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『世界ふれあい街歩き』の不思議

『世界ふれあい街歩き』というテレビ番組を見るたび、不思議に思うことがある。あれはどうやって撮影しているのだろうかと。特に、街を歩いてるとき。

私が見る限り、カメラを回しっぱなしで撮っていると思う。建物の中に入ったときはカットが入ることもあるが、街を歩いているときにそれを感じたことはない。

となるとだ。

まず街のほとんどの人がカメラをあたたかく受け入れて、あいさつしたり、手を振ってくれたりするのが不思議だ。誰一人として嫌な顔を見せない。事前に街の人へ、撮影があるからそのようにしてくれと知らせておいたのだろうか。

だけど広範囲を歩き回り、大勢の人とふれあっていることを見ると、それはちょっと考えにくい気がする。

ならばカメラの周りに「日本の番組です。やさしくしてね」など、何か説明を書いたものでもぶら下げているのだろうか。それにしては街の人たちの視線に、文字を読もうとする不自然な仕草が一切ない。ただただフレンドリーなだけなのだろうか。

無表情ですれ違う人もいるが、そのときも一切こちらのカメラなり説明文なりを見る素振りがない。テレビカメラがそんな自然に街へ溶け込めるものだろうか。

それから、会話についても不思議でしょうがない。

日本語で街の人へ話しかけるようなナレーションが入る。街の人は現地の言葉で返し、画面には日本語字幕が入る。現場では当然、お互い現地の言葉で会話しているとは思うが、撮影する側の声が一切聞こえない。

こちらの声を消す編集技術はあるだろうけど、それにしてもきれいにこちらの声だけが聞こえない。録音スタジオで一人一人にマイクを装着しているなら操作もしやすいだろう、と素人ながらに思うが、これは「街歩き」である。街の人は当然マイクをつけていないし、むしろカメラにマイクがついているなら、撮影者の声の方が入りやすいだろう。

周りの雑音も一緒に無音になるなら私の頭でも理解できるが、雑音はそのままに、撮影者の声だけ聞こえない。一体どういう編集をしているのか。一人の声だけを消すという細かいことが今の技術では可能なのか。

ああそれとも、音声さんが別にいて、モフモフの毛に包まれたマイクを街の人の頭上に近づけているのだろうか。だとしたら街の音や声の方が、きっと大きく拾えるのだろう。

「日本では〇〇だろ?」と話しかける人もいることから、会ったばかりの街の人は、こちらが日本の番組だということを理解している。やはり事前に知らせているか、説明文をぶら下げているのか。だけど文字を読むような視線の動きは、やっぱりないんだよなあ。

――と、毎回このような感じで番組を見ているから、肝心の内容が私の頭にまったく入ってこないのである。


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