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生きる力

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戻ってきた実家での田舎暮らし。里山の風景。染みるご近所付き合い。親類のありがたみ。母から学ぶ農作業。できなくてもいい。知っておきたい。
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楽園追放

長年、難病による激痛に悩まされ。 2020年に結婚生活を終わらせて。 2021年には父が逝ってしまって。 この頃は緊張や悔しさ悲しさなど、精神的ストレスがとても大きかった。 だけど戻ってきた実家での暮らしは、とても健やかで、落ち着いていた。 私は楽園を手に入れた。 いや、楽園に戻ってきたのだと実感していた。 父が亡くなった2021年と翌2022年は、母のそばにいること、実家の草刈りをすること、畑仕事をすることが、心地良く私にフィットした。 コロナ禍であったことも私には

「#東北でよかった」を覚えていますか

私のパソコンに入っている、小説のネタメモや草稿を整理していたら、なつかしい文章が出てきた。どこに発信するでもなく、荒々しく、ただただ私の言葉を書き綴っただけのもの。 タイトルは「#東北でよかった」――あのときの私が、書かずにはいられなかった思いである。 世の中の皆さんは、「#東北でよかった」をまだ覚えているのだろうか。 元々は時の復興大臣が、震災の被害が「東北でよかった」と失言したことから始まった。 2017年4月25日のことである。 この出来事を受け、Twitterで

1月27日(土)雪原の足跡図鑑

久々にたっぷり雪が降り積もったのは、水曜日の夕方からのこと。雪は困るが、あまり暖かい冬というのもかえって不安になる。 しばらくぶりに現れた雪原に、縦断する小さな足跡。 「お、タヌキか? いや違うな、キツネだ」 足跡は美しい一直線を描いていた。 鮮明な爪の跡に『もののけ姫』のアシタカよろしく「まだ新しい」などとつぶやく。 向こうにも小さな足跡。一直線ではない。あちらがきっと、タヌキだろう。 ヒヅメの足跡はない。 夏にはよくカモシカを見たし、我が家の畑は通り道のようなのだ

冬至過ぎの朝

午前5時50分。 冬至はとうに過ぎたというのに。 まだ夜は明けず、たっぷり真っ暗闇。 まだ眠そうな10歳の愛犬を連れて、散歩コースの畑へ出る。ここまで来れば、愛犬もウキウキと軽い足取り。 かと思えば今度は枯色の草むらへ鼻を押し付け、タヌキの残り香でも追っているのか。 愛犬を待つ間、私は視線を上げた。 ご近所さんちを見る。 これがすっかり癖になった。 庭のセンサーライトがついた。 あちらも今から出発らしい。 ほどなく、庭から小さな明かりが、トントントンとおりてきた。目

その後のシルバーアウェアネスリボン

私は普段、シルバーのアウェアネスリボンを身につけている。その理由は以前書いたとおり。今でもその思いは変わっていない。 この日仕事を終えた私は、日用品を買うため、職場近くの店に寄った。 メモを見ながら目当ての物をカゴに集め、レジへ並ぶ。ちょっとだけ混んでいて、先頭にいるお客さん1は店員さんにお金を出そうとしている段階。そのあとに続くはずのお客さん2は、カウンターにカゴを置いて、どこかへ行っているもよう。私はその次に並ぶ、お客さん3である。 ほどなくお客さん2が戻ってきた。

竹が椿にかわる頃

我が家の悩みの種、竹。 畑のそばに竹山があり、毎年春になるとタケノコが一斉に侵略してくる。我が家の畑だけでなく、ご近所さんの畑にも。 放っておくとタケノコはあっというまに成長し、何メートルもある竹となる。 去年は母と二人がかりで刈れたからまだいい。今年は私がお勤めに出たため、母が一人で立ち向かった。 だけど母は草刈りや畑仕事にも追われるから、1人では手が回らない。畑に現れたタケノコをやっつけることだけで精一杯で、本拠地である竹山まで手が回らない。 小さい竹山ではあったが

8月28日、13℃

去年の日記を眺めていたら、こんな記述があった。 「13℃!!!」 思わず叫び、日付を二度見した。 (実際は日付かわって29日未明が13℃) 岩手ではお盆すぎたら一気に秋へ傾くのが常。 とはいえ、さすがに13℃は低すぎだが。 今年はいつまで経っても30℃超え。 こんなことは今までなかった。 35℃超えの日だって、私の記憶では毎年一週間ほどしかなく。クッソ暑くても「どうせ一週間で終わる」と思えば我慢もできた。 今年は暑すぎて草刈りも怖い。 「草刈りで命落とすことない」をご

