政治の役割は国民の自由を守ること
こんにちわこんばんわ。
全ての増税に反対し、全ての減税に賛成する自由人、七篠ひとり(@w4rZ1NTzltBKRwQ)です。
今日はこちらのポストから。
こちらは兵庫県明石市の前市長である泉房穂氏のこのポストに対するものなのですが、
彼の「税と社会保障の国民負担は下げるべき」というここ最近の主張を知っているだけにスルーしようかとも思ったのですが、やっぱりおかしいものはおかしいので言わせて頂こうというのが冒頭のポストになります。
あらためて言いましょう。
「政治の役割は国民の自由を守ること」です。
「政治の役割は国民を救うこと」なんて考えは政治家の驕り以外の何物でもありません。
もしそうではなく、「政治の役割は国民を救うこと」と本気で思っているのなら、いま私が何に困っているかを是非答えてみてください。
「救う」には「何に困っているか」を把握しないことには不可能です。
私が何に困っているかを理解しない限り、私を「救う」なんて起こりえません。
この国には1億2330万人の人が生活していますが、それは1億2330万通りの人生を意味します。
そんなそれぞれが歩む尊い人生ひとつひとつを、政治家ごときが「救う」なんて出来るはずはなく、
出来ることは「政治家自身が理想とする社会」を押し付ける事だけ
です。
もちろん泉氏にそのような意図はなく国民それぞれの幸せを願っての言葉だと理解していますが、「国民を救う」なんて言葉が出てくるのは頭のどこかに「政府は全知全能である」という意識があるからだと私は思います。
これは「政治家は無能」であるとか「欲にまみれた汚い人間」などといった低俗な批判ではありません。
政治家も有権者も同じ「人」でしかありませんから、その政治家が国民を「救う」なんて発想はおこがましいものでしかないという話です。
私達には、それぞれが自分の人生を自分の選んだ方法で生きる権利があります。
この言葉の重要な部分は「それぞれが」というところであり、だからこそ自分の人生のために他人の権利を侵害したり自由を奪ってはいけません。
つまり自分の権利や自由は、他人の自由や権利を守ることによりのみ守ることが出来るのです。
とはいえ他人の権利を侵害したり自由を奪うことは、意図的であるか不可抗力であるかの違いはあるものの残念ながら絶対に起こってしまいます。
だからこそそういった人達の暴力や嘘や過失などから国民の自由を守るのが政府の役割です。
しかし政府のやることには必ず「強制力」を伴います。
「強制力」を伴うからこそ政府の権力を制限する必要があり、そのために「憲法」で国家が出来ることには縛りを掛けています。
この「憲法がある理由」は政治思想の問題ではありません。
「政府は国民の権利侵害を行う力がある」という事実に沿ったものです。
しかし今の国会議員にこれが理解できているとは思えません。
これは私見ですが、今の政治に圧倒的に足りないものは
政府とは個人の生活に介入し、規制を作り、国民が稼いだお金を本人の同意なしに押収出来る組織という自覚
だと思います。
だかこそ「高いガソリン価格に慣れろ」だの「政府が負担していると知らしめる」といった勘違いも甚だしい言葉が平気で出てくるのでしょう。
「政府が国民を救う」という驕りもその一端だと私は思います。
政治の役割は「国民の自由を守ること」です。
しかしそれを理解する政治家は残念ながらこの国にはほぼ皆無です。
ですのでそんな驕った政治家から国民の自由を守ることが我々のやるべきことでしょう。
それを端的に表した言葉が
全ての増税に反対
なのだと思います。
ということで、今日の記事はここまで。
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