ゲームセンターと今と昔。そして心の弾力

共感できる話かどうか分からないが、共感してくれる人がいてくれるとしたらきっと一緒にお酒片手に話したい人。:-D

ゲームセンターと言えば

ゲームセンターと言えば何を思う浮かべるだろうか?UFOキャッチャー、プリクラ、レースゲーム、太鼓の達人、、、いろいろあるが、僕はメダルゲーム一択である。

ゲームセンターと昔

子供のころ、子供の頃と言っても小学生くらいの間だが、僕はゲームセンターが好きだった。もっと言うと、週末にショッピングセンターに家族と向かい、その買い物がてら2階にあるゲームセンターで遊ぶその時間が好きであった。母は見守るか生鮮食品へ向かい、父と弟妹で遊ぶ。

軍資金はいつも100円であった。100円と言うと大体メダル10枚と交換される。お分かりだろうか、あのメダルを入れるバケツに入れると底がちょうど埋まるくらいで、ほとんど入っていないような重さである。

カップ: http://www.khs-net-game.com/view.php?pageId=1098

それでもその始まりの瞬間はワクワクするもので、どの台で遊ぼうか、どうやってチマチマ増やして、貯金まで持っていって次回へ持ち越してやろうか、と妄想を膨らます。

そして30分~1時間もあればほとんどの場合、使い切ってしまう。確かに瞬間的には物足りなさはあるけれども、それはそれでお金を無駄にしないことと、消費癖のコントロール装置をインストールするいい機会であった。

けれどもそこには満足感と幸福感がある。次回もある、と。

たまに、ゲームセンターから葉書がきていた。それは"メダルプレゼント!"のようなものであった。この”特別回”は本当に貴重で、いつもの週末よりも気合が入る。とは言え、家族で分ければ、30〜50枚くらいの軍資金だったがそれでも楽しかった。

そこから中学に上がると、時間的にも印象的にも足が遠のいてしまった。

ゲームセンターと今

大学に上がってしばらくしてから少し足を運ぶようになっていった。今は友達と足を運んでいる。

さて、今では歳を食ったおかげで、そんな幼少期時代では利用できなかった時間帯にも足を運ぶことができるようになった。昨日も10時だろうか、11時だろうか、しっかりとは覚えていない。ゲームセンターへ行った。

なぜ今日かと言うと、最寄りのゲームセンターでは偶にLINEでメダルプレゼントの”特別回”の通知がやってくる。それを利用しに行ったのだ。その際は無料で200枚のメダルがいただけることになる。

さらに、特定のタイミングで、バンクを作ったことの特典により発生した、定期的にメダルをいただける券を利用すると、本当に無料で、300枚くらい手元にやってくる。

現金で言えば1000円~2000円くらいのものである。

それを軍資金に遊ぶ。友達をワイワイいいながらやるのである。幼少期に触っていた台とはまったく別物である。大きなルーレットのあるものである。

楽しい、と直感的に感じるのである。

そしてたまにあること、本当に狙っているわけではないのだが、普段もっと桁が違う量で遊んでいるおじさまおばさまが、彼らからしたら"余りメダル"のものをくれたりするのだ。(それでも200~300枚くらい) これがまたついで、レベルで遊んでいる我々からすればまた大きい話である。しかも温めた台まで譲ってくれる。なんて。。。。

と、ここまで出てきた話、全部0円でできてる。

ラッキー、と直感的に感じるのである。
使う容器だってもうカップではない、ドル箱だ:http://www.khs-net-game.com/view.php?pageId=1075

そしてまた30分~1時間もあればほとんどの場合、使い切ってしまう。物足りなさはまだあるが、とは言えやり切った感があり続けようとは思わないレベルまで感じさせてくれる。

けれどもそこには幸福感がない。楽しいけれども幸福感はない。

今と昔

小学生の僕なら、その枚数のメダルが手元にあればどう感じていたのだろうか。おそらく幸せだっただろうか。

ただもっと思うのは結局それが何枚であってもそれは幸せであったということ。

10枚だろうが、100枚だろうが、1000枚だろうが、嬉しかっただろう。

逆に今は、10枚じゃ足りないだろうし、1000枚でも嬉しいんだけども、どこか虚無があって、幼少期に感じていたそれとは大きく異なる、ものである気がする。

あんなに節約癖があったのに今じゃ自販機で飲み物を買い、スーパーじゃなくてコンビニでアイスを買うようになったね、とちょっとずつお金の価値感がずれる、上がるのと同じように、メダル一つとっても価値観の変容があることがわかる。

自分を大人と呼ぶにはまだまだクソ青二才であるが、幼少の自分が今の自分を見たならば、きっとそれに近い属性に属するものと見てくれるだろう。

心の弾力

これで言えそうなことが抽出できてきたのでここに置いておく。

大人になっていくにつれ、金銭の価値観や規模感はアップデートされて次第に、以前満足していたものでは満足できなくなる。だからといって、そのまま大きさを大きくするだけでは、従来の満足感は得られない。

従来の延長線上で何かを大きくし続けても、どこかで天井がある。それでは以前感じていた情も霞んでいくだけである。ある種それ自体を感じることも哀愁であるが、心の弾力が落ちていく。

さらに比較で言うのであれば、幼少期はさらなる楽しさを純粋に求め、場を利用していたのに対し、今はストレスの吐口として場を利用しているようなものである。

おそらくこの文脈と言うのが大事で、ネガティブな文脈から入ったところで、結局何をしてもネガティブに消化して終わりになっているのだろうなと。そしてその幼少期の文脈はすぐにお金で買えるものではなく長い期間をかけてできるものであると。(だからゲーセンが悪ではなくてむしろその文脈できてる自分が悪)

マイナスに何をかけてもマイナスであるように、マイナスな感情に対してどれだけお金の実数値をかけても解は負の数である

このゲームセンターに閉じた話ではなくて、人生の中でも、金銭だけでの軸やその規模感に囚われない方法での本当の充実感と幸福感を生み出せるような生き方をしたい、と思うわけである。(終)

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