きな声でないと祖母には聞こえない、というのも分かりますが、コミュニケーションというにはそれはあまりに荒々しく、激しく怒っているようにしか聞こえません。

父親のそれは昔からでした。母と私と妹、という女ばかりの家族で暴力にこそ走るようなことはありませんでしたが、大黒柱としての責任感か、『自分が常に正しく、家族を間違った道に進ませないよう働きかけなければ』との立派な思いもあってなのか、選択肢、というものを与えられた記憶があまりありません。休日に外食に行こう!となり、父親は食べたいものを聞いてきて「ハンバーグ!」とか答えるわけですが、それに対し父親は「それはちょっと…」みたいに難色を示すのがいつものことでした。父親の中では正解は定まっていて、家族も同じように考えるべきだ、と思っている節があるのです。父親の投げかけた問いに対し父親の思うような答えを出せなければ否定をされ、場合によっては怒られます。そうなることを学んだ私や妹や母は自分の意思を示すようなことはせず、妥協して父の考えに沿えるような場面は合わせる、ということをしてきました。質問してきた父に質問で返すような形になるわけですが、これに対しても父は怒りを露にします。「お前たちの希望を聞いてやっているんだ、答えろ」と。でも、父の抱く正しい答えのわからない私たちは自分の考えという名の具体的な選択肢をいくつか挙げて結局は満足いくものを父親が選ぶ、というところでおさまるのです。

会話において自分を殺さなくてはならないコミュニケーションにストレスを感じ始めた私たちは極力喋らなくなります。食事中もテレビを注視したり、食べることに専念して束の間の安息を得るのです。しかし、『家族にはコミュニケーションが必要だ』と考える父親はテレビの内容だったり食事についてだったり問いを投げかけてきます。深く話すと父親の意にそぐわない話をしかねないため、私たちは「わからない」などと言って逃げます。それに対し父親は不機嫌になりますが、激しく怒るようなことはないため会話を続けるよりはよっぽど楽なのです。

家族のコミュニケーションの在り方がこのようにちぐはぐだったのは昔からですが、とある出来事をきっかけに父と母の溝が深まることになります。

母親の後遺症

以前の記事で私の母親がくも膜下出血に襲われたことを書きました。

一命はとりとめ、今は通常通り生活こそしてます。が、その後遺症は残りました。記憶力が弱いのがその一つ。冷蔵庫の食材の把握ができず捨てる食材は増えましたし、日用品を片付けた場所だったり、料理の手数だったり、以前に比べると圧倒的に簡単なことしかできなくなっています。それでも家族はいい大人ですし、みんながみんな困らない程度には生活できてはいます。

私は、当然ながら自分のことは自分でやるようにしていますが、家事に関しては母が「リハビリだから」と自分なりに進んで頑張ってやっているので、目に余るようなことは手伝ったり「こうした方がいいよ」と話しますが、それ以外については、たとえ焼いた肉に下味がついていなくても特になにも思いません。覚えていられないならメモしよう、とメモ帳やホワイトボードを用意しましたが、母親本人にそこまでの余裕もないため使ってはもらえませんでしたし、メモ書きも渡しましたが、それさえもどこかにやってしまうのでしつこく同じトーンで話す、ということだけは続けています。誰でも怒られるのも横槍を入れられるのも嫌だと思うので、感情に任せて、ということは滅多にないと思ってます。たまに倒れる前の母親と比較してたまらなく切なく悔しくなる時もありますが、かつての母とは別物、と残酷に言い聞かせてます。

