《新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会 (第10回) 議事録》の関心ポイント
note『休校要請から~その⑥ リモート学習と家庭学習の発展(前編)』で資料として登場した『新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会』に引き続き注目しています。
公教育のかじ取りにどのような意見が交わされているのか。
そのなかから興味関心のあるものを抜き出しながら、私の考えなどを書いていきます。
新しい時代の初等中等教育の在り方特別部会(第10回)会議資料
ICTの活用の位置づけ
さまざまな場面・分野でのICT活用とその環境整備が、国の政策として押し進められています。教育分野も然り、です。急速に提案が持ち上がり、そして進められているようにも見えますが、実は長年取り組まれている政策で、昨今の「自粛生活」をきっかけに注目度が増したものといえます。
イメージが先行しており、ICT活用におけるオンライン授業への期待が高まっていますが、具体的にはどのような活用が考えられるのか。それによって知り得ることは、ICT環境がなにをもたらすのかという点です。
◎既存のアナログ管理をデジタル化する
「数値化」することで視覚化が可能となります。数値が示す効果を検証し、改善の手助けに役立ちますが、そればかりで判断決定されるようになってはならない観点も大切です。
◎ICTで可能なアクションを活用する
ICT技能の部分です。活用できる人材の所在が重要になってくるでしょう。教育分野であれば、これまでの「教員」になるべく必要な知識と技術の革新が必要だと考えられるでしょう。第一段階は今活躍している教員方々への支援のカタチになるでしょうが、今後は・・・というところではないでしょうか。
教科担任制導入
公教育である学校運営の見直しについてです。公教育のなりたちは農村部と都市部の「教育格差」を縮める教育の均等な機会の確保ですが、別の側面から見れば「国家教育を等しく浸透させること」にもあります。近現代の公教育は、就学率も充分に高まりました。本質的な課題である「日本社会を支える人材育成」が表立ってきています。「いかに高度な学びを提供できるか」という課題です。私はこれを「エリート教育」と呼んでいます。
一方で、『働き方改革』と連動するものになるのは必至でしょう。
◎高学年からスタート
「発達段階として適切な時期に」という考えがうかがえます。しかしそうであるならば、「学年主義」が前提にあるということになるのでしょうか。
◎授業時間のうち「専門性の高い先生」がもつ授業数を図るなど、教科担任が授業時間の運営を担う裁量を持つ仕組みに
学校の自治と自律は非常に重要な課題だと思われます。やや精神論になりがちではありますが、先に「信頼と信用」の基礎を作っていくことからであり、その「証明」が求められるようならば、逆に人間らしい温かみのあるそれは叶えられないような気がします。
遠隔授業とオンライン授業
「自粛生活」「新しい生活様式」「リモート勤務」など、リアルな対面とは違ったイメージを持つインターネットを活用した「画面越し」のコミュニケーションの在り方については、実際にできること・起こっていることの体感が無ければ、やはりイメージ先行で曖昧に進んでしまいます。
言葉の定義により、具体的な事実を明確にしていくことはとても重要だと思います。「こうでなければならない」モノサシを作るのではなく、共通言語にするために必要な共通理解のためです。
共通理解のない議論が、合意形成に至るのは難しいですよね。
資料1 義務教育9年間を見通した教科担任制の在り方に係る
論点メモ(案)
◎「遠隔授業」「オンライン教育」の定義
島しょ地域、過疎地域など、学校では特に主要5科目以外の教科の先生がおらず、遠隔授業がそれを補っていることで知られています。一方、「オンライン授業」のイメージも前のnoteにも書いたように〔①オンデマンド授業配信②反転授業③双方向型授業〕が充分に周知されておらず、①のイメージが強いです。
前者は環境整備を担う手段として活用される条件のひとつに、「インターネット環境を用いること」があり、後者はその方法論という観点が重要になると整理してよいだろうかと思っています。
◎対面授業とオンライン授業
学校教育は国の定める学習指導要領に基づいて学習課程(カリキュラム)が構成され、その評価方法も示されています。この決定事項が最優先となりますし、その方針の変更と実施には決まった年月があります。
それに従うことは慣例かもしれませんが、必要なことかもしれません。その根拠を崩すほどのものがあり得るのか、という議論はまだ現れていないように思います。そのため、そもそもの学校教育の教授法の根幹である「対面授業識」は、崩すことは非常に困難なことだと思われます。これは「集団教育」の根幹でもあるといえるからです。
ここに〔公教育の目的〕を問い直す必要は出てくるでしょう。
教員養成課程・免許制度の見直し
学校運営のありかたについて数々の提案が散見しますが、その多くは地方とは対照的な「中心」からの発信であるように思えます。地方の実態と、そしてその実態が全国に示す割合を知ることで、本当に〔全国的〕や視野で求められている現状を理解できるのではないでしょうか。
◎複式学級
ふたつ以上の学年が、同じ教室で、同じ時間帯に授業が展開します。児童生徒数が少なく、配置される教員数も少ない学校で見られます。学年を超えた学びの体験ができておもしろいものではあります。長期的な学習計画という感覚が出来上がります。しかしそれは生徒側の視点であり、学校運営という点では早く「解消したい」事態であるそうです。
教科の専門性が後回しになり、専門外の教科を担当するという教育環境が、「学年別にカリキュラムを履修し、習得する前提」に反するので望ましくないということかもしれません。
複式学級にせざるを得ない少子化の現実を前にしては、逆に「複式学級をよりスムーズに展開できる」整備として、教員免許取得の仕組み等の改善が求められるということなのでしょう。
複式学級の是非は、問われるのでしょうか。少人数制学級の実現と、どのようにすり合わせることができるでしょうか。
◎乗り入れ授業
幼稚園から小学校へ、小学校から中学校へ、中学校から高校へのつなぎ目に溝の無い「連携」が重視されるようになっています。中学校の先生が小学校へ授業をするなどの実践が展開されています。進学に伴うギャップの解消にと期待があるようです。
日本の教育制度は『6・3・3制』と呼ばれています。これを基礎に中高一貫、小中一貫校もあります。それらの学校はカリキュラムが「6・3・3制」ではなく、「9年」であったり「12年」であったりします。私立学校の良さとして知られている側面でもありますね。
『義務教育学校』は、小中学校の9年間の義務教育を見通したカリキュラムに基づいた学校運営・計画が立てられるメリットがありそうです。
修得主義
「オンライン授業による学習を履修とみなすためには」という前提から始まる言説にありがちな論理が下記の部分です。こういった主張はツィッターでもよく見られますね。そういった期待が大きいことを示していることはわかります。(これについての意見はnote『遠隔授業とオンライン授業の定義は(2020年10月萩生田文科相の記者会見に思う)』で書きました。)
しかし、これは「アレを実現するためには、ソレが必要」という論法であって、議論の軸がすり替えられがちな点が残ります。重要な「習得主義とはなにか。それが実現することで起こり得る事実」については掘り下げられることがありません。「目的実現のためには手段をえらばない」ようであってはいけませんよね。その手段が、ついには、隠れた目的を遂行するために利用されることは多々起こるからです。
参考)
学校の再配置〔組合立学校、分校の活用、統廃合〕
ここでは「公教育の運営」が垣間見えます。学校教育の存続、現状維持の課題ともいえます。その前提を疑うことは公教育の在り方をも問い直すことにつながるのではと思います。
家庭において、そして学習者個人が求める学習環境において求められていることはなにか。それについては、誰が、どのように聞き取る方法があるでしょうか。
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