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東日本大震災で感じた怒り

東日本大震災の被災者です。こんにちは

う~~んキャラ的にシリアスなことを語るのは似合わないかなとこの話題は避けてたんですが、石川県の地震のこともあり語ってみようかなと。


まあズバリいうと人間は当たり前の存在に気づけないし気づけてないことにも気づけてないんだよなって事です。


東日本大震災は原発のこともあり、どうしても経験したたくさんの感情が多すぎる。だからあえて一つだけにします。


ここで読んでいるあなたの時間を震災直後に戻してください。

政府が「原発を止めろ」ということになり、日本中で
「電気が足りない!」
「電力を大量に消費する会社は今日一日電気を使うな」
「企業も企業として節電を心がけよう!具体的に〇〇%節電目標を!」
「ひとつひとつの家庭でもこまめに節電を!」

という時期がありましたよね。某大手コンビニエンスストアは大々的に工事して店内の電気を節電タイプにしたり、ちょっとずつお店が再開されても天井を見ると半分しか点灯してなかったり。
暗いなと思っても、今これは絶対に必要な我慢なんだと思って無駄につけてる電気があったらあなたも家の電気を消したりしてたと思います。



ここで質問です。
無駄につけてる電気を消すとき、当時何を思っていましたか?



「これで節電になった。被災地の為に少しはなれた」

被災地のこと
原発のこと
被災者のこと

おそらくこれを思ってくれていたと思います。



で、ここで聞きたいのはこれです。



電気をつけるときは何を思ってましたか?


被災地に負担がかかるとか、無駄な電気をつけてしまったとか思いましたか?

おそらく何も思わなかったと思います。
「暗いな。電気つけよ」
これだけだったんじゃないでしょうか



電気を使うことを責めるつもりはありません。俺だって電気の恩恵を受けてます。
そうではなく、文明の恩恵を受けることが当たり前という状態に気づけないから、スイッチを切るときに被災地を思うことがあっても、つけるときには何も思えないんです。


文明があるのは人間だからこそですが、それが当たり前であると思いすぎるのは危険な気がするのです。その恩恵の為にゆがみがどうしても発生してしまうことを、直接その産業にかかわっていなくても知っておかなくてはいけないと思ったのです。

いや直接かかわってないからこそ、責任は負わず恩恵だけをお金と引き換えに味わえてしまう。

そんなことを考えた出来事でした。



最後に能登半島地震の被害にあった皆さんにお見舞い申し上げます。
そして過去のすべての震災によって今も苦しんでいる、戦っている皆さんに思いを寄せて。

スキをくれ!!ください!!マジでください!マジでマジでマジでマジでください!なんにも減るもんじゃないですよね?頼むよお願いお願いお願い!!! ついでに言うと、あわよくばサポートという愛もください!!金額云々じゃなくその事実だけでどれほどのパワーをもらえることか。