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独りでいたい気持ちと、誰かといたい気持ちの併存

もうこれまで何度も記事にしてきているので、
ご存知の人も多いかもしれないが、僕は大学に友達がいない。
なので、大学に入ってから、独りでいる時間がすごく増えた。
独りで授業を受け、独りでご飯を食べ、独りで出掛けてたりする。
もちろん、高校生の時から独りで何かをすることには慣れていた。
だが、それは友達に予定があっていけない時だったり、周りの友達に興味がある人がいないなどといった場合がほとんどだった。
それに高校の時は学校ではずっと誰かと話してたりしていたので、
日常的に独りになることはあまりなかった。
しかし、大学に入り1人でいることが日常になった。
1人で何かをすることに慣れてしまい、今ではどんなことでも独りでできてしまうような気もする。
だけど、それと同時に、何かを独りでしようとするたび、脳裏にある考えがちらつくのだ。
「これ誰かと一緒にやったら楽しいだろうな」と。

友達とライブに行くことの楽しさを知っている。
友達と映画を見に行くことの楽しさを知っている。
終わった直後に、深呼吸をしてお互いの顔を見合い、アイコンタクトで全てを悟り、会場を出てから別れ際まで感想をお互いにぶつけあうことの、
楽しさを知っている。
お互いに泣きそうになりながらも、横にいる友人に涙はみせまい!と我慢比べをしてしまう馬鹿馬鹿しさを、お互いに感情を共有することの美しさを、愛しさを知っている。

だから、誰かと一緒にしたら楽しいだろうなと思うことが多くある。
なので、何かの映画や、誰かのライブに行こうとする時、友達を誘うか迷うことが多くある。
誘ったら楽しいだろうな〜と思って入るからだ。
元々誰かと感情や思いを共有することが好きなのだ。
だからこそnoteをやっているのもある。
しかし、ここにきて、独りでいることが日常になった故の、弊害?副作用?がやってくる。
「でも独りで何かをするって楽だよな…。」とも思ってしまうのだ。

独りで何かをすることの楽さを知ってしまった。
相手に対して一切気を使う必要がないことの心の安寧を知ってしまった。
自分の好きなタイミングで好きなことができ、
しようと思っていた予定も、
気分次第ですぐ変更ができる。
独りでいること故の柔軟さを知ってしまった。

こうして、大学に入ったことによって、
僕の心に、「独りでいたい気持ち」と、
「誰かといたい気持ち」とが併存するようになってしまったのだ。
もしこれが一緒にできる友達がいれば…。
でも、独りでした方が楽だしな…。
そんな思いで揺らぎ悩むようになってしまった。
高校生の頃は、友達も多く、独りでいることも少なかったため、誰とするか、で悩むことも多かった。
その頃の僕からすると、信じられないような変化だ。
それに、ただでさえ優柔不断なのに、それがこの相反する思いのせいで、さらに悪化したとも言える。

この相反する思いは、やはり時と場合に応じて、
上手く活用していくしかないんだろうなと思う。
何か同じものを好きな友達がいればその人と一緒にすればいいし、いなければ独りですればいい。
こうやって言葉で考えると、 
なんだか簡単にも思えてくる。
しかし、気持ちというものはこんな簡単に割り切れないものだ。

そもそも、同じものが好きな友達が少ないのもある。
共通の好きを持つ友人が少ないのにも関わらず、その存在しない友人像を想像して、
「いたら楽しんだろうな…」とか言ってるのである。
なんだか、虚しい行為だ。
共通の好きを持つ友人たちを増やすことから、
初めていくべきなのかもしれない。

それと同時に、独りでいたいと思っている気持ちも
プラスに捉えたい。
独りで何をすることを楽しめるって結構強いと思う。
何かをすることに対して、フッ軽でいられるからだ。
だけど、僕に関していうと、その勇気がないので、
メリットの恩恵も受けれていないのだが。

僕に足りないのは一歩踏み出す勇気と、決断する勇気なのかもしれない。




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