_タクシードライバーは見た__60歳を越えたタクシー運転手の幸せな働き方_のコピー__88_

#タクシードライバーは見た「慧眼を授かった瞬間」

その言葉は、私に慧眼(ケイガン)授けたような一言だった。
平日のある日、街中のお昼の賑わいが落ち着いた頃、東京駅から少し離れたオフィス街で3人の男性のお客様をお乗せした。
緩みが無く、身なりを整えたスーツ姿の3人は誰もが一度は耳にしたことあるような大手企業の本社ビルから出てきた。
50代前半と40代中盤と20代後半だと思われるの3人は表情もよく、終始、車内での会話も弾み良い関係性なのが伝わってくる。

目的地は明治神宮だった。
比較的距離が離れていることもあって、高速を利用し向かうことになった。
高速を利用するお仕事は有難い。
距離があって売上が立つ上に時間も短くて済む。
快然たる思いでハンドルを握った。

高速を走りはじめたほどなくしたころ、ある会話がひと段落つき、後ろの上司から助手席に乗る20代後半の部下へ声がかけられた。
「そういえば、足立(仮名)、来週結婚式やろ~?」
「そうなんですよ、でもこんなコロナの影響のなかどうなるのか」
「そうだよな~」
何気ない会話ではあるが、そこに私の心はリアクションした。

―――この方、来週結婚式なのか。
お客様の待ち遠しいイベントが間もなくだった。
その楽しみの前に、事故をしてはならぬと身が引き締まる。
普段から事故を起こさない安全運転を心がけているが、お客様の命をお預かりしているという感覚が意識下から離れているときもある。
その時がそれに当たったのか、結婚式を前にしたお客様とその上司も安全にお送りせねばと思った。
きっと関係性からいっても、お仕事も調子が良いのだろう。
コロナウイルスの問題が世間を騒がせているとはいえその方の幸せの瞬間が訪れる。
そう思考が巡ると、集中の度合いがグッとあがるように感じ、専心したような感覚が自分の中に生まれた。
と同時に、
―――今ならマリオカートのスター状態かもしれない。
そんなフザケタ感覚も同時に起き、あらゆることへの感覚が働いていた。
「来週結婚式やろ~?」この言葉が慧眼を僕に授けたように。

高速を降り、その後も難なく目的地の明治神宮へ向かった。
明治神宮に行くことは仕事の関係であって、結婚式の関連はなかったようだった。
明治神宮の敷地内へ入ると、都心の中に突如現れる画然とした自然の空間が、ご褒美の様な気がして、慧眼に授かったことによって何かを感じ取れるような気もした。

お客様を降ろし、再び外へ戻ろうとするなか一人、車内で僕の口から出ていた明治神宮への感想は、
「うわ~森だな~、森。もうこれ森だよ、めっちゃ森」
おそらく慧眼は授かっていなかったのかもしれない。

いや、シンプルさほど難しいことはない。
“森”という言葉以外出てこない、この空間への本質的な何かを感じ取っていたのかもしれない。
モノは言いようだ。

僕はあの時、慧眼を授かった。

(明治神宮敷地内の写真)

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