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生きる力

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戻ってきた実家での田舎暮らし。里山の風景。染みるご近所付き合い。親類のありがたみ。母から学ぶ農作業。できなくてもいい。知っておきたい。
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#田舎暮らし

竹が椿にかわる頃

我が家の悩みの種、竹。 畑のそばに竹山があり、毎年春になるとタケノコが一斉に侵略してくる。我が家の畑だけでなく、ご近所さんの畑にも。 放っておくとタケノコはあっというまに成長し、何メートルもある竹となる。 去年は母と二人がかりで刈れたからまだいい。今年は私がお勤めに出たため、母が一人で立ち向かった。 だけど母は草刈りや畑仕事にも追われるから、1人では手が回らない。畑に現れたタケノコをやっつけることだけで精一杯で、本拠地である竹山まで手が回らない。 小さい竹山ではあったが

8月28日、13℃

去年の日記を眺めていたら、こんな記述があった。 「13℃!!!」 思わず叫び、日付を二度見した。 (実際は日付かわって29日未明が13℃) 岩手ではお盆すぎたら一気に秋へ傾くのが常。 とはいえ、さすがに13℃は低すぎだが。 今年はいつまで経っても30℃超え。 こんなことは今までなかった。 35℃超えの日だって、私の記憶では毎年一週間ほどしかなく。クッソ暑くても「どうせ一週間で終わる」と思えば我慢もできた。 今年は暑すぎて草刈りも怖い。 「草刈りで命落とすことない」をご

8月14日

お焼香日。 今年も母と、我が家のお墓へ向かう。 墓地のお隣に住むおばちゃんは、世代的にはおばあちゃんなんだろうけど、とてもハツラツとしたお方。お盆やお彼岸の頃にはいつも、道路沿いの土手の草をきっちり刈っていた。 だけど今年のお盆は違った。 墓地へと続く道の半ばで、母が歩みを止める。 「あぁ……〇〇さん、今年は草刈り、あぎらめだな……」 急勾配の、大きな土手を見つめる、どこか寂しげな母の声。翻ってここぞとばかりにのびのび育つ、青草たち。 勢力が、逆転しつつある。 お

傾く氏神様

1年ほど前、我が家の氏神様がちょっと傾いてることに気がついた。氏神様のお社が、と言った方が正しいのかもしれないが、我が家では昔から、石造りの小さなお社ごと「氏神様」と呼んでいる。 庭からかろうじて見える氏神様。家の前の山で木々に隠れひっそりと座す氏神様は、全体的に斜めになっていた。 そのことは時々会話に出る。今回もまた、母と氏神様の話になった。お正月が近いから。 「去年は『お父さんが氏神様に元朝参り』って書いてあるね」 私は食事日記の最初のページを開いた。 我が家の食

カボチャの収穫

私の小さな農園で育ったカボチャ。 お盆頃からついに収穫が始まった。 これまでに追肥をしたり、子づるを切って整理したり、泥がつかないように干し草を敷いたりとお世話してきたが。 母から「これは茂らせすぎだ」と注意されるほど、つるが伸びまくり、葉も大いに茂った。 そして病気にもなった。多くの葉に白い粉状のものがついたのだ。カボチャ畑の隣で育っていた、母のキュウリも同様だった。母の本によると、通気性が悪くてカビが生えたのだとか。今年はしょっちゅう雨が降ったから、そのせいだろう。

我が家の盆棚作法

8月13日を待たずに、盆棚に手をつける。去年片付けるときに解体しすぎてしまって、今年は組むときに手こずるだろうと思ったから。 11日の午後、板と棒の束でしかない盆棚を出す。紐をほどいて、一本一本を吟味。祖母と母、それぞれの印が入っているから、それを解読しなければならない。 元々は祖母が組み立て担当で、祖母自身がわかるように印を入れていたらしい。その後母が引き継いだが、祖母の印がわかりづらいからと、母も印を入れた。しかしどちらも黒の油性ペンで書き込まれたので、 「結局なんだ

ツバメたちの巣立ち

うちの巣箱で生まれたシジュウカラは、数日前、いつの間にか巣立っていた。 「なんだ、あいさつもしないで」 母が寂しそうにぼやく。 毎日シジュウカラのヒナを狙っていたスズメたちも、ぴたっと来なくなった。 車庫に巣を作って住み着いたツバメたちも、ついに巣立ちのときが来た。卵のカラを見つけた7月3日から、きっかり3週間後のこと。 朝、2階の部屋にいた私の耳に聞こえたのは、すごくたくさんの鳥の声と、母の叫び声。 これは何かあった。 ツバちゃんたちが天敵にでも襲われたか。 慌てて

