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生きる力

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戻ってきた実家での田舎暮らし。里山の風景。染みるご近所付き合い。親類のありがたみ。母から学ぶ農作業。できなくてもいい。知っておきたい。
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2022年5月の記事一覧

「万が一」を想像しちゃう心配性は、いっそその先まで突き抜けてしまえ

私の姉は、「万が一」は万に一回しか起こらないのだから心配なんかしなくていい、という9,999の世界で生きる人。 一方私は、「万が一」にとらわれ、気になり気に病み、こんなこと考えてしまう私って、と自己嫌悪に陥る面倒な性格。 先日の夜も、お風呂へ入りながら、こんな「万が一」の想像をしてしまった。 ――もしも母が入浴中に溺れてしまったら。 母はいつも、ゆっくりしたいという理由でお風呂は最後に入りたがる。 そうやって母がお風呂へ入っている間、先に上がった私はのんきに髪を乾かし

私の小さな農園に堆肥を入れる

私の小さな農園に苦土石灰を入れてから一週間が経った。今度は堆肥を入れるため、母と私、それぞれが一輪車を押す。 私の一輪車には、マルチシートや「野菜肥料」とマジックで書かれたペットボトルが積まれていた。母の一輪車にはスコップが積まれ、畑のすみにある堆肥(臭くない)を一輪車へ何回かすくって入れる。 そして私の小さな農園へ。 目の前に広がるご近所さんの田んぼでは、田植え機をいじる見知らぬおじさんがいた。 「今朝早くからオデッテャア(手伝い)来てんだっけ」 母が田んぼを眺めて

野草を見分けたい

今日の夕飯に、セリの酢味噌和えが出た。母が水辺近くを草刈りしていて見つけたセリらしい。先日は三つ葉のおひたしが食卓に上がった。これも母が見つけたもの。 母のそういうところに、ちょっと憧れている。食べられる野草を見分けることができ、サッと採ってきて、食事の一品にする。 私の場合、バッキャ(ふきのとう)のようにわかりやすい姿ならまだしも、葉っぱ系の野草は見分けがつかない。 私が漠然と描く将来のイメージとして、お金に振り回されない、支払いに追われないライフスタイルというのがあ

春の森の「パキパキ」の正体

4月上旬頃の話なのだが、毎年その時期になると我が家の氏神様の森から、パキ、パキ、という謎の音が聞こえてくる。それもあちこちから。 今年の春も、庭で母と並んで耳を澄まし、さてなんの音だろうかと毎日観察していた。昼間も鳴らないわけではないが、パキパキパキパキ頻繁に鳴るのは、決まって夕方頃。 まず思ったのは、カモシカの足音。だけどカモシカが枝を踏んだときの音は、もっと体重を感じる。こんなパキパキと軽い音じゃない。 それにカモシカだったら、音は一本筋になる。実際、森から下りてき

私の小さな農園

去年は草刈り機(刈り払い機)を覚え、せっせと草刈りに勤しんだ。今年はさらに、農作物をひとつふたつ育ててみようと思う。 母にも言われたが、健康上の理由で、私は農業一本で生きていくことはできない。それはわかっている。だけど今のうちに小さな経験は積んでおきたい。 震災、コロナ禍、離婚、父の死、戦争の影響――たった10年、11年の間にこれだけのことが起こった。これから先だって、世界や私の生活が予想外の変化を遂げないとも限らない。 だからたとえ微々たるものだとしても、「生きる力」