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父のこと/命のこと

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2021年、コロナ禍に脳梗塞で逝った父のこと。いくつもの重い決断を迫られた、私たち家族のこと。その後の、日々の暮らしのこと。/父に限らず、命のことをテーマにした内容です
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2021年8月の記事一覧

新しい日課と、家族の形

私と母の日課。毎朝父に、お茶とお水を上げる。お線香は朝晩立てて、手を合わせる。 四十九日まではまだ仏様とは思えなくて、父愛用の湯飲み、茶碗、お箸を使って、私たちと同じ食事をちょこんと供えた。 「四十九日すぎたから、お茶とお水だけにしよう。器もおホドゲさんっぽいのに替えよう」 母の宣言に従って、父の食器は私たちのとは別の食器棚へしまう。――意を決して宣言した母だったが、気持ちの区切りがつかないようで、しばらくは食事を上げ続けていた。 「これ、お父さん好きだったから上げよ

見習い農耕民族、草刈り機を装備する

この4ヶ月の間に変わったこと。 母は、火が怖いから野焼きはしないと宣言していたが、ご近所さんからコツを教わり、やるようになった。 私も、怖いから使わないと決めていた草刈り機(刈り払い機)を使うようになった。しかも新品。私の専用機。 常々母が「危ないから使わせたくない。あんだはケガしたらただじゃ済まない体なんだからダメだ」と免疫異常体質の私に言い聞かせてきたのに、「店さ見に行って、軽いのあったら使ってみっか?」と言い出したのには驚いた。 それだけ母が、この夏一人で草刈り機を

祈りの言葉

祈りの言葉を持つ人たちに、どこか憧れを抱いていた。心の大きな拠り所があるのはうらやましい。三蔵法師玄奘がお経を唱えながら砂漠を越えたように、私も困難なとき、何か唱えたい。 かくいう私も、幼い頃キリスト教の幼稚園で二年間お祈りしてきた身であるのだが、ついに文言を暗記するには至らなかった。 30代のとき母園でいっとき働いたときには覚えたが、辞めた途端にまた忘れてしまった。どうも私にはなじまない言葉だったらしい。 激痛の多い体と、乱れやすい心に悩んだせいだろうか。私になじむ、拠

父の采配~難病手帳編~

毎年6月、7月は、難病の医療費受給者証の更新時期である。事前に保健所からお知らせが来るので、それに従って書類を準備する。病院に個人調査票を依頼したり、役所で課税証明書を取ってきたり。 どちらもタダではないが、受給者証は私にとって大事な通行手形のようなもの。毎月の通院で病院と薬局に見せるほか、救急搬送されるときに、隊員さんへ病名を伝えるためにも使っている。 ところが数年前から私は軽症に分類され、基本的には受給者証を持つ資格がなくなってしまった。――と言うと私の母は「良かった

父の采配〜お数珠編〜

父が他界したときのこと。その日のうちに、地元団体から父の訃報メールが発信された。受信するのは、地元の情報をメールで受け取るサービスに登録している方々。もちろん喪主である母の承諾を得てのことだが、私と母も登録者だったから、自分のスマホに父の訃報メールが届いたときの、愕然とか、落胆といったショックは大きい。 「亡くなった方」に、父の名前。 「喪主」に、母の名前。 ああ、これで本当に、「亡くなった人」になってしまったんだ。――葬祭ホールで母と肩を寄せ合い、涙した。 ――と同時に

食事日記をつける理由

去年実家に戻ってきてから、私は毎日、食事日記をつけている。三度の食事の内容と、季節の行事、仏事なども。 嫁ぎ先にいた頃もそれは書いていた。三度の食事については持病コントロールの一環で。季節の行事などは、嫁ぎ先での作法を覚えるため。 でも実家で食事日記をつけている理由は、今までのそれとは、ちょっとだけ違う。   * かつて嫁いでいたところは、とにかく季節の行事をマメにこなす家だった。盆暮れ正月の他に、小正月、旧暦のお年越し、春と秋のお彼岸、二十日盆、お社日、新米、初物、