久々のサワガニ

30℃にとどかない気温。 ほどよく風のある曇天。 チャンスとばかりにあちこちから草刈りする機械音や、草焼きの煙が上がる。 我が家も例に漏れず、この日は母と二人、一日がかりで大きな土手2ヶ所で草を焼いた。 数日前に刈って、すっかり乾燥した草。熊手で集めて火をつけ、それが燃えている間にまた草を集める。 そうやって何個目かの草山を作ろうと熊手を掻いていたとき。私の足元で、土色の生き物がカサカサと通過しようとしていた。 カエルかな? 大きさからそう思ったのだが、腰を屈めてよ

ツバメのヒナが生まれたようです

今朝母が、白く小さなものを、テーブルにコロンと転がした。卵の殻である。 「お! 生まれたの?」 我々との激闘の果てに、車庫で巣を作り、何日も卵をあたためていたツバメ。ようやく生まれたか。 「ツバちゃんの巣の下に落ちてた」 卵がいくつあるのかはわからないが、まずは1つ。 さっき車庫に行ってみたが、ヒナの鳴き声は聞こえないような。生まれたばかりだからか? 元気に育ってほしいものだ。 これから巣立つまでが、天敵との戦いである。愛犬オオキイノ(ゴールデンレトリバー)には、引き続

今年のツバメハイツは入居OKです

5月頃から、毎年恒例、ツバメたちが我が家の内部見学にやってくる。それは街なかでも同様で、もうじき地元の店先では、逆さに開いたカサが多数出現することだろう。 カサの上にはツバメの巣がある。ここのツバメ一家が旅立つまで、カサはひたすらフンを受け止め続けるのが仕事だ。その間地元の人たちはあたたかく見守る。 うちの親も小鳥が大好きで、かつてはツバメも毎年のように受け入れ、ヒナが巣立つまで、大切に見守ってきた。その証として我が家の車庫には、「ツバメハイツ」と呼ばれる歴代入居ツバメの

お天気で動く

草刈りシーズンである。 草を刈って、何日か風と日に当てて、ある程度乾いたらひっくり返して裏側も乾かす。その後燃やすわけだが、あまり乾かしすぎると燃えすぎて怖い。だから適度に半生の草も残しておく。 (乾かしている間に他の場所の草刈りも進める) 乾いたら草を集めながら燃やす。燃やすのは風が強すぎない日が良い。風がまったくないと燃えにくくて困る。雨が降る直前だとなお良い。こういう日はご近所さんちからもバンバン草燃やしの煙が上がる。 これをやりながら、今年手がけているカボチャのお

私の小さな農園

去年は草刈り機(刈り払い機)を覚え、せっせと草刈りに勤しんだ。今年はさらに、農作物をひとつふたつ育ててみようと思う。 母にも言われたが、健康上の理由で、私は農業一本で生きていくことはできない。それはわかっている。だけど今のうちに小さな経験は積んでおきたい。 震災、コロナ禍、離婚、父の死、戦争の影響――たった10年、11年の間にこれだけのことが起こった。これから先だって、世界や私の生活が予想外の変化を遂げないとも限らない。 だからたとえ微々たるものだとしても、「生きる力」

イトコに響いた、電話番号一覧を壁に貼る理由

昨年コロナが落ち着いたとき、隣県に住む30代のイトコ姉弟が父にお線香を上げに来てくれた。父との思い出や近況をひととおり話したあと、イトコたち――特に親と住んでいる弟の方が、私と母にいろいろと相談をしてきた。 今後親に何かあったとき、まず誰に連絡すべきか、お墓は新しく建てるのか、それとも実家のお墓に入るのか、などなど。子供の頃のイメージしかなかったが、彼らもそういうことを考える世代になったのだ。 帰り際、姉の方が廊下の壁を指さした。そこには電話番号を書き連ねた、大きな紙が貼

江戸時代の商人は火事のとき真っ先に顧客台帳を守ったそうな

江戸時代の商人は、火事のときまず、金品よりも顧客台帳を最優先に守ったらしい。商売を再開したときのためにも、お得意さんとの繋がりは絶対に失ってはならない大切なものということなのだろう。 うちは商人家系ではないものの、年を重ねるごとに人との繋がりの大切さは身に染みるようになってきた。特に去年父が亡くなったとき。親類やご近所さんのありがたみは痛感した。   * 各地でまん延防止等重点措置が頻発していた頃である。葬儀を行うにも、他県の親戚や姉夫婦には頼ることができず、私と母の二