見出し画像

「オレオレ詐欺の拠点で生まれたアートホテル」(アートホテル「BnA」のこれまで(1)原点~創業編)

早いもので、BnA株式会社は気がつけば来月で9期目、その前身である民泊会社から数えるともう10年もたってしまいました。
過去数年はコロナで完全に事業がストップしてしまいましたが、22年10月の国境開放から客足が戻り、明るいニュースが増えてきました。

新しいスタッフも入社し、一度減ったメンバーも増えてきたため、BnAのこれまでの歩みを改めて振り返り、一資料として書いておくいいタイミングかなと思い、何回かにわけて書いていこうかなと思います。

今回は学生時代の経験から民泊、そしてBnAへ、創業までのストーリー。
前半はかなり僕個人の話なので、まぁ興味あれば、ぐらいで笑


宿泊の原点、CouchSurfing

僕は東海岸のフィラデルフィアのペンシルバニア大学で学生時代を過ごしました。当時はインドで買ったボロボロの麻服を着て、長期休暇があればケルアックの小説片手に世界中をバックパッカーとして旅する、よくいるヒッピーかぶれの学生。そのころ出会ったのが、旅先で他人のソファーに無料で泊めてもらえるサービス、CouchSurfingでした。
格安で旅行できるうえに、行く先でフレンドリーなローカルに会える、Couchsurfingにハマりヘビーユーズするうちに、徐々にフィラデルフィアでもホスト活動をするように。一時期は、雨漏りするような10LDKのボロ家(通称 "The Happy House")に友達8人と住みながら、つねにどこの馬の骨ともわからないバックパッカーを5~6人家に泊め、Couchsurfingのフィラデルフィアのアンバサダーとして、定期的にイベントやパーティーを企画していました。

Happy House はCouch Surfer達と毎日がパーティー


コンテンツを企画し、ゲストを宿泊させ、楽しませる、思えば、これがホスピタリティとしてのBnAの原点でした。

アートの原点、Burning Man

同時期、僕はフィラデルフィアのBurning Manコミュニティで遊んでいました。(Burning Manについては多くの方が書いているので割愛しますが、年に1度、1週間にわたってネバダの砂漠のど真ん中で開催される巨大アート・音楽フェスティバルです。とりあえず画像検索してみてください笑)

Burning Manではオーガナイザーは場所を用意するだけ、「すべてのアートや音楽を参加者が用意する」というDIYカルチャーであり、世界各地に大小さまざまなBurnerコミュニティが存在、Burning Manにむけての製作や資金集めのためのイベントを企画しています。フィラデルフィアにもかなりのサイズのコミュニティが存在し、僕も彼らと巨大な倉庫の廃墟を占拠しアートを制作し、一晩限りのパーティーをして遊んでました。
ここにはアーティストやDJだけでなく、エンジニアやデザイナー、パフォーマー、起業家など本当に様々な人が協力しながら作品を作り遊ぶダイナミックで刺激的な環境がありました。

砂漠で行われるアートの祭典「Burning Man」にて

ジャンルにとらわれず、協力してやばい物を作る、そして制作を通してコミュニティができていく。これもまた、今のBnAで実現したい原風景です。(Burning Manは後にBnA創業に大きな役割を果たします…)

僕自身、大学・大学院で電気工学を専攻していたのも、かっこいいモノを作るという行為が子供のころから好きで、ロボットを作りたいと幼稚園のころに志したから。マイナー専攻でアートを取ってスタジオに籠ったりもしてましたが、ギャラリーや美術史のようないわゆる「アート」というよりDIYやモノづくりカルチャーのほうが今も昔も興味があります。

帰国、そして民泊の開始

大学・大学院を卒業し、1年ふらふらバックパックした後、2011年4月に帰国し、外資コンサルティング会社に就職。

友人と恵比寿で一軒家を借りてシェア、そこにそれぞれの彼女も転がり込み、6人で生活するという学生時代と変わらないような生活をしていた僕は、これまた同じようにCouchsurfingでホストしたくなってきました。
とはいえ6人ともプロフェッショナルファームに勤務する忙しい社会人、さすがに厳しいよねと話していた時に見つけたのが当時アメリカで広がり始めていたAirbnbでした。
試しにリビングの隣の和室を貸してみると、またたくまに埋まる。これはチャンスと、同じく起業意欲が高かった友人二人と物件を借りてAirbnb上で貸し出す事業を立ち上げました。(そのうちの一人が後にBnAを共に創業する前田ユウトでした。)まだ民泊という言葉もない2013年、日本でも数えるほどしかホストがおらず当時は濡れ手に粟、事業は順調に成長しすぐに数十部屋を管理する規模になりました。

福垣との出会い、そしてBnAの誕生

民泊事業が成長し、そろそろ何か新しい事をと思っていたとき、「Burning Manに行ってるやつがいる」と紹介されたのが日系アメリカ人の建築デザイナーの福垣ケイゴでした。
彼は当時、「内装の最後に、余った予算で、内装にあったアートを飾る」、という内装設計における装飾的なアートの扱いに疑問を持ち、「アートありきの内装」をテーマに、某米国大手IT企業の日本オフィスを実験的にアート設計していました。

