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父の采配~難病手帳編~

毎年6月、7月は、難病の医療費受給者証の更新時期である。事前に保健所からお知らせが来るので、それに従って書類を準備する。病院に個人調査票を依頼したり、役所で課税証明書を取ってきたり。

どちらもタダではないが、受給者証は私にとって大事な通行手形のようなもの。毎月の通院で病院と薬局に見せるほか、救急搬送されるときに、隊員さんへ病名を伝えるためにも使っている。

ところが数年前から私は軽症に分類され、基本的には受給者証を持つ資格がなくなってしまった。――と言うと私の母は「良かった! 良くなったんだね!」と喜ぶが、そういうことではない。

良くなってない。
完治しないし、再発もある。
今までどおり定期通院、定期検査、毎日の薬が必要。医療費は今までと同様にかかる。

だけど受給資格だけなくなった。
法改正で線引きが変わってしまったから。

ただ、軽症者特例というのがあって、私はかろうじてこれに該当していた。軽症の部類ではあるが、過去12ヶ月の間に基準を超える医療費が3回以上あった者は、引き続き受給者証を持つことができるという制度。

軽症者特例を継続するには、更新時に難病の手帳も必要になる。

これは医療費の自己負担を管理するためのもので、受給者証と一緒に配付される。通院のたびに病院と薬局へ提出し、かかった医療費を記入してもらう。個人ごとに設定されている月の上限額に達したら、それ以上の支払いはしなくていいことになっている。再発して通院と薬が増えたときには、大変助かった。

そして今年も、そろそろ更新の準備を、というお知らせが来たときのこと。

難病手帳がないことに気がついた。

  *

今使っている難病手帳はあるが、そのひとつ前のものがない。「過去12ヶ月分」にかかっているというのに。

その手帳がなくても、当年分の領収書を保管しているので、更新はなんとかなると思う。だけど――難病関係のものを紛失するというのは私にしてはとても珍しいこと。きちんと置き場所を決めて管理しているのに、今回はなぜか、あるべきところを見てもそこにはない。

去年引っ越しでドタバタしたとはいえ、一番最後に見た記憶はわりと最近だし、絶対に自宅にあるはずで、前の家や薬局に置いてきたという間違いはないはず。

散々探して、散々探して、それでも難病手帳は見つからない。自分らしくない現象に、異様な困惑と動揺を覚えた。と同時に、

やめてしまおうか――

どこか爽やかにも感じるそんな思いが、私の根底から不意に湧いてきた。

受給者証の更新をやめる――
法改正の影響で一旦途切れたことはあったが、資格がある限りは更新し続けてきた。健康と就労に不安があるのだから、少しでもお金の負担が減るなら、そうすべきだと。みずからやめようと思うことは、これまでなかった。

体調は二年間安定している。
たまには不調もあるが、数日で治まる。

そうは言っても直後に入院するのが今までの私だった。でも実家での今の生活を続けている限り、再発による入院はない気がする。

あの怒涛の父の葬儀を終えたあとでさえ、体調は大いに崩したが、再発はなかった。――きっと今までとストレスの質が違うのだと思う。それと、誰に気兼ねするでもなく、心から休養することができたことも大きい。

だから更新は、しなくても大丈夫かもしれない。

もしかしたらこの先一生、再発しないのでは? とさえ思ってしまう。

それに更新したくてもできないだろう。病院からの個人調査票を見る限り、今回も私は軽症の部類に入る。そうなると軽症者特例でしか受給者証の更新はならない。

手元にある難病手帳は直近の数ヶ月分しか記載がないが、それを見る限り軽症者特例の申請に必要な医療費にはまったく届いていない。以前申請したときも、薬をフルで出したときに検査代が乗れば基準をクリアできたわけで、ギリギリセーフにもなるしアウトにもなる、微妙なところに立っていた。

軽症の部類だし、実際体調は安定しているし、これからも体調は安定しそうだし、毎月の医療費は全然上限まで達していない。

それに何より、なんというか、気分が乗らないのだ。今年も更新するぞ! という気に、なぜかならない。

それにしても難病手帳はどこへ行ってしまったのか。どこから出てくるか楽しみである。

  *

7月。保健所へ電話して、相談する。個人調査票によると軽症の部類であること、軽症者特例を考えたとしても多分条件を満たしていないだろうということを伝え、今回の更新はしないことにしようかと。――災害時に難病者として保健所と繋がっていないことは、ちょっとだけ不安を感じるところではあるが。

かくして私は、長年お世話になってきた受給者証の、喪失届を出すこととあいなった。

  *

その後、難病手帳は無事発見された。
運命のイタズラか、保健所にやめると宣言した翌日のことだった。

どこから出てきたか。机のすみに重ねていた紙類の間に挟まっていた。その紙類というのは――父の葬儀の日程表などだった。忙しすぎて、精神的にもつらすぎて、ガサッとまとめてクリップで留めておいたことを思い出す。

しかも出てきた手帳の記録を確認すると、軽症者特例の条件をクリアしている。医療費基準超えの月が過去12ヶ月の間に3回、しっかりある。

軽症者特例の資格がばっちりあるのに、昨日保健所に更新やめる宣言をしてしまった。
さてどうしたものか。
昨日今日のことだから、保健所に連絡して喪失届を止めてもらおうか?

心底悩んで、ふと気づく。
父が絡むこの状況、何かに似ていると。

――お数珠だ。元夫がよこしたお数珠をどうするかと悩んでいたときに、父の采配で清々しくかたがついたことを思い出す。

それになぞらえて、考えてみる。
今回も父だ。
父の葬儀関連の書類から難病手帳が出てきた。
これが父のなんらかの意思なのだとしたら、どういう意味か?

ここで私は、とても都合のいい解釈をすることにした。

「お父さんが手帳を隠したんだね」と。

  *

ほんの数年前までは「患者」という言葉に違和感はなかった。入院すると安心したし、早く入院したいとさえ思っていた。

今の私は、「患者」と呼ばれることに違和感を覚える。治る病気ではないから、完全な卒業にはならないけれど。

だけど大事な難病手帳をなくしているあたり、もう私のステージはきっとそこではないのだ。

さあ、この秋から久しぶりに、難病手帳を持たない人をやってみようか。



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