はじめまして、何暗さんと何明さん

自己紹介の記事というものに、はじめて必要性を感じたので、書くことにした。

わたしは長年、自分の名前が好きではなかった。別に名前の文字続きがいやなのではない(好きでもないが)。自分に社会的な名前が与えられていること、その名前がこの肉体、社会的存在としての自分に紐付けられていることそのものがいやだったのであって、自分の名前が諒太郎でもピカチュウでも何でもいやだっただろう。名乗るとき、わたしはわたしがここに存在するという事実を認めなくてはならなくなる。自己紹介するときはいつも、自分の名前に「いちおう」を冠したい衝動に駆られていた。

ここ一、二年で、ようやく、自分に名前がついているということへの嫌悪感は少しずつ薄れてきた。

しかしまだ、わたしは自分の名前がついてくる文章を書くのが苦痛である。苦痛すぎて、文章をうまく書けない。文章をうまく書けないから、わたしの心はいつも居場所をもたず、さまよいいでてはわたしを苦しめる。だからわたしは、生きるための知恵として、自分を自分から逃してやるための名前を、自分に与えてやることにした。それが何暗である。

何暗という名前は、さきに音が決まった。カアン。これはデンマークの小説家、Karen Blixenから来ている。わたしにはじめて彼女の作品を見せてくれたのはちくまの『高校生のための文章読本』だ。幼少の頃からの愛読書である。そこでは彼女はアイザック・ディネーセンとクレジットされていたが、このカタカナ表記はどうも不徹底・不正確なようで、近年ではイサク・ディーネセンと呼ぶらしい。男性名だ。バロネス・ブリクセンは英語ではこの男性名で小説を発表したが、母語では本名でもいくつかの作品を発表した。

彼女の作品は、幼少期、好きではあったが、一番に好きだったわけではなかった。しかしこの2019年の早春、『アフリカの日々』を読んでいて、ここがわたしの帰る場所だったと思った。わたしは彼女の名前の音をもらった。神楽坂のかもめブックスで彼女の小展示をみて、彼女の書斎のたたずまいを心に刻んだ。


何暗さんに出会って、わたしはとても暮らしやすくなった。何暗さんの言葉がわたしの新しい足である。何暗さんのおかげで、わたしは今まで諦めていたたくさんの新しい場所に行けた。しばらくは、何暗というのが何者であるか、言葉にする必要はなにもないと思っていた。

しかし次第に、「わたしはこれを話して身軽になってしまいたいが、何暗さんにそんなつまらないことを言わせたくはない」と思うような事象が増えて、何暗さんは口をつぐんでしまった。これは苦しい。


そこで昨日、何暗さんから自ら切り離される役目を買ってでてくれたのが、何光さんであった。正確には、何暗さんの対となるのであれば何明さんであるべきだが、それでもよかろう。

何光さんは肉体を持つわたし、家族を持つわたし、何暗さんが生まれでてくる前の過去のわたしに、とても近い。でもわたしその人ではないので、虚実とり混ぜながら、何暗さんのかわりに、わたしのかわりに、吐き出したいことを吐き出し、保存しておいてくれる。なかなか助かる。


何光さんが言うことは何暗さんやわたしにとっては重りにしかならない部分であり、何光さんはその重りを海の底にしずめておくことで、何暗さんの自己同一性と自由を守ろうとしてくれているのだ。何暗さんのノートと何光さんのノートの性質の違いはそこにある。


今わたしはわたしを切り分けたような言い方をしているが、別に離人を起こしているわけでもなければ、複数の人格を一つの体に共存させているわけではない。これは、強い自己嫌悪を抱えた者が自分の中の許せる部分を許せない自分の巻き添えにしないように助けるための措置なのである。もうすこし細かに言い直せば、「ものの見えたる光」(芭蕉の言、三冊子より)、何かまことのものにふれたときの喜びだけに忠実でありたい者が、自分を低みの中にひきずりおろそうとする力に一生懸命あらがうときの措置なのである。

何かすごく精神的に追い詰められた人のノートに見えるかもしれない。奇をてらった態度のようにも見えるかもしれない。しかしわたしは、そんなつもりはまったくない。以前に比べると文章がひどく下手になっていて辛いが、書き続けることで少しでも練習していくつもりだ。公開してからも延々推敲を繰り返すだろうが、どうかご容赦いただきたいと思う。


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