今月の雑念(7月)

忙しい時期が一旦落ち着き、能動的に活動できる時期が少しやってきた。
noteで言語化したいことが山ほどあるが、1つ1つを書く時間は今すぐにはないので、まずは要旨だけでも、ここにまとめておく。本稿を見返して、順を追って詳細を書いていくのが狙いだ。ま、単なるメモという訳だ(笑)

人間関係における「奥行」

分人の違いだけでは説明しきれない人間関係における「奥行」。いわゆる一般的には人間関係における「距離感」と表現されるのだろうが、どこか自分にはぱっとしないため、一旦「奥行」と表現させてもらう。基本的に時間の経過によって深化し、共通点の多寡にも左右されるだろう。承認欲求と独占欲が異常に高く、孤独を強く感じる自分は、この課題にどう向き合うべきなのか。

「先輩」や「後輩」、多くの人間を一括りにすることへの苛立ち

以前、僕が「先輩」や「後輩」という言葉が嫌いということに関する短いnoteを出した。そこでは、嫌う理由として、年功序列へのアンチテーゼ的な内容を書いた。それ以外に自分は、独占欲が大きく影響していることに気づいた。「先輩」という言葉は、その人に対して「先輩」であれば、僕以外の誰にでも通じる。それが、僕の高い独占欲は大きな苛立ちを与える。僕の名前を知らなくても「先輩」とさせ呼べばいいのだ。なんて、楽なのだろうか。その一方で「先輩」であるこちら側は、相手のことを「後輩」なんて呼ぶことはできない。相手側には人間関係における「奥行」、距離感というものを勝手に調整できる権限があるように感じる。相手がこちらの名前を呼び、タメ口で話し、呼び捨てをすれば、距離感が縮まり、「先輩」と呼び敬語で話せば、距離感は遠ざかる。これは、「先輩」や「後輩」などだけではなく、「会長」などという人々を一般的に形容する言葉全てに言えることだろう。良い悪いという問題ではないが、僕のコミュニティに対する考えを深めていく上で大きなポイントなるだろうと考える。

批判と文句

最近、高校で良く「文句を言うだけは簡単なんだから、文句ばっかり言うな」みたいね旨のことを聞く。現在僕は高校で生徒会長をやらせてもらっているのだが、その活動の一環でも頻繁に耳にする。それらを聞くたびに、「たしかに、代替案や改善策を用意せずに文句だけを言うのは間違っているな」と納得する自分がいる。その一方で大きな苛立ちも覚える。それは、自分に対する批判を浴びたことによる苛立ちもあるかもしれないが、それよりも自分の信じる考え、応援する人が何か言われたような苛立ちである。

少し考え、ふと思い出した。野党が現政権を批判していることに対して、インターネット上などで「批判ばかりするな」とおいう多くのコメントについてだ。僕が生まれてからは右派政党が常に政権を握っていおり、僕が支持する政党や政治家はつねに現政権の批判をすることが多かった。僕はそれは必然であり必要なことだと考えるが、「批判ばかりするな」という考えもある。あまり政治について深く触れるつもりはないが、ここで何が言いたいかというと、「文句を言うだけは簡単なんだから、文句ばっかり言うな」という学校で頻繁に耳にする言葉と、野党批判への声が、頭の中で一致し、学生(若者)における「批判」や「文句」に関する考えについて興味が増えたということだ。学校運営において、文句ばかりを言っていてもどうにもならないのは事実だが、せっかくたくさんの文句があるのなら、それを素材に多くの取り組みができるのではないだろうか。そして、改善案の提言がないからという理由だけで生徒からの批判、不平不満を抑制する学校の風潮、ないしはそれを正義と捉えてしまう学校社会、これはこれからの民主主義に大きな影響、打撃を与えるのではないかと危惧する。権力従順が強まってしまうのではないだろうか。

僕が幼い頃、けん玉の一つの技をこなすのに苦しんでいたら、父が「~がダメなのではないか?」などと声をかけてきた。けん玉ができない父にそのようなことを言われて苛立った当時の僕は、父に対して「パパはできないんだから、人のこと言えないよ」と言った。その時、父は「たしかにそうかも。でも、それじゃ何も成長しないかもよ。」と言われた。たしかに、その通りである。学校や家の外でけん玉をやっておらず、インターネットも使ってない当時の僕は、家でけん玉をやっている上では、けん玉のできない父に声をかけられずには成長ができない。父のそのような考えは、僕の中で大きな影響があった。自分がわからないことでも、まずは自分の感じた点から問題提起をしてみる価値があるということだ。

代替案や改善案がないからといって、全てを「文句」と一括りにして抑制するのではなく、その一つ一つの耳を傾ける必要があると強く考える。
それは僕の、Gaming Organization SkyGold(所謂Eスポーツチーム)の運営や生徒会活動の中での一つの信念でもある。Eスポーツ界隈では、選手がスクリムなどの運営に対して文句を言っている際、「運営に対して、文句ばかりを言うな」みたいなコメントを見るが、僕が単なる文句、不平不満であっても、一つの貴重な意見、そして考えの素材として大切に扱おうと心掛けている。他者の考えが知れただけれ大きな価値があるだろう。生徒会長としての自分も、生徒が何気なく言ってくる学校への不平不満の1つ1つを真摯に受け止める。そして、できるだけ学校にいる多くの人が、何気ない不平不満を僕に言い、みんなで共有し合える学校環境を構築できるよう心がけている。

あれ、気づいたら長くなってしまった。
これはこれで、1つのnoteが書けるではないか。少し、他者との会話を経て、考えを深めてから、「批判と文句」について1つのnoteに書いてみる。


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