見出し画像

食事日記をつける理由

去年実家に戻ってきてから、私は毎日、食事日記をつけている。三度の食事の内容と、季節の行事、仏事なども。

嫁ぎ先にいた頃もそれは書いていた。三度の食事については持病コントロールの一環で。季節の行事などは、嫁ぎ先での作法を覚えるため。

でも実家で食事日記をつけている理由は、今までのそれとは、ちょっとだけ違う。

  *

かつて嫁いでいたところは、とにかく季節の行事をマメにこなす家だった。盆暮れ正月の他に、小正月、旧暦のお年越し、春と秋のお彼岸、二十日盆、お社日、新米、初物、年回忌――などなど、毎月のように神膳、仏膳と関わっている気がする。

そしてこの他に、家族と近所の孫一家の誕生日、父の日、母の日、敬老の日などがあるし、身内の危篤、葬儀が発生すると、終了と同時に私は倒れるか持病再発して入院となるわけである。義父が家督のため親戚が泊まりに来る家で、そのおもてなしでもまた疲れ果てていた。

でも体調が安定して痛みがなくなると気持ちも明るくなるようで、そういうときに嫁ぎ先の親戚と会うのは楽しかった。健康って大事。

実家に戻ってきたことで、ようやく旧暦関係のこまごまとした行事から解放された。盆暮れ正月の作法についても、それまでの記録がある。

だけどこれは改めて書くことにした。大筋の作法は同じだけど、やはり細かいところではそれぞれの家のやり方があるから。実家は実家。改めて覚え直したい。

三度の食事の記録も、取る必要は薄れた。体調も安定しているし、食事の傾向も把握したから。

にも関わらず、私はまた三度の食事日記をつけている。しかも人生初の、連用日記を用いて。

私が実家へ戻った時点で、両親は七十を超えていた。まだまだ若いと思う反面、いつ何があってもおかしくない年だと、姉とも話していた。

だから食事日記をつける。

将来母が他界したとき、その後の暮らしで母の食事を思い出したいから。それに母の食事と大きく違わないものを、父に出したいから。

「このおかず、お母さんっぽいでしょ」
などと言いながら、父と二人で――いずれは私一人で、食事をするときが来る。そのときのために食事日記をつける。三人で囲んだ食卓が蘇るように。

連用の日記帳を用いたのは、自由形式や一年用の日記帳よりも、「思い出す」「読み返す」に特化していると思ったから。書き続けていれば、必ず同じ月日の一年前、二年前のことが目に入る。

連用日記は初心者なので、私はまず、三年用で始めてみることにした。

  *

2020年の夏から書き始めたものの、2021年に突入してしばらくし、私は日記帳をかえた。そこまで書いといてなんだが、あとから読み返したときに2020年までのゴタゴタは正直思い出したくなかったから。それにやっぱり、1月1日からきっちり書いた方が、見映えがいい。

だけどまさか、書き始めて一年経たないうちに、父が逝くとは思わなかった。

今年2021年から書き直した食事日記に、父の酒のあてなどの記録は4月の初めまでしか綴られていない。

こんなことなら日記帳をかえない方が良かっただろうか……と、ちょっとだけ思うが、やはり実家での暮らしに、嫁ぎ先のことを思い出すようなことは混ぜたくない。

しかし一冊書き終えたら半端な2020年分は処分しようと思っていたのに。父との食卓が綴られているとなると、捨てるに捨てられなくなってしまった。

  *

日記帳をかえ、今年から書き始めた食事日記。このまま続けていくと、来年の4月のところで、父が倒れたときのことを思い出すことになる。それはつらいことでもある。

だけどまだ父を偲んでいたいし、それは悪いことではない。

むしろまだ忘れたくないし、忘れてはいけない。他県の姉や叔父叔母たちがまだ父と会えていないのだから。

そうなると三年用の連用日記でちょうどいいのかも、と思う。三年書いて、新しい日記帳にかえる頃には、少しは気持ちも落ち着いているかもしれない。

願わくはこの三年のうちに、世の中が落ち着いて、姉たちが父と会えますように。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?