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言語によって忘れ去られたことば

毎回ヘッダーを選ぶのが適当な私です。本当は描けばいいんだろうけどそんな描けないし、でも時間はたくさんあったのでdrowingアプリとかでお絵描きしたりしてみたりしてましたが、このヘッダーは私の絵ではありません。

今回は、言語によって忘れ去られたことばについて考えることで、思考の世界を広げてみようと思いこのnoteを書きます。


初めに、言語化と聞いて何を思い浮かべますか?

先日までは、脳内にあるウニャウニャをキチッと揃えて文字に起こし口から吐き出すことだと思っていました。が、なんだか身体の言語性に気がついてしまった今の私には言語化の定義がさらに広がったように感じます。

そもそも言語とはなんなのかについてまとめていきます。「学び」の認知科学辞典からお力添えいただき私の考えを補強して1人でも多くの人とこの気づきの喜びを分かち合いたいと思います。

まず言語とは、「一定の決まりに従い音声や文字・記号を連ねて意味を表すもの、またその総体」らしいです。なんとなくしっくりきます。発声を伴ったり文章を組み合わせていく中で生成されるものですよね。

では、少し噛み砕いて言語→ことばとしてみましょう。

そうするとことばとは、
1. 伝え合う手段でとして、他人と意を通わせるコミュニケーションの機能を果たすもの
2. 伝える手段であり、個人の内面に意味表象(イメージ)を構成するという機能を果たすもの
らしいです。ここで個人的に気になってくるのが、解釈と意味づけの違いですが置いといて。(後でこのテーマでもnoteかければいいな)

ことばとはいわゆる手段な訳です。1つはCommunicationで、もう1つはimaginationであってるかな?そんな感じです。こうなるともはやlanguageではないのですが、日本語の多義性によりことばの大切な要素が忘れられているのが問題です。

どうしても、言語と聞くと辞書的なことばを想像してしまいますが、これを扱ったコミュニケーションはバーバルコミュニケーションと呼ばれるものです。私が今回注目したいものはノンバーバルコミュニケーション、非言語コミュニケーションです。

それは、目線だったり仕草であったり、ジェスチャーなどという身体が持つ記号性を用いたコミュニケーションです。ことばと聞いて身体を思い浮かべるのは一般的ではないかもしれません。しかし忘れてはいけないためになるものだと思います。

そうしたら、もう一度身体による言葉をイメージしながらことばの説明を読んでみてください。
1. 伝え合う手段でとして、他人と意を通わせるコミュニケーションの機能を果たすもの
2. 伝える手段であり、個人の内面に意味表象(イメージ)を構成するという機能を果たすもの

なんだかすっきりとことばの持つ身体的側面に触れられたような気がしませんか。

私たちはついつい忘れ気味になってしまっているのがこの身体的ことばで身体言語とも言えるものです。それは人として生まれたからには獲得せずともすでに身につけられているために気が付きにくいものだからです。

これが意外と便利なもので、頭の中のムニャムニャをなんとか相手に伝えたいときにとてつもなく強力な力を持ちます。それは、なんとなく伝わるってことですもちろん伝わらない時もありますが、ニュアンスやぼやけたイメージを伝えるのには最適なものであり、自らが身体言語を意識的に扱うことで文字へと効率的にイメージを解読していくこともできるのです。

会議中に立ち上がってポージングし始めたり、歩きながら踊っていると少し怖い人かもしれません。普通に、人前だと恥ずかしいです。しかし、意識的に使うことで感覚が研ぎ澄まされたり、見えなかった世界へ到達できる鍵になるかもしれません。

私は最近、バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションの往復によってより深い解釈へと辿り着けるのではないかと考えています。まだなんの根拠もないけれど個人的に体動かしながら考え事するとなんかしっくりくることが多いのでそんな気がします。

こんな感じで、言語によって忘れられてしまっていたことばに気がつくことができたのではないでしょうか。

そうすると言語化の意味合いも少し変わってくるかもしれませんね。

詳しい人いたら教えてください。

また、これを書くきっかけをくれた言語についてのnoteを書いていた二人の知り合いに感謝を、いろんな分野に知り合いがいる僕は本当に幸せです。

みんな考えが詰まったら体動かそうな!

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