父は、母の現状をどのように受け止めてるかわかりません。我が家は訳あって冷蔵庫が小さいのですが、父親は家事が楽になれば、とチルドのレンチン食材や出来合いのものを買ってきてはギチギチに冷蔵庫に詰め込みます。そこに偏食の妹が自分好みの食材を入れたりすると、母親が普段買ってきたもののほかに自分の知らない、手に負えないものが増えているわけですから、怖くて触れないわけです。もちろん父親は買ってきたものについて母に伝えますが、冷蔵庫の奥底に行ってしまえばわからなくなりますし、母は自分の買ってきたもので献立を立てるわけですから消費もされない、ということが起きます。そういう母の特性を踏まえると、自分の食べたいものは自分で調達して余計なものは持ち込まないのが一番効率が良いはずなのですが、父親は「自分が良いものを買ってきてやれば楽させることができるから」と供給をやめません。そして、冷蔵庫で買ってきたものがダメになっていれば母を怒鳴りつけるのです。「冷蔵庫も見ないで買い物ばっかりしてきて、俺の買ってきたものでメシを作れば楽できるのに」と。そもそも確認しても、確認してメモしてもそれを保つ、ということが母にとって難しいのに買ってきて母親にぶん投げるだけぶん投げて「言われなきゃ料理を出してもくれない」と文句を言って怒鳴りつけるのもどうかと思うのですが…。購入してきたものを書き残すとか、レシートを冷蔵庫に貼っておくとかせめてしてくれれば、と思うもののそれもありません。以前のように戻って当然、できて当然、と思っているのか、できないことに対してできるようある程度サポートするよりもなんとか言って聞かせる、ということしかしてないように見えるのです。

その怒号を聞きながら私は、母親も母親なりに頑張ってるんだから、カバーできるところはこっちがある程度カバーしてあげるのが当然じゃない?と口を返すも、ずっとやってる、これくらいできなきゃ困るだろう、と言うばかり。言って聞かせるのはやっているだろうが、口から消える言葉ではなく書き残すということはずっとやってないだろう、と返そうとすれば母親が謝ってなんとか終わらせようとする、という感じ。それがずっとなのです。

母親の爆発

母親は、自分の記憶力の弱さに自覚はありましたが、日々生きる中では大きな支障をきたさないよう自分で解決させていました。祖母の介護においても、祖母の人権を保ちながら寄り添っているように見えました。あっちきたりこっちきたりと効率の良い作業とまではいきませんでしたが、祖母が穏やかに過ごせるようサポートしていたと思います。

1月3日の朝、祖母の排泄物の処理をしていると父親が横槍を入れてきました。

「あれは準備したのか」
「道具はこれを使えと言っただろう」
「何をするか考えながらやってないからモタつくんだ」
「聞こえないからもっと大きな声で耳元で声をかけてやれ」
「普段からやってないんだろう、やったやったと嘘の返事ばかりして」
「やって見せて教えたのにできないのか、ちゃんと見ていなかったからできないのだろう」

祖母の寝室の隣のリビングから、ソファに座りながら父は怒鳴りつけます。いつも謝って耐えていた母ですが、とうとう口を返します。

「あなたからそう見えているのなら私はなにもやっていなかったのでしょうね!」

泣きながら声を荒げて感情的にそう口走る母に、父は「なに怒っているんだ」とさっきよりは少し語気を和らげ、さも自分は今まで怒っていなかったように口を返します。あなたも怒っていたでしょう?と言えばきっと、怒ってなんかいない、アドバイスしていただけだ、と言うのは目に見えていました。そのやりとりも何度も見ていました。

母は、完璧ではないにしても祖母の介護はしていましたし、食の細くなった祖母に少しでも目新しいものを、と献立を立てていました。毎日買い物に行く理由はそれです。栄養が最低限取れればいいから、と食事を定型化させてしまっていた父とは違い、変わったものが口に入れば日々の生活も少し楽しくなるかもしれない、と母は思っていたのです。排泄物の処理も、寝返りが打てない祖母の床ずれが痛まないよう、優しく処置して時間をかけていた母に対し父は、傷はどうせ薬を塗るんだから、汚れたところはしっかり濡らしたタオルでちゃんと拭いてやらないと、と母にきつく言っていました。父親のやり方はできていませんでしたが、母はしっかりやることはやっていました。それを自分のやり方と異なるからと一から十まで父は否定したのです。母は母なりにやっていた、とたとえ私が主張したところで、効率を考えて俺のやり方を教えたのにできていない、と言われるのが今までの流れで、私は割って入ることはできませんでした。

妹にも及ぶ『父の正しさ』

父の怒号は当然、私や妹にも向けられます。最近では私は父から見て屁理屈をこねてめんどくさいと思われているのか、私がすぐ忘れるようにしているのかわかりませんが怒りを向けられた記憶はあまりありません。妹は、父の特性を理解してか、もともとの性格か、一切喋りません。声も小さく返事もしないため、態度が悪いと怒られるわけですが、妹本人は我が道を行くと貫いています。

