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評価のブレに価値を見出す。組織のあり方を考える。
「そういう感情みたいなものを排除したい。不公平を生みたくないから。平等に評価する。そこ人間の感情は不要だ。」
ある社長のコメントだった。
評価にブレが出る。
これはどこにでもあるコト。
管理職とて人間だし、評価する際に想いが出ることだってある。
そもそも目標設定時点で理念や計画にズレがあることも多々あるのだけれども、それはまた別のお話で。
今日は、人が評価することによって生じる“ズレ”を、どう考えるか、という話。
会社の在り方、スタイルに良し悪しはない。
正解も不正解もない。
あるのは事実のみで、そこに対しどう判断するか。
その判断に対し、辞める人は辞める。
残る人は残る。
あるのは事実だけ。
なので、“うちらしさ”の追求が組織づくりであり、社員との対話になる。
けど僕は個人的には、この評価のブレをなくすことは、どれだけ数値化しても、人がやる限りは変わらないと思っている。
むしろ、人による、人の為の評価において、評価のブレはあっていいと思う。
勿論、偏見とか妬みとか、そんな程度のものを言ってるんじゃない。
ハロー効果や中央化傾向など、一般的な評価の基礎知識は把握する必要はある。
けど、上司部下の関係において、「それでもあいつは頑張ってる」という感覚と、評価したい想いは捨ててはならない。
だからこそ、どうする?
どうやってその社員のパフォーマンスをあげる?
ということに注力するわけで。
大事なことは、理念に共感共鳴する組織づくり、自走自律する組織づくりを目指す中で、
誰がそれを実行してるのか、
その実行度合いのどんな内容とどんなレベルをうちとして良しとするのか、
その評価の視点と程度を徹底的にコミュニケーションで議論して、組織としての評価を出すことだと思う。
その上で、タレントパイプラインの充実化を図る。
評価に対し、上司はどうすれば部下のエンゲージメントを上げることができるのか。
成長実感を持たせられるかを考え、追求する。
いつどのくらい時間をかければ、求めるレベルに達するのかをプランニングする。
これが事業戦略に対する育成戦略。
そうこうしていれば、きっと変な偏った評価にはならない。
こうして考えてみれば、結論数値化させて公平性を担保することが、必ずしも評価の適正運用ということにはならない。
評価には、やっぱり人の想いが宿ると思う。
こだわっていいと思う。
偏りがあっていいと思う。
だからこその多様性であり、信頼関係であり、チームビルディング。
組織としての深みと味が、そこにでる。
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