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待ち焦がれた夏・暑い夏・美しい夏

僕は今年、これまでの人生にないほどに夏を待ち焦がれていた。
理由はおそらく、夏の綺麗な風景や思い出などを、各種SNSや映画、小説などで、何個も摂取したせいだろう。
夏を題材にした作品は非常に多い。
一夏の冒険、一夏の逃避行だとか。
夏っていうのは、何か特別なことを体験する季節であり、何か変化が起きる季節なのかもしれない。
だからこそ、僕は夏を待ち焦がれていたのだ。
なにか特別なことが、変化が起きることを待ち焦がれていたのだ。

そして、待ち焦がれた夏がやってきた。
一度夏になると、そこに訪れるのは、ひたすら暑さだけだ。
特別なこともない。僕の元にやってきた変化は、普段着る衣服の生地が薄くなり、枚数も少なくなったこと。
ハンディ扇風機を持ち歩き、タオルで身体中の汗を拭い、ひたすらに暑さに耐え凌ぐ生活だった。
喜びや楽しみより、苦しさに満ちる夏が僕の元にやってきた。
あれほど輝いて見えた夏だったのに、
暑いだけじゃん。なんて気持ちが僕の心に渦巻き始める。
あれだけ夏を題材にした作品が多いのは、どうにか夏を良く見せないと、夏が楽しく、ウキウキワクワクな季節なんだって取り繕わないと、耐えられないからなのかもしれない。なんて思い始めた。

だけど、暑い夏でも、随所にその美しさが垣間見れる。
やはり僕は夏の馬鹿みたいに大きい入道雲が好きだ。
公園の噴水ではしゃぎ回る子供たちを見るのも好き。
照りつける太陽の光を浴びて、ニコニコしてる向日葵も好き。
ただボーッと、誰かと扇風機の風を浴びる時間も好き。
涼しいところに一度入ったら、もう動けなくなるのもなんだか好き。
憎く苦しいこの夏の暑さも吹っ飛ぶ!とまではさすがにいかないが、憎く苦しいだけが夏じゃないことは確かで、その夏を愛しているのも確かだ。

こんな夏も、ボーッとしていたら一瞬で終わってしまうことは、これまでの人生で何度も体験している。
夏休みの宿題を後回しにしていたら、気づけば夏休みが終わるまであと1日。
なんてことは、もはや毎年の恒例になっていた。
大学生の僕には夏休みの宿題はない。
だけど、やりたいことはいっぱいある。
それは夏の期間にしかできないことばかりだ。
そう考えると、それはある種、夏休みの宿題とも言えるかもしれない。
後回しにしていたら、気づけば夏の終わりがきた。なんてのは今年で終わりにしたい。
今年こそはちゃんと宿題をやろう。
夏を特別にできるのは、他でもない自分だろうから。

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