テレワークゆり物語 (176)今日87歳になった父の話
5月12日は、父の誕生日。1937年生まれなので、今日で87歳になった。
私は今、自宅のある北海道北見市と、実家のある奈良県生駒市の二地域生活をしている。
2022年11月に母が亡くなり、父の世話は、ひとり娘の私のミッションとなった。幸いなことに私の仕事は、完全テレワーク。どこにいても、いつも通りの仕事ができる。
気が付くと、父との暮らしが始まって1年半が過ぎ、87歳の誕生日は、次女と孫、そして三女と一緒に、父のお誕生日を祝うことができた。
そんなこともあり、今日は、父の話をしようと思う。「母の日」だけど。
私と父はちょっと微妙な関係
私は、いわゆる「お母さんっ子」だった。
母さえ、そばにいてくれれば、それでよかった。
また、私が幼い頃、父は仕事の関係で1年の半分近くを海外で過ごしていた。その間は、母子家庭状態だったのもその理由かもしれない。
父との思い出を振り返ってみる。
小学生の高学年のとき、ボウリングを教えてくれた父
教鞭をとっていた大阪外大の学生といつもマージャンをしていた父
大好きだったアグネスに会うため、香港まで連れて行ったくれた父
シャープ時代、帰宅の遅い私に毎晩パスタを注文してくれた父
子育てが大変だった時期、生駒で孫の相手をしてくれた父
いい思い出がいっぱいである。
しかし、父と二人だけでじっくり話をした記憶はほとんどなく、
私と母の関係に比べると、距離があったことは否めない。
私にとって父は、「母の向こう側」にいる存在だった。
父と母はいつも一緒の仲良し夫婦
何でもガンガン進める母に対し、父はやさしく、おとなしい。
常に母の意向を優先して生活していた。
大阪外大を退職後、京都の大学を75歳で退任してからは、母といつも一緒に行動していた。
母が経営する喫茶店「パステル」の仕事のあとは、毎日、二人で難波へ出かけて食事をするのが日課だった。
ふたりで海外も国内もたくさん旅行した。
毎年、夏は二人で北見に来て、北海道ライフを楽しんだ。
どちらかが欠けても成り立たない、仲良し夫婦。
母の晩年は、少しでも体調がすぐれないと夜中でも何度も父を起こし、無茶難題を投げかけていた。
父は「365日24時間介護や」といいながら、文句も言わず、母の世話をしていた。
母がいなくなってからの父の生活
そんな父なので、母が急に亡くなったことで、生活が一変した。
母と一緒に通っていたデイサービスに行かなくなった。
「(デイサービスに)ひとりで行っても意味がない」
その結果、人に会うのは、月1回のケアマネージャーさんと、週1回の訪問介護の看護師さんのみ。
私は実家に戻っていても、平日は一日中、自分の部屋でテレワークばかり。
食事以外は、自分の部屋にこもる毎日が続く。
「父をこのままにしてはいけない」とは思うものの、月日は過ぎていく。
はじめての一人デイサービスは無言
母が亡くなって1年になろうとしていた頃、ケアマネージャーさんと相談し、(母と通った所とは別の)デイサービス施設のお試しに、父を連れて行った。(ほぼ無理やり)
しかし、もともとシャイで口下手な父。
施設に行っても自分から何も行動せず、ただ言われた通りのリハビリメニューをこなすだけ。
それでも、「週1日なら」と、父の同意がとれた。良かった。
デジタルで囲碁の趣味を復活
父は昔から、囲碁に夢中で、自称「アマチュア8段」。
(正直、ほんまかいなと思っていた)
とはいえ大学を辞めてからは、ほとんど囲碁を打つことはなかった。
私は囲碁はできないので、父の相手はできない。
それなら、私の得意なことで、囲碁を復活させよう。
父に安いタブレットを購入し、ネット囲碁の会員に登録した。
ひさしぶりの囲碁の世界へ誘導したところ、父は見事にはまってくれた。
いや、はまり過ぎた(爆)。
毎日、朝から晩まで、タブレットで囲碁をしているのだ。
多い日は、一日で20局近く。顔の見えない相手と、話もせずに囲碁を打ち続ける。
自分がしたこととはいえ、さすがに、これはまずい。
囲碁ボランティアさんとリアル対局
悩んでいたところ、新しいケアマネージャーさんが、
「囲碁のボランティアさんに来てもらいましょう」と提案してくれた。
自宅に人が来ることに多少抵抗はあったものの、すぐにOKしてくれた。
父も「人との対局」に飢えていたのだろう。
私はすぐに、本物の「碁盤」と「碁石」をプレゼントした。
こうして、月2回のリアル対局は、父の楽しみになった。
母の一周忌を過ぎた頃には、デイサービスも、週2回に増やすことができた。
そして、ある日のデイサービスの連絡帳。
デイサービスで、囲碁を打つようになったのだ!
ああ、よかった・・・
少しは私を認めてくれた気がする
母が亡くなって、1年半。
孫やひ孫など家族や、ケアマネージャーさんのおかげで、父の生活がようやく落ち着いてきた。
食欲も復活し、体重も増え、昔のようにお腹がでてきた。
(それは良くないか)
ある日の朝食時、私が父の大量の薬を「お薬カレンダー」に入れていると、父がその姿を見て、こう言った。
「年寄りはひとりでは生きていけへんなあ。」
父がそんなことを言ったのは初めてだった。
私がここにいることも認めてくれているようで、嬉しかった。
「薬をちゃんと飲んで」「間食しないで」「塩分の高いものはダメ」「ドアをちゃんと閉めて」などなど、父にグチグチ言ってばかりの私。
二人の関係は、あいかわらず。
たいした会話の無い毎日だが、これも大切な時間なのかもしれない。
※冒頭の写真は、87歳のお誕生日ケーキ。おめでとう。
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