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高校教科書を読みたいと思ったら~【提案】探し方・選び方~

(最終更新:2023/6/10)
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教科書を選ぶことができる


 ホームスクールで過ごすこどもたちは、小中学校の義務教育期間は、在籍する学校の生徒となっています。家庭で教科学習をする場合、在籍校で使う教科書は無償でいただけるので、ほとんどのご家庭ではそれを使うことが通常だと思います。もちろんそれ以外の教科書を使ってもなんら問題はありません。さらに高校で使う教科書となれば、限定される理由がないので、好きに選ぶことができます。


 上記のnoteは、「○○からはじめるホームスクール」シリーズで、中学卒業後、高校生に相当する年齢からはじめる理由や動機を考えてみた内容です。マガジンに含まれています。

 このnoteでは、高校の教科書の探し方を、今後も使う目的でまとめます。

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教科書に対する考え方

 教科書に対する考えは、こちらのnoteで書きました。

 教科用図書といいます。 
 「教科書を学ぶ」「教科書で学ぶ」とも違います。本の好みは人それぞれで、読みたくなる本も、その時々で違うわけですが、教科書を読みたくなる時も、人それぞれあると思うんです。
 ちなみに私は、教科書をもらったときが一番そのピークでしたかね。教科書は読み物、です。おもしろいんです。「こんなことが書いてあるんだ!」っていうのがもっぱらの感想だった気がします。
 

高校の教科科目

 長女が通信制高校に在籍していたとき。「高校で学習する内容を知りたい」と学習コーチに相談したことがありました。返ってきた答えは「高認受験のための学習ガイド」でした。即座に「そうじゃない」感満載で、その後、私は相談をやめてしまった経緯があります。「不登校の受け皿」となっている高校を選んだわけではなかったのですが、〔日本籍で、事実上の不登校の生徒〕というフィルターがそうさせたのかな、と感じた根拠がありました。単に〔日本の学校が合わない〕から〔こちらで〕という選択だったのに〔学校が合わない理由〕に焦点があたってしまい、腫物を触る態度であったと記憶しています。どうやら保護者である私に対して大層、気を遣ったんでしょうね。
 学習課程の内容は単元ごとに段階的に組み立てられています。最終的なゴールが置いてあるとして、【「この単元を理解するために必要な学習をする」単元】でつながっています。遡るようにして、いわゆる「基礎」が見出されます。今度は、逆にその「基礎」から順に学習していくことが、学習課程の組み立てです。
 「理解するために何が必要なのか」。そんな全体的な見通しがあると、「なぜ今これを理解する必要があるのか」を納得できる生徒もいるでしょう。でも大概は「今、与えられた課題をこなすこと」が先決で、「なんのために」「なぜ」が見えなくて迷子になりやすいのかしら、なんて思います。

 kokageホームページでは、一条校いわゆる学校で学習する教科科目の一覧を挙げています。「普通教育」と「高等教育」の分類があります。「普通教育」が定義するふたつのうちのひとつを知るためのページです。
 学習指導要領は10年ごとの中教審による審議で都度更新され、教科の名前が変更したり、選択科目の変更があったりと、時代に合わせた内容に移り変わります。(ページを公開した時点では令和4年は未来でした。今後、新しくなった時、更新するかは決めていません。)
 親の時代と違った内容、考え方、解き方、記述が登場しますから、「自分たちが習った内容と違う」ことはよく理解しておきたいですね。同時に、「基礎教育は世界でも同じ内容」だとも思わないことです。例えば数字の書き方、計算式の書き方など世界共通だと、無意識に思い込んでいることも多いですよね。数の概念、空間の概念は、案外、文化的な背景も影響するものです。だから教科書の内容は、非常に、国家教育的です。

ホームスクーリング・センターkokageまなびあい学校教育制度・教科科目

 こちらページの読み方は、マガジン『ホームスクール・センターkokage サイトマップ編』に含まれた下記noteをご参照ください。

 このページの解説コラムはこちら。「普通教育」の定義を記したほか、自由教育の可能性について書いています。「学校教育」と「自由教育」が並列した「普通教育」であり、公教育は、双方を対等に保障する機関となるイメージを持つことができれば、と思います。その段階を経て、いずれは包括した構造に発展する可能性も考えてみたいことです。教育は、すべての人に関わることなので、ひとりひとりがどのようなものでもなにかしらの考え、ポリシーを持っているといいなと思います。そうすれば「選ぶ」ことを決定できますから。もちろん「選ばない」選択肢を持つことも理解するでしょう。

