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健康の偉大さとスナップの話

Midnight diary #5 

先日まで、高熱を出して寝込んでいた。
コロナの検査は陰性だったものの、38度を超えてくると体の節々は痛み、まともに動けなくなる。
平熱が35度台の私にとっては寝ているだけでもしんどい体温だ。
休暇にやろうと思っていてことは全部パーになってしまった。
それにしても医者の薬はよく効く。
かかりつけの病院へ行き、とんぷくを処方してもらったのだが、服用した数時間後には体の痛みは取れ、熱も下がった。
しかしまだまだ油断はできない。
下痢と腹痛は依然として私の中に居座っている。
健康の有難みが身に沁みた今日この頃だ。

先日のMidnight diaryで、森山大道とアンリ・カルティエ=ブレッソンとスナップに違いがあるという主旨の話をした。
アンリ・カルティエ=ブレッソンはもうお亡くなりになっているが、森山大道はまだご存命だ。ご存命の人についてあーだこーだ言うのはかなり勇気のいることなので前回はサラッと流したのだが、やっぱりもう少し掘り下げていこうと思う。

両者の違いとは。
端的に言うと、両者の違いはクライマックスの迎え方にあると思っている。
「あ!」の瞬間に撮影するのが森山大道。
「あ、いい!」を待って撮影するのがアンリ・カルティエ=ブレッソンだ。
前者はある意味フェティシズムさえ感じられるほどに、瞬間的な形や印象に重きを置いているのに対して、後者は動的な一瞬に重きを置いており、主題と物語が明確に見受けられる。

クライマックスが異なればアプローチも異なってくる。
前者は反射神経を重視し、いつでもシャッターを切れる状態にしておく必要があるが、後者の場合は先読みが重要となり、いつでもフレーミングできる状態にしておく必要がある。それは、使う機材にも表れており、森山大道が使っていた機材として代表的なものはRICOHのGR。対してアンリ・カルティエ=ブレッソンはLeicaMを愛機としていた。
両機ともスナップに最適なカメラとして紹介されることが多いが、その強みや所作が異なっていることは広く知られている。

カメラによって得手不得手があるのは事実だが、ある一部分を極めようと思ったとき、それに適した道具選びをすることは理にかなっている。
まぁ当人たちがどんな心境で写真を撮っていたかなんて私には知る由もないのだが、そういった切り口から広く写真を見てみると、両者の違いはとても興味深いと感じた。
スナップは反射神経か、先読みか。
シャッターは心で切るのか、頭で切るのか。
クライマックスの捉え方は人それぞれだが、これはしばらく、私の写真活動における大きなテーマとなりそうだ。


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