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新しい日課と、家族の形

私と母の日課。毎朝父に、お茶とお水を上げる。お線香は朝晩立てて、手を合わせる。

四十九日まではまだ仏様とは思えなくて、父愛用の湯飲み、茶碗、お箸を使って、私たちと同じ食事をちょこんと供えた。

「四十九日すぎたから、お茶とお水だけにしよう。器もおホドゲさんっぽいのに替えよう」

母の宣言に従って、父の食器は私たちのとは別の食器棚へしまう。――意を決して宣言した母だったが、気持ちの区切りがつかないようで、しばらくは食事を上げ続けていた。

「これ、お父さん好きだったから上げようと思って」
「うん」

「ごはん、炊きがけだから上げようと思って」
「はいよ」

「……だめかな。もう区切りつけて、やめた方がいいかな」
「お母さんが上げたいって思うなら、上げた方がいいよ」

供養というのは、故人より、むしろ残された者のためにあると思う。

亡くなった直後の弔いの儀式――特に火葬は、姿形を変えられ、良くも悪くも強制的な区切りをつけられる。今回の私と母にとっては、気持ちがついていけず、あまり良い区切りとはならなかったが。

だけどこういった日々のささやかな儀式は、ゆっくりやさしく、私たちの気持ちを慰めてくれる。

お茶を上げ、お線香を立て、手を合わせて、遺影の父に向かって話しかけているうちに、また一緒に暮らしているような気になってくる。区切りはちょっとずつ、ついていく。

「自分の気持ちに従えばいいよ。誰も作法がおかしいとか怒らないから。やめるのがつらいなら、無理にやめなくていいと思うよ」

私の言葉に、そうだね、とつぶやいた母は、自分の心のままに食事を供えたり、供えなかったりしていった。

今では、初物や父の好物、炊きたてのごはん、姉が送ってきたお菓子やビールなど、「お父さんにもあげよう」と思ったときだけの、おすそ分け感覚で落ち着いている。

それでもたまには感情が込み上げ、母は父に愚痴をぶつけた。

「あんだあの溶接機械どうすんの! はっぱりこれだもの! だがら言ったっちゃ! あとに残された人大変なんだよって!」

そんなときはいつも、父の声を真似て、私が答える。

「はいよ、ありがとネ。迷惑かけるネ」
「お父さんはそんなごど言いません」
「ありゃっ」

  *

初盆までは、玄関に近い、お焼香しやすい部屋に祭壇を設けていた。お盆が終わると、いよいよ祖父母の位牌がある仏間へと部屋をかえる。これによって父のことを忘れる日が、ちょっとだけ増える。

食器棚へしまっていた父のお箸は、送り火にくべた。火というのは、こういうとき助かる。お焚き上げのような気持ちになれるから、罪悪感に苛まれることはない。

「忘れるくらいが、ちょうどいいのよね」

二人で笑うが、でもまだちょっと、仏壇へ移すの早かったかな……とも時々思う。今までは父の祭壇があった部屋を通るたびに、話しかけていた。だけど仏間は、家の奥の薄暗い部屋で、ちょっと行きづらい。なぜこんなところにしたのか。

最近また、朝の新しい日課ができた。仏間が見えるように、そこへ至る部屋の戸を全部開けるのだ。

朝は変わらずお茶とお水、時にはごはんを上げ、昼間は廊下からちらっと見える父の遺影に、今までのように話しかける。草刈り行ってくるね、出かけてくるね、と。時には手を振っている。

父はぺったんこで、ますます寡黙になってしまったが、私たちと一緒に暮らしている。

これが我が家の、新しい家族の形。


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