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【小説】太陽のヴェーダ 先生が私に教えてくれたこと(34)

第1話あらすじ

  ●罰

重苦しい空を見上げる。
さっきまであんなに照りつけていたのに。
美咲が昼休みに入った途端に、太陽が隠れた。

「あー、風が気持ちいい……」

木々の葉を揺らすひんやりとした風に美咲もなでられ、衣服がはらむ。いつものように裏庭の階段に腰を下ろし、心を静めるために深呼吸を繰り返す。

「花火……先生と、見たい……」

花火じゃなくたっていい。
雪洋と一緒なら、どんな景色だっていい。
だけど雪洋は、それを望んでいない。

「先生の望みは、私が、とことん優しい器の大きい人と、幸せになること……」

沢村と――
それが雪洋の思う、美咲の幸せ。
それを叶えることが、雪洋の願いに応えること。

そして雪洋が思い人と一緒になることができれば、美咲の願いも叶うことになる。

「先生、幸せになって……」

沢村と一緒に歩んでいくことが、すべてを丸く治める。沢村のことは尊敬している。このまま距離を縮めていけば、きっと、好きになれる。
でも――

「先生、私どうしたら……っ」

何も答えてくれない太陽。
雲に隠れて、姿どころか光の端さえ見えない。
指輪もくすんだ螺旋を描くだけ。

雪洋を嫌いになれたら、憎んだままの存在だったらどんなに楽か。今さらそんなことを言ったところで、詮無いことなのはわかっている。

答えの出ない心は、指輪と同じにくすんだまま涙となった。膝を抱えて突っ伏すと、膝に涙がこぼれていく。美咲は声を抑えきれずに、子供のように嗚咽した。

突然、体がふわりと浮いた。

「今日のお祈りは、もう終わりにしなさい」

目の前に、沢村の顔があった。
だけどいつもの飄々とした表情ではなくて、なぜか前髪から滴が落ちている。

急に雨の音が耳に入った。
けたたましい雨の音が。

「ちょっとだけ我慢して」
言われて初めて、自分がお姫様抱っこされていることに気がつく。

「君らしくないな」
軒下に逃げ込んだ頃には、二人とも衣服が絞れるほど雨を吸っていた。
「すみません……」
「いくら突然の雨とはいえ、土砂降りに気付かない人っているんだね」
軽口を叩いてはいるが、目は笑っていない。

「敬虔なのは感心だけど、さすがに風邪ひくよ。着替えはある?」
はい、と美咲は唇を動かした。
屋外作業も時々あるから、最低限の着替えは置いていた。

「罰が、当たったんです」
――何を悩んでいるのかと。
ハンカチで沢村の頬や額を押さえる。
とても間に合わないほどずぶ濡れだ。
「君の偉大な存在は罰を与えるのか」
沢村をもっと大事にしろと、罰が当たったのだ。

「――お、天の助けだ! おーい!」
近くの廊下を通る男性職員に沢村が手を振った。
ずぶ濡れの二人を見て驚いている。
「悪いけどタオル持ってきてくれ! 俺が用事頼んだら天野さん雨に大当たりしちゃって! きれいなタオルな! カビ臭くないやつ!」
カビ臭くないですから、などと軽口を叩きながら男性職員が走っていった。

美咲を守る嘘をついてくれた。
すみません、と謝ると、沢村の大きな手が美咲の頬に触れた。ぴくっと肩が上がったが、雨に混じって流れる涙を、そっと拭っているのだとわかると、大人しくそれに従った。

「これだけ降れば、明日は晴れてくれるかな」
明日、約束の十五日。
「そうですね、晴れると……いいですね」

さらに強くなった雨脚が、二人からそれ以上言葉を発することを阻んだ。

  *

昼間の雨が嘘のようだ。
空は凪いだ海のようで、静かに月が照らしている。

明日、約束の日。
どうしたらいいのだろう。

沢村のところへ行った方がいいに決まっている。
だがこの心にあるのは、雪洋なのだ。

「でも、この思いは報われない……」
成就しようとは最初から思っていない。

それなら雪洋を忘れ――忘れられないのならこっそり心の片隅に追いやって、沢村のもとへ行けばよいではないか。

そうやって、沢村を近くに感じ、雪洋から徐々に離れ、新しい幸せを手にすればよいのではないか。

美咲の偉大な存在――雪洋はもう、これ以上の答えを示してはくれない。昼間の太陽はきっと嫌気が差して隠れてしまったのだ。
あとは自分で考えろ、と。

今出ている静かな月は、美咲自身が考えて出した答えを聞くために待っている。

 

――ほとんど真上にあったはずの月が、待ちきれずにいつの間にか傾いていた。

顔を上げる。
心は定まった。

「沢村さんに、会いに行きます」

夜空の月に、美咲は囁いた。



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