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素直さ、清らかさ、潔さ

こんにちは。
すっかり投稿数が少なくなっていますが、今回も記事を見ていただきありがとうございます。

たまにしか記事を投稿しないので、見てくれる人も少ないだろうと思っていましたが、コアな方々に記事を楽しみにしていると言われてしまったので、重い腰を上げて今日は記事を書いてみます。

思えば、noteの良さは、普段は話す機会が無いような自分の思いを心のままに書いていき、それをじっくり見てくれるコアな人たちがいるということ。

そこで、今回の記事では、私個人が建築を設計する、あるいは、建築を見るうえで感じ取っている言葉では表しがたい感覚についてお話ししてみたいと思います。

建築に感じる「素直さ、清らかさ、潔さ」

早速ですが、今回取り上げる感覚は、言葉で表すと「素直さ、清らかさ、潔さ」です。
もっと直感的に表すと「サ~、すっと、さらー」という感覚です。

意味が分からないと思いますが、本当に言葉では表すのは難しいのです。
世の中にはいろいろな音楽があると思いますが、心が動かされた音楽があったとして、その音楽を初めて聴いたその瞬間の気持ちをその場でわざわざ言葉にすることは無いと思います。

そんな直感的な感覚です。

我々建築を専門にする者は、若い頃から「とにかく建築は体験だ。世界中の建築を見て来い。」と言われるのですが、これは本当に仰るとおりなのです。

実際に建築を体感して、そこで得られる感覚を反復する。
そして、得られた感覚が生ずるのはどういう場所で、どんな空間で、どのようなデザインであったのか。
それを反復して自身の身体に染み込ませることで、はじめて設計に落とし込むことができるようになる。

では、私が感じている感覚の一つと実際の建築事例の写真を交えて紹介してみたいと思います。
先でも述べたように今回は「素直さ、清らかさ、潔さ」です。

1. Designed by Eldridge Anderson

まずは、こちらの1枚目の写真。

雨樋が素直です。
最初にこれを見たときの身体に流れた感覚は「すぅーっ、さぁーらーっ」という感じです。
この事例では、何がそのような感覚を得られるかというと、どうしても必要で見えてしまう樋を隠そうとせずに潔く見せて(魅せて)いるところです。

ただ勘違いしてはならないのが、単純に雨樋を見せてしまえば良いというものではないのです。

この雨樋が清らかに潔く見えるのには、出入口である階段や扉の樋との距離、外壁の素材や格子の縦ライン、屋根の素材とのバランスや樋の直径など、建築家が全てのバランスを考慮しているからこそ生じる感覚です。

2. Designed by FUKUMOTO Architects

つづいては、私が設計したこちらの建物。

屋根材にはガルバリウム鋼板の波板というものを使用しているのですが、軒先には何も設けていません。スパっと材料の小口(端)を見せています。
先の事例とは逆に、樋が不要なところはあえて設けていません。
雨が''素直に''地面に向かってポタポタと落ちていきます。
だからこそ、雨が降っていなくても材料やデザインから''素直さ''を感じることができるのです。
もちろん、樋が必要なところには設けています。
写真の右手がそうなのですが、これも実は樋と言われるような材料を''取り付けている''のではなく、L型の鋼板をただ''据え置いている’’という感覚で設計しています。
その屋根材の下にある、梁や垂木といわれる木部も加工せずに材料そのままを壁に''置いた''ような感覚で設計しています。

3. Designed by FUKUMOTO Architects

ちなみに、こちらの写真は屋根の妻側(側面)を写していますが、こちらも屋根材だけでスパっと終えています。
たいていは、写真左手の屋根の頂部にもう一つ線が見えると思いますが、覆いを付けて水が入らないようにします。
「あれ、じゃあ側面は水が入ってしまうの?」と思った方もいるかもしれませんが、もちろんそこは水が入らないように設計・デザインしています。

