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「君たちはどう生きるか」と彼らは語りかけてくる

※この記事には映画「怪物」「CLOSE」のラストシーンの描写のネタバレが含まれます。具体的内容については触れていないですが、描写について言及しているので、ネタバレ喰らいたくない方は避けると同時に、どちらも今年ベスト級にいい映画だったので、今すぐ劇場へ駆け込んでください!!



君たちはどう生きるかという映画が公開されてから、早くも1ヶ月がたった。
宮崎駿の引退作、宣伝無しで公開された本作は、内容も相まって今なお日本中を翻弄している。
この映画を見ていても、見ていなかったとしても、「君たちはどう生きるか」という言葉を聞いたら、その言葉が持つインパクトと語呂の良さに、しばらく脳を駆け巡るだろう。
そして、僕たちはどう生きるのかについて、少し考え出す。

映画の内容に触れるつもりはない。
だが、僕が一つ言いたいのは「君たちはどう生きるか」と僕らに語りかけ、聞いてくるのは、決して宮崎駿の最新作だけではない。この世界にある映画、漫画、小説などのあらゆる作品、そして、この世界で起こるあらゆる事象が、君たちはどう生きるかと、僕らに問いかけている。そんな気がするのだ。

今年観た映画の中でも、特に印象に残っている2つの作品がある。それは「怪物」と「CLOSE」だ。どちらも素晴らしい映画で、心が抉られ、圧倒される。そんな作品だった。この二つの作品には共通点がある。それは、どちらの作品も、ラストシーンで主人公たちがこちら(カメラの向こうにいて、スクリーンを通して彼らを観ている僕ら)をじっと見つめ、そして映画が終わるのだ。
彼らは決して口にしてはいない。
だが確実に「君たちはどう生きるの?どうするの?」と問いかけてきている。
そんな気がするのだ。

ラストシーンにこちらを向く映画だけがそれを語りかけるわけではない。
これらの作品はわかりやすく伝えてくれているだけだ。
どんな作品を見たり、読んだりしても、必ず終わりがある。
本を開いたり、映画を見ている間は、僕らは現実の世界ではなく、誰かの人生を追体験している。
自分の人生ではない、誰かの人生を生きているのだ。
行動を共にし、感情を共にする。
共に泣き、笑い、怒り、苦しむ。
そうやって、作品を味わった先に、必ず終わりが来る。
最後のページを読んで、本を閉じる。
エンドロールが終わり、周りが明るくなる。
そうすると、僕らは自分の世界に戻ってくる。
そしてその度に、今味わった物語が、僕たちに問いかけてくるのだ。
「私はこう生きた。そして、君たちはどう生きるの?」と。

本を読んだり、映画を見たり、なんらかの作品を見ることの核はそこにあるかもしれない。
誰かの生き方を通して、僕らは自分がどう生きてきたのかを、そしてどう生きるかを再考させられるのだ。

そしてこれは作品を見るときだけじゃない。
日常もその繰り返しではないか。
自分の目の前の世界で起きる、様々な事象に直面した時に、
自分が何を思い、何を感じるか。自分が何を言うか。どう行動するか。
それを考える。
それは自分自身に、自分はどう生きるかを問い続ける、そんな作業なのではないかと思った。

「君たちはどう生きるか」と語りかけてくるのは宮崎駿だけじゃない。
あらゆる作品が僕たちに問いかけ、僕たち自身も日々自分に問い続けている。
僕はどう生きるか、どう生きようか。今日も考える。
答えは見つからない。答えなんてきっとない。
そんな気がする。




ぜひ全部みてくださいね…

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