 
 教科書に対する考え方と、教科書をどのように活用するのかについては、上記のnoteからご理解いただけるとうれしいです。
 ホームスクールのやりかたは家庭それぞれで、在籍する学校の「家庭学習」をすすめる手段として、学校の学習課程とは異なる進度や内容に取り組むこともあるでしょう。年齢相当の学年を越えた学習に取り組むため、独自のカリキュラムを選ぶこともあるでしょう。いろんな方法と手段を選ぶ家庭で、「高校の教科書を使う」とき、どんな方法があるかを探ります。

「国語の教科書、もっとない?」

 14歳頃(中学3年生)になって、国語の教科書を読み始めた子がいます。我が家では無償でいただいた小中学校の教科書は、ほぼ本棚に揃っています。特に、それら教科書を使って学習する機会は設けていません。参考書のように使うことはときどきあります。
 「国語を学習する」感覚とは違いました。
 代表する文学を知るためや、国語文法の基礎を確認するために開きました。そのうち、コラムのようなエッセイのような、短文で読める文章の内容がおもしろく感じたらしく、ときおり読んでいる様子がありました。
 そして、先日こう言ったのでした。

「国語の教科書、もっとない?」。

 高校の教科書はどうだろうか?
 文章理解は問題ないでしょうから、そう考えました。

教科書を購入できる書店

 教科書は、一般の書店でも購入することができます。けれど、それなりの都会にある大きな書店でないと難しいです。
 検索するときは「教科書取次店」「教科書取扱店」「教科書取次供給所」などのキーワードで探すと、各県の一覧が出てきます。
 ちなみに沖縄の例ではこちらです。近所の書店から注文・取り寄せができそうです。


検索結果例

教科書供給会社に出向いて購入・注文する

 教科書販売をしている教科書供給会社が全国にあります。そこで注文することもできます。一度、長女が高校数学の教科書を探していた時、大きな書店から紹介されて、知りました。実際、教科書を手に取って、中身を確認してから購入することができる点が良かったです。英語版の日本の教科書も置いていました。基地内の学校で使用されるそうです。

ネット通販を利用する(広島県教科書販売)

 こちらは以前、ホームスクールをなさっているご家庭から教えて頂いたサイトです。

 リンクしたのは「高校生向け」のページですが、小学生・中学生、小中高教科書ガイドまで取りそろえられています。

出版社別で比較してみる

 今回、探しているのは「高校で使われる国語の教科書」です。
 再確認しますが、「国語」の教科だけでも6科目あるんですよね。国語〔現代の国語、言語文化、論理国語、文学国語、国語表現、古典探究〕です。いったいなにがどのような内容なのか、簡単な解説サイトを見つけたらご紹介したいです。
 ちなみに文科省から『各科目の目標及び内容の系統表(PDFファイル)』なるものがありますが、「なにを身につけさせたいか」がわかります。「そのために何をしろ」というのもわかります。が、いずれも《スキルの身に着けかた》ではあるのでしょうが、そのスキルを身に着けたいと夢中になる【内発的動機付け】は、教育的には、どこに位置づけられているのだろうと考えてしまいます。(ちょっと横道にそれましたか。)アンスクーリングな我が家としては不要な内容でした。学びの在り方は、例えば同じ内容の講義を聴いていても、同じ本を読んでいても、受け手の理解の進度、それまでの知識の集積との連鎖反応、興味関心に由来する方向性が、個々人で異なるものです。「どのように・なにを学んでいくのか」は非常に個別の事柄だからです。

 「どの科目にする?」

 さらに、〔出版社〕も複数あります。

「教科書の絵で、なんとなく選ぶ?」
「目次で選ぼう」。
というわけで、地道に各出版社から出されている教科書の内容・目次を確認することになりました。

1⃣各科目の内容を確認する
2⃣購入する科目を決定する
3⃣出版社を決定する

 ひとつの出版社のHPから、各科目の内容を確認します。
 そこで、今回は「文学国語」を選びました。それ以外で、私が個人的に興味のある分野で「言語文化」と「古典探究」の教科書は本棚に並べておきたいと考えています。のちのち見直すので、ここでリストにしておきます。

