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「汚点 横浜フリューゲルスはなぜ、消滅しなければならなかったのか」(フットボール批評)連載開始にあたって

昨年十二月末——。
日本サッカー協会、通称JFAハウス一階にあるバーチャルスタジアムホールで、協会を退任する手嶋秀人さんの講演が行われた。本来はサッカー協会の職員向けだったが、ぼくはそこに紛れ込ませてもらったのだ。

手嶋さんは壇上に上がると、こう切り出した。
「ここにいる人たちは、フリューゲルスのことを知らないかもしれませんが」
手嶋さんは、98年に消滅した横浜フリューゲルス出身である。サッカー協会の職員を対象としながら、こう前置きしなければならないところに、時間の流れを感じた。

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時計の針を少し戻す——。

1993年5月にJリーグが始まった直後、ぼくは「週刊ポスト」のサッカー担当となった。
週刊ポストの版元である小学館は、Jリーグのオフィシャルスポンサーだった。看板雑誌であった週刊ポストにもサッカー担当を置かなければならないという話になったようだ。あるとき、上司から「サッカーのルール知っているか」と訊ねられた。ぼくは「小学生からサッカーしていました」と応じた。すると、じゃあ、お前でいい、とサッカー担当になった。スポーツは週刊誌の主たるコンテンツの一つであったが、ほぼ野球だった。Jリーグが始まったとはいえ、サッカーはそんなぞんざいな扱いだったのだ。
毎週、Jリーグのコラムを入稿し、やがて専務理事だった木之本興三さんの対談連載を担当することになった。このとき2002年ワールドカップ開催地に日本は立候補していた。その招致も取材することになった(これが後の「W杯ビジネス30年戦争」「W杯に群がる男たち」そして「電通とFIFA」に繋がる)。

「電通とFIFA」

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https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334039035

当時のJリーグの周辺は熱気に充ちていた。主となって動いている人たちは三十代から四十代と若く、彼らは日本の旧態依然たるスポーツ文化を変えようとしていた。その熱に二十代だったぼくは引きつけられたものだ。


その後、ご存じの通り、Jリーグは安定段階に入った。他の競技はJリーグを成功例として参考にするようになった。そんなJリーグに、一つだけぬぐい去ることのできない染みがある。それはJリーグの歴史で消滅した、たった一つのクラブ――横浜フリューゲルスである。
フリューゲルス消滅のとき、ぼくは週刊ポスト編集部にいた。恐らく、何らかの記事を作ったはずだ。当時の報道は、選手たちが被害者であり、手を引いた全日空が悪というものだった。しかし、ぼくは釈然としなかった。
それからしばらくして、選手たちの手記、単行本に目を通したが、やはり納得できない滓のようなものが心に残った。
つまり、こういうことだ——。
選手たちは年契約による個人事業主である。能力さえあれば、他のクラブと契約することができる。実際に彼らのほとんどは他クラブに移籍していった。元日本代表のゴールキーパーである楢崎正剛のように、選手登録の〈前所属クラブ〉の欄にフリューゲルスの名前を残すために最後まで現役に拘った選手もいる。しかし、多くの選手にとっては通り過ぎたクラブの一つに過ぎない。
全日空側の人間とて、望んでクラブ消滅を受け入れたはずはない。組織の中で歯を食いしばった人間もいただろう。彼らは会社員として組織の論理を受け入れざるを得なかった。口をつぐんできたのは、会社員としての立場があったからだ。
この問題を突き詰めると、クラブは誰のものなのか、にぶち当たる。フリューゲルスの消滅は、企業スポーツを幹として地域密着を強引に接ぎ木した、Jリーグの宿痾ではなかったのか、と。

そしてある縁からこの連載の取材を始めることになった。すると、知らなかったことが見えてきた。

横浜には日本リーグ時代の強豪チーム、日産自動車を母体とする横浜マリノスが存在する。フリューゲルスは横浜の〝メジャーではない方〟、〝もう一つの〟クラブという位置づけだった。しかし、歴史を紐解くと違った面が現れた。フリューゲルスは傍流ではなく、日本で最も長い歴史を持つ横浜サッカーの正統な継承者であり、最初の本物のクラブチームとなれる可能性を持っていた。
また驚いたのは横浜が静岡と地下水茎で繋がっていたことだ。
六月八日発売の「フットボール批評」に掲載される連載第一回には、静岡出身の納谷宣雄さんが登場している。納谷さんは三浦知良選手の父親であり、ぼくの著書「キングファーザー」の主人公だ(横浜との縁には、横浜FCにいる息子も気づいていないはずだ)。そして元ヴェルディ川崎の監督だった、李国秀さん——。李さんはフリューゲルス前身の横浜トライスターの中心選手だった(彼は静岡学園に行くはずだったという過去もある)。日本サッカー界の奇才、李さんの生い立ちに詳しく触れるのは初めてだろう。

これで面白くならなかったら、嘘だ。

この連載の掲載されている「フットボール批評」は本日、6月8日発売である。


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