フェラーリ黄金時代の終焉、悲惨だった2005年のフェラーリ・F2005
どんなスポーツでも、黄金時代もあれば悲惨な時もあります。その中から20世紀終わりから、21世紀の始め頃まで、フェラーリは黄金時代を君臨し続けてきましたが、大幅なレギュレーションの2005年、フェラーリ黄金時代は終焉を迎える事になったのですが、F2005。
シャーシ
シャーシ:F2005
全長 4,545 mm
全幅 1,796 mm
全高 959 mm
ホイールベース 3,050 mm
前トレッド 1,450 mm
後トレッド 1,405 mm
・クラッチ AP
・タイヤ ブリヂストン
エンジン
エンジン名 Tipo055
気筒数・角度 V型10気筒・90度
排気量 2,997cc
スパークプラグ NGK
燃料/潤滑油 シェル
ドライバー
No.1 ミハエル・シューマッハ
No.2 ルーベンス・バリチェロ
2005年のレギュレーション(一部)
この年のレギュレーションは、前年の1GP1エンジンから2GP1エンジンに変更。予選開始前に交換した場合は10グリッド降格、予選後に交換した場合は最後尾に降格だった。またタイヤは予選・決勝を通して、1セットしか使えず、原則タイヤ交換は禁止でした。予選は第6戦まで、2日制ワンラップ方式。第7戦から最終戦まで1日制ワンラップ方式に変更。
2005年のフェラーリ
さてF2005は当初、第5戦のスペインから導入する予定だったそうですが、昨年の改良版となるF2004Mの結果が全く歯が立たず、第3戦バーレーンで新車を導入したが、結果はシューマッハがリタイア。そしてバリチェロは周回遅れの9位に終わり、ニューマシンのデビュー戦で勝利できなかったのは、1998年以来だった。フェラーリは新たなレギュレーション対応に失敗、上記でも書きましたが2005年はタイヤ交換が原則禁止になった事で、これまでのピットストップ戦略も事実上禁止になった事や、新レギュレーション対応も失敗。ギアボックスの設計ミス、ブリヂストンタイヤとのミスマッチングさらに、2006年からは、新V8エンジンに変わったのだが、そのエンジン開発のリソースを取られてしまった事も不振のシーズンとなってしまった原因。
結果
黄金時代を築いてきたフェラーリは、1995年以来の1勝に終わった。1994年、F1初優勝からシューマッハは複数回のシーズンでの優勝を果たしましたが、シューマッハが1勝でシーズンを終えたのは、優勝を獲得した年の中では、ポールポジションもハンガリーでの1回のみ、そして優勝したレースは、ミシュランタイヤがボイコットしたアメリカグランプリでの1勝だけで、自力での優勝は0という不本意シーズンだった。またシューマッハの年間で1勝で、シーズンを終えたのは1993年以来。またチームメイトのバリチェロは2001年以来の未勝利に終わり、この年は決勝最高位は2位だったが、予選最高位は6位とフロントローどころかセカンドローも獲得できなかった。シューマッハは翌年も残留しましたが、バリチェロはフェラーリを離脱し、翌年はB・A・Rの株式を取得したホンダに移籍が決まった。
1999年に1983年以来のコンストラクターズを獲得、そして1979年以来のフェラーリからのワールドチャンピオンとなり、1999年に続きコンストラクターズタイトルを獲得し、ダブルタイトルとなった2000年から、圧倒的な強さのフェラーリ時代だったが、シーズンを通してチャンピオン争いには絡めなかった2005年のフェラーリだったのでした。
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