東京書籍 文学国語〔701〕


三省堂 精 選文学国語〔702〕


三省堂 新 文学国語〔703〕


大修館書店 文学国語〔704〕


大修館書店 新編 文学国語〔705〕


数研出版 文学国語〔706〕


明治書院 文学国語〔707〕

ダイジェスト版
https://www.meijishoin.co.jp/files/BK707_2023.pdf

筑摩書房 文学国語〔708〕


第一学習社 高等学校 文学国語〔709〕


第一学習社 高等学校 標準 文学国語〔710〕


桐原書店 探求 文学国語〔711〕


教科書目録から教科書番号を確認する


 科目の横にある番号は「教番(教科書番号)」といいます。教科書を特定するのに便利な番号で、教科書ガイドは同番号で探すため利用されます。「下二桁の番号は数字の多いほうほど難易度が高い」と教えられたことがあるのですが、根拠はないかなと思います。百の位は年度ごとに替わりますし、下二桁は教科書目録にある出版社の順番に並んでいます。発行者の番号の割り振りがまずあって、その順番に並んだ教科書順に番号が01から振られているようです。


発行者番号 出版社名
 2    東京書籍 
15   三省堂
50   大修館書店
104 数研出版
109 文英堂
117 明治書院
143 筑摩書房
183 第一学習社
212 桐原

文科省検定済教科書および文科省著作教科書/教科書目録より


高校で実際に使用している教科書番号を調べる

 そんな選び方もおもしろいかもしれません。今は各学校でホームページが作られていますし、採択した教科書を公開しています。公立の小中学校なら都道府県の教育委員会から各自治体が採択している「教科書一覧」が公開されています。

教科と科目

 教科別に教科書を選ぶ方が良さそうです。科目内容がそれぞれに連携して構成されているからです。科目ごとに教科書を選ぶと、その連携が無くなりますから。もちろんそれで問題ない場合もあると思います。

高校 
教科:科目
国語:現代の国語、言語文化、論理国語、文学国語、国語表現、古典探究
地理歴史:地理総合、地理探究、歴史総合、世界史探究、日本史探究
公民:公共、倫理、政治・経済
数学:数学Ⅰ、数学Ⅱ、数学Ⅲ、数学A、数学B、数学C
理科:科学と人間生活、物理基礎、物理、化学基礎、化学、生物基礎、生物、地学基礎、地学
保健体育:体育、保健
芸術:音楽Ⅰ、音楽Ⅱ、音楽Ⅲ、美術Ⅰ、美術Ⅱ、美術Ⅲ、工芸Ⅰ、工芸Ⅱ、工芸Ⅲ、書道Ⅰ、書道Ⅱ、書道Ⅲ
外国語:英語コミュニケーションⅠ、英語コミュニケーションⅡ、英語コミュニケーションⅢ、論理・表現Ⅰ、論理・表現Ⅱ、論理・表現Ⅲ
家庭:家庭基礎、家庭総合
情報:情報Ⅰ、情報Ⅱ理数:理数探究基礎、理数探究
総合的な探究の時間

中学校
国語、社会、数学、理科、音楽、美術、保健体育、技術家庭、外国語、道徳、総合学習、特別活動

小学校
国語、社会、算数、理科、音楽、図画工作、家庭、体育、生活、道徳、外国語活動、​総合学習、特別活動


大学で使われる教科書は

 大学の講義で使われている教科書も手に入れることができるだろうか。調べてみました。

 一般書店で購入できる場合もありそうですね。
 使用する教科書を調べるには、各大学のホームページから「シラバス」を検索すると、授業内容や教科書等の情報が公開されていますから、そこから確認することができます。
 「大学生でないといけないもの」と思わず、手に取ってみるのもまたおもしろいと思います。基本的に学習はオープンなものです。なにを学びたいか、どの教授から学びたいか、という視点も大学選びの重要な条件に加わるものだと思います。

 完璧主義な日本の教育体制は、「理解できる者だけが、理解するために」みたいな側面があるように感じます。でもその前に「学問への好奇心」のほうが優っていてよいと思うんですね。「理解できなければ、それをやる資格はない」などと思い込まないで、「これってなんだろう。どういうものなんだろう。社会でどんなふうに使われているんだろう」とか、好奇心で触れてみてよいと思います。

