「聴ける」曲とは


こんばんは。



私は「このアーティストの曲は聴ける」という言葉をたまに耳にするのだが、

「聴ける曲」という表現に何か引っ掛かりを感じたので少しばかり書いてみようと思いました。



最近聞いたのでいえば、

母親がバンド「King Gnu」にハマったと言っていたので、色々話していると


この人らの曲はぜんぶ「聴ける」

と。

なんか私の心の中はモヤモヤだらけでした。


その謎を解き明かすために考えてみました。

まず、聴ける曲があるということは聴けない曲があるということです。

聴けない曲とは何か、単純に考えると自分が嫌いな曲ということだと思います。

自分の意志的に「聴けない」ということですね。

他にも、CDが壊れていて物理的に「聴けない」というのもありますが、今回の話題とは逸れるので却下します。

とりあえず、聴けない曲=嫌いな曲という認識でいいでしょう。


ということは、逆に考えて聴ける曲=好きな曲なのでしょうか。



これ自体は正しいと思います。

が、何か引っ掛かる。言葉の問題なのでしょうか?


聴けると言っているという事は、

音楽を聴く→良し悪しを判断する→聴ける

という過程を踏んでいると思うんです。例えるならブラックボックス的な何かがあると思うんです。

良し悪しを判断してるってことは評価してるわけじゃないですか。

この聴けるという言葉から音楽を評価しているという印象を受けることで、引っ掛かりを感じているのかなと思いました。


少し話は逸れるのですが、

知らない未知の音楽を聴くときに、シャッフルしたりして聞き流すのと、自分から「聴こう」と思って聴くのでは、評価に違いが出ませんか?


聞き流してるとどの曲も良いと思えてしまいませんか?

私はこれにとても当てはまるのですが。


これは、評価をしようと頭の中で一定のハードルを作っているかの違いなのかなと思います。

「何か新しい曲を聴くぞ」と思っているときは、頭の中では「いい曲を探したい」という欲が出て、自分の好みと照らし合わせ、曲のダメな部分を優先的に探してしまうのではないかと思います。

曲を聴こう→なんかダメみたいな感じですね

一方シャッフルで聞き流しているときは、そういう欲がないので、まず曲の良いところから入ることができます。

なんかイイ→ちゃんと聴こう

となるからではないでしょうか。


まとめると、

音楽は評価しようと思って聴くと、曲の粗探しをしてしまうので、純粋に楽しむことができません。不協和音だらけで曲になっていないなどの極端な事でもない限り、どの曲もすべて聴ける良い曲だと思います。なので聴ける聴けないという表現は、適していないのかなと思います。


好き、嫌いという表現の方が適切かもしれませんね。


それでは。




















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