そして、その内装プロジェクトを手掛けたアーティスト、DoppelのMONさん達が当時企画していた「#BCTION」(麹町の巨大廃ビルをアーティスト達が期間限定で展示会場にした伝説的な企画)を手伝った時、久しぶりにフィラデルフィアで経験したような「様々なジャンルの人たちが集まり、ヤバイものを作り、コミュニティが広がる」風景を目の当たりにし、この光景を日本でも増やしたい!という思いが生まれてきたのです。

#BCTION中のMONさん(手前ー写真はウェブサイトより)

Burnerカルチャーを共有するケイゴとはすぐに意気投合、ユウトと3人でアートありきのデザインをした民泊物件、”Bed & Breakfast" ならぬ "Bed & Art"、略して "BnA" を作ってみよう、というアイデアが生まれたのです。

難航する物件探し、そして見つけたいわく付き物件

アイデアはいいものの、好き勝手改装させてくれる物件など中々見つかりません。そこでユウトと僕は新大久保や歌舞伎町、池袋などちょっとグレーな物件を持っていそうな不動産屋に飛び込みで物件を探します。
そこで知り合った不動産屋が紹介してくれたのが、西池袋の住宅街にある33平米の物件でした。
内覧の当日、不動産屋からは「前のテナントがまだいるけど夜はいないから見に行ってきていいよ」と鍵だけ渡されて見に行きました。
鍵を開けて入ってみると、目に飛び込んできたのは異様な光景…数十台たこ足配線されたプリペイド携帯、段ボールで目隠しされた窓、台所の鍋の中には燃やされた名簿らしき紙…そう、紹介された物件はオレオレ詐欺の拠点だったのです。

しかも隣はデリヘルの待機所、下はフィリパブ、建物入口にはおそらくケツ持ちの存在を示す立派な明王像、かなりヤバイ物件笑。
(余談ですが、紹介してくれた不動産屋さんは後にオレオレ詐欺の拠点あっせんで逮捕されてました笑)

何はともあれ、他にオプションがなかった僕らは3か月ほどみんなでDIYし、初のBnAプロジェクト「BnA GALLERY Ikebukuro」が完成しました。
参加アーティストはJonJonGreen, Hideyuki Katsumata, 苦虫つよし, 菱沼彩子の4名に加え映像クリエイターのチンネン、いずれもケイゴの内装プロジェクトや、#BCTIONでご一緒させていただいた方々です。

パンツでペンキを塗るユウト
BnA GALLERY Ikebukuro

↓ 若くてめちゃくちゃ恥ずかしいですが、2015年当時の紹介動画です…笑

この時からすでに、「もしアーティストが入ることで売り上げ上がるのであれば、アーティストに還元しよう!」と、BnAの一番の特徴であるレベニューシェアシステムも設定されていました。

また、同時期に京都では一軒家を改装して「BnA MACHIYA Kyoto」を開業。こちらも #BCTION で出会ったMONさんを中心にOT29、Doppel、MIZPAM、simo、ATTACK THA MOONなど、アーティスト9名に参加いただきました。


BnA MACHIYA Kyoto、OT29
BnA MACHIYA Kyoto、MON
BnA MACHIYA Kyoto、DOPPEL
BnA MACHIYA Kyoto、ATTACK THA MOON

コミュニティの表紙としてのアート

BnA GALLERY Ikebukuroは当初から大ヒット、本当に世界中から様々な方がひっきりなしに訪れ、多くのメディアにも取り上げられました。
Airbnbのグローバルキャンぺーンに選ばれて、渋谷やメルボルン等世界各地でラッピングに使われたり、フランスのElle Decorではリッツと並んでなぜか僕らの手作りワンルームが「東京で行くべきホテルベスト10」にリストアップされたり。

あの方も…

ただ、一個運営していく中でわかったことがありました。泊まりに来た人たちはただ部屋に泊まりたいのではなく、その作り手である僕らやアーティスト達に会いに来ていたのです。特徴的なアートルームを見て、世界中の感度の高いゲストは「ここには面白い奴らがいるらしい」と思って予約するのです。彼らにとって、アートとはそこにあるコミュニティの表紙。ただ、ついたらそこは西池袋、いるのは隣で待機してるデリヘル嬢ぐらい。彼らの期待に応えられる場所ではありませんでした。

そこで、「面白いコミュニティを見つけて、そこに根差す形でホテルをつくろう」というのが次のゴールとなったのです。

池袋から高円寺へ、そしてBnA株式会社創業

そこで僕らはアーティスト達に紹介してもらって、東京で面白いコミュニティを持っている人たちに会いまくりました。その中で出会ったのが、4人目のの創業者、大黒健嗣(あんちゃん)でした。
アポを取って、彼の運営するオルタナティブスペース "AMP Cafe"を訪れたとき、あんちゃんは時代を先取りしすぎた24時間配信企画の最後の数時間。僕らはそこに乱入し、べろんべろんに酔っぱらった状態のあんちゃんと溢れかえったになった灰皿を前に、視聴者2~3名の前でいきなりBnAの構想についてプレゼン。彼をチームに加え、高円寺でBnAを作ることになったのです。

ついに集まった創業メンバー(左から田澤、ケイゴ、あんちゃん、ユート)


書き続ける励みになるので、いいね、シェア、お願いします!
(その(2)に続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?