いつでも・どこでも・だれでも・なんでも

 これは『生涯学習』の基本的な理念です。
 ただどういうわけか、行政が発信する場合の「生涯学習」からは、「なんでも」はありません。「いつでも・どこでも・だれでも」の3つだけになっています。公共の福祉の観点からは、「なんでも」というわけにはいかないのかもしれませんね。一般の図書館と、学校図書の違いと同様のようです。一般の図書館は、市民の【知る権利】が尊重されますが、学校図書は学校教育の学習の為に選ばれた図書です。そんな違いがあります。

 『生涯学習』は、ホームスクール発信をおこなうkokageの基本理念で、我が家のアンスクーリングの基本姿勢でもあります。ですからnote記事でも何度も出てきます。

 市民の権利としての「学習」の理解を深めたいですね。そして、そのための教育制度が充分に整うためにも、やはり市民が「権利」を理解することが先だとも考えます。それは果たして、学校で習う様な「権利と義務」の関係でしょうか。その問いから、始めましょう。


図書館の最大活用を見直す

日本最大の図書館蔵書検索サイト「カーリル」

 図書館で教科書を借りることはできるかな?
 検索してみました。

 結果は、「教科書ガイド」ならあります。そのほか、教科の内容がわかるような著書も多数見つかります。教科書を購入して、家に置いておくほどでは無いけど、さらりと内容だけ見てみたい、確認したいなんていうときに活用できそうですね。

 教科書のほかに資料集がありますが、国語でいうと『国語便覧』があります。個人的にわたしはこれがとても大好きでした。『国語便覧』は図書館に置かれているようです。
 教科書準拠の社会資料集も借りることが可能ですね。

 【日本最大の図書館蔵書検索サイト「カーリル」】は、生活圏内にある図書館を登録することができ、検索した図書を蔵書している図書館を知ることができます。もし、無かったとしても、他の図書館から取り寄せて、近くの図書館から借りることもできます。
 わたしは他図書館にあると確認できたら、近くの図書館に出かけていって、予約・リクエストをしてきます。1か月も待ちません。ただし返却日は延長できません。以前は「リクエスト本が届きました」の連絡が来た日から2週間の貸し出し期間だったので、図書館に受け取りに出向くタイミングが合わないと、借りる日数が減るばかりでした。今は、取り置き期間が設けられていて、貸出日から2週間の貸出期間があります。そのあたりの決まりは各図書館で違うでしょうから、要確認です。

 kokageホームページでは、「カーリル」のリンクを次のページに置いています。「あれ、あの検索サイト、なんだったっけ?なんていったっけ?」というときに開きます…。

 

レファレンス

  図書館で本を探したいときに相談すると、ありとあらゆる知見をフル活用して探してくれて、提案してくれます。図書館カウンターにぜひ。

 そして、レファレンスを文字のやりとりで体験したいと思ったら、ここが面白いです。

 レファレンス協同データーサービス の 公式twitter
 国立国会図書館レファ協公式@crd_tweet

 レファレンス事例の詳細が出てきます。感動しますから。
 調べ方、探し方の観点が網羅されていて、おもしろいです。図書館司書という専門家の存在は、もっと知られてよいですし、重宝されないといけません。学芸員も同様です。社会教育、生涯学習を支える重要な人々です。
 でも、日本社会ではこれらの職業に就く人の境遇はあまりに軽んじられています。図書館も軽んじられている傾向に進んでいるようにも感じます。
 
 図書館は、唯一、政府から独立した学問機関といえます。公共図書館の選書と学校図書は違うことを書きました。大学ですら文科省の指導を受け、なにかと管理監督が厳しいようです。学校教育の場ならなおさら政府の干渉は、諸刃の剣です。自治と自律が護られていなければ、国家教育の色合いが強まるばかりでしょう。
 図書館はその砦となりえますが、近年、民営化が進み、その砦ももろくなってしまっているのではないかと危惧します。正常な運営を支えるのは、正常な在り方で利用する市民の存在があってこそではないかなと思うのですが、どうなのでしょう。「市民が創る・支える」の意識を持ち、実行するには、なにが必要なのでしょうね。

