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編集者の適性、作家を「スポーツアイデンティティ(SID)」から考える



以下、『スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる』(太田出版 5/23発売)の〈あとがき〉より抜粋。

この後、拙著「全身芸人」の担当編集者だった中山智喜君や、『KAMINOGE』編集長の井上崇宏さんが出てきます。

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 ぼくの仕事、文章を書くことは個の作業である。出版社を辞めてから、集団を意識する機会はほとんどなかった。
 数少ない例外の一つが、二〇一一年二月に後楽園ホールを借り切ったプロレス興業である。これは元大相撲力士でありプロレスラーの安田忠夫氏と知り合ったことから始まった。日本で行き場を失った彼をブラジルへ連れて行き、相撲を教えるための資金を作るための興業だった。その詳しい顛末は『真説・長州力』を参照して欲しい。
 ともかく、ぼくは全く経験がないにも関わらず、興業を仕切ることになった。そのとき、手助けをしてくれたのが、ぼくが当時教えていた早稲田大学の学生たちだった。特にチケット販売である。彼らは友人を呼び、手分けして様々な売り方を考えてくれた。みな手弁当――ボランティアだった。
 ぼくが教えていたのがスポーツジャーナリズムであったこともあり、集まった学生たちのほとんどはスポーツに興味があった。そこでぼくはこう言った。今回のチームでぼくはサッカーの9番――ストライカーのようなものだ。ぼくが点を取る、つまり自由に動けるように支えて欲しい。7番や11番のように、派手な動きをする人間もいれば、サイドバックのように周囲を和ませる、あるいはイビチャ・オシム元日本代表監督の言葉のように、水を運ぶ選手――他人のために汗を掻く人間も必要である。このチームの中で自分がどんなポジションにいるのか、意識して欲しい。
 この頃、プロレスの人気は落ち込んでいた。各団体が集客に苦戦している中、素人が満足に興業を運営できるはずがないという冷ややかな視線があった。確かに興業の二週間ほど前までチケットの動きは悪く、ぼくは個人で赤字を被ることも覚悟した。ところが、蓋を開けてみると、当日券を求める人が列を作り、後楽園ホールは満員となった。後楽園ホールの人間はこんなに熱のある興業は久しぶりのことですと、声を弾ませた。短期間にそれなりの組織になったのは、それぞれが役割を意識してくれたからだった。
 ちなみに、ぼくがこのチームで「10番」に指名したのは丹野裕介だった。彼はこのチームに後から加わった人間だったが、彼に「十番」を任せるべきだとぼくは判断した。彼は現在、Tryfunds(https://tryfunds.co.jp)という数百人の社員を抱える企業を率いている。誰をどこに当てはめるか――ぼくは子どもの頃からやってきたサッカーは、組織を組み立てる訓練になっていたのだと思った。

 この引退興行のような例外を除けば、ぼくたち物書きは、担当編集者など、ごく限られた人間関係で動いている。編集者には原稿の方向性を相談する企他、資料検索、取材の手配などを手伝ってもらう。
 この編集者をぼくは二つに分類している。
 まずは雑誌的編集者である。
 勢いのある雑誌とは編集長を中心として、編集部員、外部の書き手たちが有機的に動き、それぞれの役割を果たしているものだ。〆切に向かって、みなで力を合わせながら一つの雑誌を作っていくことに力を発揮する種類の編集者がここに入る。
 もう一つは書籍的編集者だ。
 ぼくの場合、単行本だと短くても半年間強、長い場合は数年間の取材時間を掛け、原稿執筆に入る。中長編の場合、根を詰めて一気に書くことは不可能である。長距離ランナーのように、毎日少しつづでも書き進めることが大切だ。書籍の編集者はその伴走者である。籍的編集者は自分の信じた作家を世に知らしめたいという一点突破を得意とする。使い古された表現になるが一匹狼的な人間が多い。
 両方を高い水準でこなす編集者もいるが、ぼくの経験ではどちらかに秀でている人が多い。その性質から推察される通り、前者は集団スポーツ、後者は個人スポーツのSIDである確率が高い。
 もっとはっきりした傾向があるのは、写真家だ。写真家はファインダーを覗き、構図、光の加減、隅々にまで神経を配る。そして、撮影後は、細かな修正を入れて納得のいく作品に仕上げていく。時に編集者やクライアントと摩擦を起こしても衝自らの表現に拘る。彼らは個人スポーツ、中でも格闘技経験者が目に付く。

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http://www.ohtabooks.com/publish/2020/05/22165239.html

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