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幸せの悪魔的本性

人間はどんな場合に幸せを感じるのかについて考えてみる。
普通に考えて人間が幸せを感じる時、って欲を満たせた時。

しかしもっと掘り下げてみよう。
幸せの本質とは何なのかが見えてくる。
それはざっと言って2つある。
一つ目が他人との比較。
二つ目が自分との比較。

①他人との比較

よく人と比較しないだろうか。たっつんは、する。
どうしてもしてしまう、の方が正しい。
テストの点数で競うなどが典型例だ。
勝てていれば気分も良いし幸福だといえるだろう。
しかし、ずっと向上できる人はいるだろうか。
人間は生物なのだから、必ず限界が来る。
万能ではないから、絶対に負けてしまう。負けない人間はいない。
その時人間は不幸に襲われる。

スマブラでボコボコにされた時、不幸を感じる。

②自分との比較

じゃあ他人なんて見なければ良いんじゃあないか
人を見下して得る幸せは幸せじゃないんだ!と。
山で篭って修行するのか?
しかしこれも続かない。山を登れば登るほど急勾配の坂が目の前に現れる。
若かったり、能力が高いものならしばらくは登れるのかもしれない。
吉田沙保里選手も金メダルを3個も取った。
しかし、最後の引退試合では銀メダルだった。

銀メダルは世界2位の称号。
たっつんは一生で世界2位に輝くことなんてないと思う。
でも吉田選手は号泣していた。
銀メダルの領域はすでに到達していたものだったから、もう幸せを感じられなくなってしまったのだ。
過去の自分自身と比べて、不幸になってしまったんだなぁと思った。

③まとめ

人間は比較しないと物事を認識できない。
物を並べられて、相対的にみてようやく理解ができる。
過去、現在、未来、他人とを見比べて、自分の幸不幸を決定している。
そして逃れることはできない。
全部が相対的な幸福で、必ず終わりを迎えてしまうことが肌感覚でもわかる。
ずっと幸福でいられるものがあるのか、先人の知恵に学んでいきたい。


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