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歌詞を見ながら聴きたい1曲―宇多田ヒカル「花束を君に」―

音楽を聴くときに何に注目するかというのは人それぞれです。例えばメロディであったり、歌声であったり、聴く人によって重視するものは変わります。それはその人がどれだけ音楽に精通しているかでも変わってくるでしょうし、どんなジャンルの曲を聴くのかによっても変わってくるでしょう。バンドが奏でる曲を聴くときは演奏にも注目するし、逆にアイドルの曲ならその方のパフォーマンス部分に注目するはずです。

私の場合、音楽を学んだのは学生時代の義務教育のみで、バンドを組んだり楽器に触れたりという機会も無かったため、専門的な知識はありません。音楽に対しては、精々YouTubeやSpotifyなどで聴くくらいの、カジュアルな楽しみ方です。

そんな私が音楽を聴くときに注目しているのが、歌詞。いわゆる言葉の部分です。メロディや歌声の場合は音楽的な知識が無ければフィーリングで語ることしかできませんが、言葉というのは誰しもが日々使うものであり、フラットな立ち位置で感じることが出来る部分だと思います。

言葉を使う作品と言うと、小説などが思い浮かびますが、歌に関してはそれほどの長さを必要としません。そのため、壮大な物語を構成する力というのは小説家の方と比べればあまり重視されないかもしれません。しかし、それは裏を返せば、時間にして5分前後の曲の中で自分が伝えたいことを纏めなければならないということであり、小説とはまた違った難しさがあると思います。メロディに合っていなければただの朗読になってしまいますし、言葉をそぎ落とす作業というのも必要になってくるでしょう。

また、一口に歌詞と言っても、ストレートに思いをぶつけることに良さがあるものもあれば、それこそ小説のように言葉の裏に思いを込めるものもあります。リズム感を重視した曲もあるでしょう。曲によってスタイルは様々で、だからこそ面白いとも言えます。

ここまで来てようやく本題へと入りますが、今回は私が歌詞が秀逸だと思う楽曲を紹介していこうと考えています。メロディや歌声のテクニックといった部分ではなく、歌詞という面から曲を味わおうという発想です。

第1回は宇多田ヒカルさんの「花束を君に」を紹介。2016年に発表された楽曲で、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主題歌になった曲でもあります。2016年と言うと私の中ではまだまだ最近の印象ですが、何気に約7年の月日が経っているとのことで、知らない方ももしかしたらいるかもしれません。そんな方は、ぜひこの機会に聴いてみてください。

亡き母に捧げる曲

“普段からメイクしない君が薄化粧した朝”という印象的なフレーズから始まるこの曲。曲の初めにキャッチーで情景が想像しやすく、尚且つどんな意味があるのかと興味を惹かれる言葉を持ってくるのは名曲の条件のような気がします。

実はこの曲、亡くなってしまった宇多田ヒカルさんの母、藤圭子さんに向けたものであります。“薄化粧”という言葉は、いわゆる死化粧のことを指していて、それを踏まえるとやや重いイメージになりますが、そういった情報が無ければ、飾りっけのない女性が久しぶりにメイクをしているような微笑ましい情景が浮かんできます。このワードセンスが天才的で、才能を感じさせられます。

その後に続く言葉も、“涙色の花束を君に”“今は伝わらなくても”“抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に”など、大切な人を失った喪失感を感じさせるような言葉が並びます。全体的にもの悲しい雰囲気が漂いますが、それでも曲全体として暖かさがあるのはメロディにおけるピアノや弦楽器の音色の暖かさ、そしてドラムの音、さらに何よりも“花束を君に”というタイトル、主題から醸し出される温もりの影響であるように思います。

誰しもが自分に当てはめて感じることが出来る歌詞

この曲が名曲たる所以の1つとして、“母の死”という極めてプライベート性の高いテーマを歌った曲でありながら、同時に曲を聴いた方全員が自らに当てはめて考えられるようなワードセレクトが為されていることが挙げられます。

先ほども話題に挙げた“普段からメイクしない君が薄化粧した朝”というフレーズ。これは年老いて化粧をすることが無くなった母親が、何か特別な出来事を前に久しぶりにメイクをした様子が想像できます。また、共に過ごす時間が長くなったことで、普段は化粧することが無くなったカップルの彼女が、何かの記念日にメイクをする、なんてイメージも湧きます。

花束を君にというワードも何かおめでたいことがあったことを想像させますし、そういった祝福の気持ちに寄り添う曲としても聴くことが出来ますね。“涙色の花束”も嬉し泣きという解釈と考えると、幸せな気持ちになります。

もちろん、宇多田ヒカルさんと同じように誰か大切な人を亡くしたときにも、喪失感をそっと包み込んでくれる曲になり得るでしょう。これは歌詞ではありませんが、落ちサビで聴こえてくる「はっ」というため息にも悲しい感情が表れています。そういった部分に注目するのもいいと思います。

このように、聴く人それぞれの気持ちにスッと馴染み、誰もが歌詞に共感できるような言葉を紡ぐことが出来る。改めて宇多田ヒカルというアーティストの特別な才能を感じます。絶対的な歌唱力のみならず、作詞能力も圧倒的なのだということを再認識させられました。

最後に

今回は、宇多田ヒカルさんの「花束を君に」について、作詞の巧みさを語ってきました。宇多田ヒカルさんと言えば、歌唱力の高さが印象的ですが、歌詞を紡ぐ力など、総合的な能力の高さがあることが分かりました。ただ、インタビューでは「もうこれほどの歌詞は書けない」とも語っているそうで、それだけの傑作であるということでしょう。母を亡くすという人生において大きすぎる出来事があって、その喪失感を歌にしたいと考えたからこそ、芸術として昇華し、名曲が生まれたのかもしれません。

近年は、サブスクリプションなどの充実によって、曲を聞き流すスタイルが流行しています。私自身、そういった楽しみ方をしているので否定はしませんが、たまには1度どっしりと腰を下ろして、1曲に時間をかけて味わうというのもいいかもしれません。アーティストは1曲1曲に壮大な時間をかけて制作しているはずで、そこには様々な思いが詰まっています。そういったバックボーンを想像しながら、曲をBGMとして“聞く”のではなく、真正面から向き合って“聴く”のも良い体験となるでしょう。

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