大学図書館

 大学の図書館は一般利用ができます。
 カーリルの検索結果から、大学図書館の蔵書を借りることが可能だとわかります。これは大学図書館がおこなっている貸し出しの郵送サービスです。大学の図書館は、なにも在籍する大学生でなくても利用できるのです。学問の自由が保障されているということでしょう。オープンエデュケーションです。
 利用方法は各大学で違うでしょうから、ホームページで確認するといいですね。「大学図書館 一般利用」で検索してみてください。

例)琉球大学

学習指導要領解説から考察する

 前出の「教科の目標,各科目の目標及び内容の系統表(高等学校国語科)」にざらっと目を通して感じたのは次のことです。つまり〔教育する指導者〕が主体であるという前提です。

・身につけさせたいこと
・身に着けさせるためにおこなうこと

 

平成 28 年 12 月の中央教育審議会答申においては,“よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創る”という目標を学校と社会が共有し,連携・協働しながら,新しい時代に求 められる資質・能力を子供たちに育む「社会に開かれた教育課程」の実現を目指し,指導要領等が,学校,家庭,地域の関係者が幅広く共有し活用できる「学びの地図」としての役割を果たすことができるよう,次の6点にわたってその枠組みを改善するとともに,各学校において教育課程を軸に学校教育の改善・充実の好循環を生み出す「カリキュラム・マネジメント」の実現を目指すことなどが求められた。
① 「何ができるようになるか」(育成を目指す資質・能力)
② 「何を学ぶか」(教科等を学ぶ意義と,教科等間・学校段階間のつながりを踏まえた 教育課程の編成)
③ 「どのように学ぶか」(各教科等の指導計画の作成と実施,学習・指導の改善・充 実)
④ 「子供一人一人の発達をどのように支援するか」(子供の発達を踏まえた指導)
⑤ 「何が身に付いたか」(学習評価の充実)
⑥ 「実施するために何が必要か」(学習指導要領等の理念を実現するために必要な方 策)

【総則編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説
第1章 総説
第 1 節 改訂の経緯及び基本方針

 このあとも幾たびも「育成する」の単語が登場します。
 つまり学習指導要領を基本とした学校教育では、こどもたちは「育成される側」です。育成する立場の〔指導者〕との関係性はゆるぎません。

 『多様で自由な学び』を語る時、この視点と果たして同居することは可能だろうか、と疑問に感じるのは決して不思議なことではありません。「学校教育」と「自由教育(オルタナティブ教育)」が、混ざり合うことはできるのでしょうか。あるいは「どちらも活用することができる」と知り、「選択する」意識が、市民の側に必要だと言う事なのではないでしょうか。目的や自分にとっての効率的な学習方法あるいはどのように身に着けていきたいかの個人の意思によって、学び方は、それぞれの分野で異なっていてもよいはずです。
 学校教育は〔基礎⇒応用⇒発展〕がワンセットですが、〔基礎だけ〕、〔別分野の基礎を活かした応用あるいは発展〕、〔該当分野の発展を考察するために必要な別分野の基礎〕などそれぞれ習得の目的が違うこともあるでしょう。その判断はいつどのように決定することが可能になるでしょうか。その判断と決断ができる自律性が養われる土台について、教育分野は深く理解する必要があると思います。


参考)『ホームスクーラー(親)はなにをする?』


ホームスクール活動のサポートとは

 「カリキュラム・マネジメント」がキーワードになりそうです。この視点から出発する学習支援とはなにか、を考えると、「学習者主体」「教育者主体」の関係性とはどういうものかに疑問が生じます。「学習者主体」とはなにか、という観点ですね。
 ふたつの観点があります。とても大きな違いがあります。1⃣は学校教育の義務と責任における視点から、子ども観にも左右される内容です。2⃣はシティズンシップ教育といえるでしょう。市民のひとりであるこどもたちは、どのような学びの機会を望むのでしょうか。

個別最適化とはなにか

1⃣ 身に着けるべき内容を学習するための、特性に応じて、効率的に身に着けるためのカリキュラムと指導をおこなう”個別最適化”教育
目的)効率的な学習
目標)カリキュラムの履修と修得
前提)身に着けるべき内容は学習指導要領に定められている
方法)個人の特性に応じた学習
手段)デジタルファースト政策に基づく