しかし先日。父親が妹に「運転免許をとらなきゃだめだ」と声を荒げ始めました。「俺の職場の若いのは仕事の合間を縫って免許をとった」、「運転免許くらいあって当然だし、だれでも取れる資格で仕事でも使うだろうからとれ」と話します。妹は高校を卒業し社会人となり、今まで自動車学校に通う意思は一切見せてませんでした。私自身、あったほうがいろいろ便利だよ、と早い段階で伝えていたのですが、生返事で終わり。よくよく聞いてみると、妹は自分に自動車の運転ができるか適性があるか、ということを不安に思っているのと、会社から自動車免許が必要、との説明が未だにないことから取る意思がないようだった。田舎ゆえ車があった方が便利なのは違いないので、一度自動車学校に行ってみてから、取れそうかどうか判断してみて、と私からは伝えていた。なくても生きてはいけるし、本人がいいならいいか、と思っていたが父は違うようで、「なにがなんでも、いずれ運転免許は取らなきゃダメだ!」と話す一方。ついでに一人で静かにアルコールを楽しむ妹に対し「一人でいろいろチャンポンで飲んで…」とビール片手にグチグチ言い始める父。免許に関しては、妹の環境において急を要していないことを再度確認した上で、「とりあえず自動車学校行くだけ行ってみよう?」という話に返事をしてもらって終わらせた。

正直妹には発達障害の気があり、母と私はなんとなくそれを感じていました。本人も学生時代からどこか生きづらさを感じているようにも見えたため、社会人になって私が鬱を経験した後に、一度知識ある人に見てもらったら?と余計なお世話を働かせたこともありました。妹は自覚はあるにしてもそこまで重くとらえてないのか病院にかかることなく生活しています。父は妹のそんな様子も、ワガママな現代っ子ゆえ、と思い込んでいるようで父の言うコミュニケーションで矯正しようとしていますが、残念ながらそういうことではありません。

『父の正しさ』は適度に聞き流すもの

以前の私だったら、父にとって正しくあって当然だと思っていました。分家である我が家を継ぐのは私だと思っていたし、でも婿取りは嫌だったから一生独り身かあ、と早いうちに覚悟を決めていました。でも、大学に入って日々を楽しむ同期たちを見て、私の人生って何なんだろう、と思ってしまったのです。誰にも相談できずに駆け込んだのが占いでした。身の上話をして、これからどうしたらいいだろう、と見てもらったら、「あなたは考えすぎ。見えないことを考えすぎ。もっと考えなくていいのよ」と言葉をもらいました。そこからふっと、軽くなりました。行き当たりバッチリ、真面目に不真面目やりながら困らない程度に日々抜いて生きていこう、と必要なことだけを拾って、必要ないと思ったことはあまり触れないようにしました。そのあたりから父の言葉も適度に流すようにしました。

社会人になって日々の業務や、当時の祖父の介護などで神経が擦り切れて鬱になりました。診断を受けるその日まで一人で抱え込んで、突然職場や両親に鬱になりました、と伝えることになりました。仕事は休職し自宅療養。母曰く、父は職場で同じような人がいたから大丈夫、と言ってくれました。最初の1ヵ月は気を遣ってくれていましたが、だんだんと「いつ職場復帰するんだ」、「これからどうするんだ」と言われることが増えていきます。そこで、気を遣ってくれていたのではなく腫れ物に触りたくなかっただけなんだ、元気に振舞っているように見えたらもう普段通りなんだ、と薬を服用しながら苦しさも飲み込んでいました。次の瞬間には人にはどう見られても自分を可愛がろうと、父の正しさを気にしないようにしました。

いわゆるモラハラ・パワハラが横行する我が家

父の言動はモラハラそのものだと思います。離れられたら、と思いますが、もう長年そんな父なので離れるということがあまり現実的に感じられません。だから、なにか解決法があれば教えていただきたいところ。私は、私自身への言葉を聞き流すことはできますが、母親や妹が父の言葉に刺されているのを聞き流すのは難しく、いつもとても痛いです。だから少しでも落ち着いてくれた方が良いのですが、どうしたら良いものか。なにか対策があるようなら教えてください。

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