実は、この建物も工事中に工務店の方が側面にも覆いを付けようとしました。
私は慌てて「待って!そこは付けないください!」とお願いしました。
写真で見ていただくと分かるように、空と屋根の間にもう一本線が入ってしまったら、このおおらかな建物がもつ伸びやかさがそこできゅっと抑えられてしまいます。
空と屋根との馴染みも減少し、自然との調和がない建物になってしまいます。

これももちろん時と場合によるので、全体のバランスを見なければなりません。

4. Designed by FUKUMOTO Architects

4枚目は、古民家の改修後の写真。
茶色の壁はある塗装を施しているのですが、茶色部分は元々漆喰壁があった部分で、左側の壁と右側の壁で段々になっているのも元からある段差でした。
工事中に奥の天井を解体したらこの段差が現れました。
当初の計画では、ここに天井を新たに作る予定でしたが、解体したときに現れた漆喰壁の段差と上部の土壁をそのまま生かすことにしました。

現場での打合せで職人からは「壁の段差を無くして''きれいに''一直線に揃えましょうか?それとも、上の土壁まで均一に塗装しましょうか?」と、提案されましたが、''きれいに''ではなく''清らか''にさせてほしいということで写真のように段差を残しました。
照明が壁に取り付く位置についても、''素直に''そのまま壁の段差に合わせています。
ちなみに、この時は照明屋さんからも現場では「どちらの高さに''揃えましょうか''?」と聞かれていました。

5. Designed by FUKUMOTO Architects

こちらは、とある住宅の玄関建具を改修した時の写真です。
写真右上を見ていただくと、一番上の横に走っている材料が右に飛び出しているのが分かるかと思います。
こういう形を「角柄(つのがら)」と言います。
正直、私が好んでいる納め方です。

たぶん、今ここまで読んでくれている皆さんの周りを見ると、窓や扉の周りを四方に囲んでいる枠は、四隅でカチッと止まっている場合がほとんどかと思います。
建売住宅によく見られるLIXILやYKKAPなどの窓枠もほとんどが材料は飛び出さずにカチッと止まっています。

そうです。カチッと。これが窮屈に感じてしまいます。
もちろん、四方で留めていく場合もあります。
ここであえて「止め」ではなく「留め」と書いたのは、そいいう納まりがあるからです。
(「留め」については、ネットですぐ出てくるので割愛します。)

写真のように、「角柄」はなんとなく材料がすっと伸びていて、さぁーっと空気の流れが滞りなく流れている感じがしませんでしょうか?
ここに''清らかさ''を感じます。

この角柄について、私が感じていた感覚が確かなものとして自信を持てるようになった本に『西澤文隆の仕事(一) 透ける』という本があります。

日本では極力囲うことを嫌った。囲うと風が流れないからである。寝殿造りでは敷地の外周を築地塀で囲い込むことにより、敷地内では開放的な家を建てたが、極端に囲うことを嫌った王朝時代の人々は築地塀の角を止めにせず、一方を延ばし、他方をこれにぶつける角柄留のディテールを思いついた。あたかも面として自立する築地塀が互いにぶつかっているように見せかけたのである。いまでも築地塀ではそのディテールが生きている。
感性の問題である。

引用元:『西澤文隆の仕事(一) 透ける』鹿島出版会


おわりに

今回の感覚のキーワードは、「素直さ、清らかさ、潔さ」でしたが、他にも建築を考える・見るうえで感じている言葉には表現し難い感覚というものがたくさんあります。

正直、私にとってこういった感覚が自信を持って確かな感覚として身につけるには、体験や反復だけでは得られません。
体験や反復はどちらかというと感覚を形成する過程であり、その感覚はぼんやりとしており、直感でしか形に表現できません。
しかし、歴代の建築家たちの本を読むと、そこには同じか近い感覚を上手く言葉で表現していることがあります。
そこではじめて、確固とした感覚を身体に封じ込めたようになり、自信を持って提案ができます。

建築に対してだけではなく、場所や環境に対しても同じです。
むしろ、そちらの方が重要です。

私の建築の造り方は、常に場所や環境の諸要素をそのまま浮かび上がらせること。

毎日が、感覚の体験、反復、習得の繰り返しです。


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