2⃣ 個性に応じた学び(参考:日本国憲法)
目的)教育を受ける権利・選ぶ権利を保障する
目標)個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する権利を最大に尊重する。
前提)個人の尊厳を護る。基本的人権を尊重する。
方法)自由及び権利は、市民の不断の努力によつて、これを保持する。又、市民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。
手段)多様性を認識した社会。


 これは非常に大きな観点の違いです。1⃣は、学校教育の現状維持です。そこに合わず、あるいはこぼれた市民は、「要支援者」として常に排出されつづけ、支援機関が常に必要とされ、経済活動のひとつに加わるからです。それは資本主義社会の在り方としてはひとつの正解かもしれません。しかし、根本的な解決には至らないように思います。
 2⃣は、日本国憲法の理念を再確認しただけのものです。戦後の日本は、憲法の理念すら教育によって浸透することがありませんでした。とにかく急速に思想も価値観もかえなければならなかった突貫工事の社会改変の先で、「あるべき姿」の期待に応える態度だけが身についてしまったように思えてなりません。そうでなければ生き残れなかったからでしょうか。

 ホームスクーリング制度のない現在の日本において、ホームスクーリングをおこなうことは、かなり困難です。ホームスクーリングの概念の理解そのものについての議論もそうですが、そもそも「学校教育」と「自由教育」を並列に考える「普通教育」の概念も共通認識として持たれていないからです。「学校教育とは何か」から始める必要があります。また「おとなとこども」の視点から「市民」の視点へと変換する必要もあるのでしょう。
 「こどもを教育する」の前提(子ども観)と共通認識を、問い直すことが重要になるでしょう。

 1⃣の観点から興せば、学校教育に基づくことが大前提となります。その場合のホームスクーリング制度は、あくまで学校教育の拡大を手段とします。〔授業形態を変える、評価基準を変える〕などが想定できますが、問題は〔本来、学校で受ける授業と同等とみなすために評価基準を緩和する〕方向に向かう可能性です。例えば「出席扱い」がその例でしょう。「出席扱い」を「出席」に移行するための方便が歓迎されるかもしれません。もっとも「出席」であっても学習の理解度とは別なことから「履修とみなす」範囲の改変が望まれるだけなのかもしれません。一日も出席しなくても卒業出来る形式主義の義務教育期間においては、そういうった形式主義にのっとることも違和感は抱かれないのかもしれません。しかし、それは「こなす作業」につながりがちです。資格取得課程なら、それもよいかもしれません。むしろ卒業の目的が学歴取得のためであるならば、ハードルをあげすぎない手段として有効だと思います。
 さて「どのような教育の機会」をわたしたちは欲しているのでしょうか。


家庭を支えるチカラ

 「各家庭の裁量を、どのように支えるか」。
 どのように支えるか、が重要な視点です。その前提にあるのは、家庭の在り方を尊重することです。それは完璧主義では成り立ちません。完璧で正解であるから認め、放置するのとは違います。在り方を尊重し、手助けをする「支え」が必要とされているのです。

 ですが現状は「学校に通えない・通わない、学校に合わない、学校に行かない・行けない」こどもたちを「支援する」体で、「そうでなくても、そうであるのと同等であるような支援」のカタチがとられています。
 確かに、そのようなホームスクーリング制度も諸外国にはあります。米国のホームスクーリングの歴史(※現在、note編集中)を見ると、そこにあります。それは市民側の要望でもあるし、政府(公共)側の義務とも合致するからです。現代の日本でもそれはおこっていて、スクールアットホーム、家庭学習への公的な支援、民間支援があります。
 一方で、フリースクール運動にもみられるように、オルタナティブ教育の実現を望む声も、不登校の歴史と併走してきました。求めているのは、支援ではなく、新たな教育制度の構築です。

 【「支援が必要な人」を見つけ、「支援」を生み出す】発想では、とても実現できるものではないと感じます。社会的弱者に甘んじることで社会に受け容れられることが「生き延びる戦略」でもあり、「今現在の現状を救済する」ためには有効ですが、長期的には現状維持にすぎず、問題解決にはなっていないこともわたしたちは充分に知っています。

 「未来のこどもたちのため」に?
 それは、どこからいつ始まるのでしょうか。



参考)


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