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真説佐山サトルノート round 12 ロンドン出張

【この原稿は二〇一六年八月から二〇一八年四月まで水道橋博士主宰「メルマ旬報」での連載を修正、加筆したものです。秘蔵写真も入っている全話購入がお得です】


 前回、筆が走りすぎて嘘を書いた――。
 イギリスで佐山サトルさんの面倒を見た元プロレスラー、ウェイン・ブリッジの経営するパブに電話して、アポイントメントを取り付けたという話だ。実際は少々違う。ぼくはそれほど英語が堪能ではない。
 英語の文献を読むのは仕事の一部である。
 国際サッカー連盟(FIFA)、電通の子会社だったISLなどを調べるため洪水のような資料を読んだ。スポーツ政治の本場は欧州である。日本国内の資料は貧弱で、英語の資料に頼らざるをえなかった。時間は多少掛かるにしても英語を読むことはそれほど苦ではない。しかし、喋るのは別の話だ。
 大学生時代、友人と二人でアメリカをオートバイで横断してロサンゼルスからフロリダまで行ったことがある。訛には辟易としたものの、困らない程度には意思疎通が出来るようになった。しかし、その後は使う機会もなく、すっかり錆びついている。さらにその後に覚えたスペイン語やポルトガル語が混じってしまい、ぼくの話す英語は相当へんてこだ。
 会ったことのない人間に電話して取材意図を伝えて説得するのは、相当な語学力が必要になる。そこで助っ人に頼った。
 早稲田大学のスポーツジャーナリズム講座の教え子、辻翔子である。帰国子女の彼女は国際基督教大学の付属校から早稲田の女子ア式蹴球部(女子サッカー部)でやりたいと、わざわざスポーツ科学部に入学していた。
 彼女は英語を流ちょうに話すだけでなく、スペイン語まで習得。卒業後はマドリッドの大学院に進み、スポーツジャーナリズムを学んだ。このとき、バルセロナ在住で日本のテレビ局などのコーディネート業をこなしていた。二〇一六年九月からFIFA運営の大学院「FIFAマスター」への進学が決まっていた。

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