8月14日

お焼香日。 今年も母と、我が家のお墓へ向かう。 墓地のお隣に住むおばちゃんは、世代的にはおばあちゃんなんだろうけど、とてもハツラツとしたお方。お盆やお彼岸の頃にはいつも、道路沿いの土手の草をきっちり刈っていた。 だけど今年のお盆は違った。 墓地へと続く道の半ばで、母が歩みを止める。 「あぁ……〇〇さん、今年は草刈り、あぎらめだな……」 急勾配の、大きな土手を見つめる、どこか寂しげな母の声。翻ってここぞとばかりにのびのび育つ、青草たち。 勢力が、逆転しつつある。 お

「せっかくだから」は魔法の言葉

困った状況のまっただ中。 どうしたものかと途方に暮れているとき。 心の中で唱える言葉がある。 「せっかくだから」 途端に、硬直していたはずの私の思考は、ポジティブな方向へと進みだす。 小説を書いているから出た言葉なのかもしれない。経験はすべて、小説の肥やしになる。 たとえ嫌なことであっても、「せっかく滅多にない状況なのだから」と思った途端に気持ちは取材モードへ。   * いつだったか、お手洗いを借りたくて、とあるコンビニへ行ったときもそうだった。 入店した途端に聞

ー7℃の朝

本州で一番寒い藪川(岩手県盛岡市)や区界(岩手県宮古市)ほどではないが、我が家(岩手県一関市)でも先日、ー7℃という凍てつく朝を迎えた。 「おはようさん」 「はいおはようさん! お茶っこ入れっから飲まいん!」 朝、我が家ではまずお茶を飲むことから始まる。 先に起きてヤカンで湯を沸かしていた母。いつもは沸騰するとポットへ入れ、ポットからマグカップへ、マグカップから急須へ入れる。 緑茶に使う湯は、温度が高すぎない方がおいしくなる。我が家ではいつもこうやってマグカップを温めつ

【地元旅せんまや】路上駐車の仕方に日本人の心を感じる

年末年始にテレビに映る神社仏閣を見ながら、ふと数年前の地元夏祭りでの出来事を思い出した。 地元千厩の夏祭りは、千厩町内の各地域から山車や踊り手たちが出され、商店街があるメインストリートを踊りながら進むパレード型のお祭り。 私の子供時代には、もっと賑わって見えた。 今は子供も夜店も少なくなってしまったが、それでも当日は町内中から人が集まる。 その年も、まだ祭りが始まったばかりの時間帯だったが、路上には駐車場からあふれた車が果てしなく並んで停まっていた。 職場から車で自宅

傾く氏神様

1年ほど前、我が家の氏神様がちょっと傾いてることに気がついた。氏神様のお社が、と言った方が正しいのかもしれないが、我が家では昔から、石造りの小さなお社ごと「氏神様」と呼んでいる。 庭からかろうじて見える氏神様。家の前の山で木々に隠れひっそりと座す氏神様は、全体的に斜めになっていた。 そのことは時々会話に出る。今回もまた、母と氏神様の話になった。お正月が近いから。 「去年は『お父さんが氏神様に元朝参り』って書いてあるね」 私は食事日記の最初のページを開いた。 我が家の食

バレー部だったおかげで就職できた話

初めて就職した先での私の仕事は、商品カタログの制作だった。それまで外注していたが内製化することになり、私が専属ということで採用になった。 外注から内製へ移行する間、助っ人で来ていた男性がいた。ポパイのブルートに似た人で、制作に関してはベテランだった。 私が働き始めて少し経った頃のこと。 その日私は、隣に座るブルートさんから指導を受けていた。 お昼になってブルートさんが事務所から出ていくと、ななめ向かいの席で仕事をしていた40代くらいのメガネの男性から、突然声をかけられた

カボチャの収穫

私の小さな農園で育ったカボチャ。 お盆頃からついに収穫が始まった。 これまでに追肥をしたり、子づるを切って整理したり、泥がつかないように干し草を敷いたりとお世話してきたが。 母から「これは茂らせすぎだ」と注意されるほど、つるが伸びまくり、葉も大いに茂った。 そして病気にもなった。多くの葉に白い粉状のものがついたのだ。カボチャ畑の隣で育っていた、母のキュウリも同様だった。母の本によると、通気性が悪くてカビが生えたのだとか。今年はしょっちゅう雨が降ったから、そのせいだろう。