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幸福は自作自演

今日机を整理していると、奥の方に、折り畳まれたメモ用紙があった。
恋文でももらったかなと開いてみると、それはおよそ一年前の自分が、あるツイートを見て、それについて思ったことを書き殴ったものだった。
それを読んで、色々と思うことがあった。
そのメモをみなさんに共有したいと思う。
以下が本文だ。

『幸福は自作自演』
昨日、成田教授がTwitterで「幸福は自作自演」と呟いていた。
個人的にとても刺さる表現で、その通りだと思った。
私たち人間は基本的に、自分の幸せを他人に委ねている。
他人が自分に何をしたか、何を言ったかで、感情はほぼ決まっているし、
それによって良い1日だったか、悪い1日だったかが決まる。
だからこそ私たちは、いつも他人からの目や評価を気にしている。
少しでも良く思われるために、そのためだけにほとんど全ての労力を割いている。
たまにバカらしくなる。自分の人生なのに、そのハンドルを他人が握ってるみたいで、自分の人生なのに、”自分で”生きてる気がしない。
私たちは他人に過度に期待してしまう。期待してしまうからこそ、傷付き悲しむ。
幸福は自作自演。
結局、自分が何をして、何をされて、何を言われて、幸せを感じるのか。
自分の幸せのツボは自分にしかわからない。
他人に何かを期待して傷つくくらいなら、その期待に自分が答えればいい。
慰めてほしいなら、労ってほしいなら、「頑張って」っていう一言が欲しいなら、自分で言えばいい。
幸福は自作自演。
幸福なんてものは、所詮、考え方で変わってしまうもので、正解なんてない。
それなら自分で自分の幸福を作って、それを自分で演じちゃえばいい。
こんな風に言うのは簡単だけれども、
実際に「他人任せの幸せ」から「自分任せの幸せ」に変えることは前途遼遠だ。
なぜならこの呪縛も小さい頃から徐々にかけられたものだからだ。
道のりは長く、呪縛から逃れられるのは遥か先の未来かもしれないけど、
今日の自分に「お疲れ、よく頑張ったね」というところから始めていきたい

以上だ。
僕はこの文章を読んだ時、愛しさを感じた。
これを書いていた頃の自分はこれまでの人生で最も自己嫌悪に陥っていた時期だった。
そんな自分が自分を労ろうと、愛そうと踏ん張っている。そんな印象を受けた。
一年前の僕が言っていることを今の自分ができているかは怪しいけど、少しずつ変われている気がする。
だからここまで辿り着いた、1年間生きた自分に言いたい。
「お疲れ、よく頑張ったね。」


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