見出し画像

【小説】迷い猫 4

3話 / マガジン / 5話

(4)

利久斗りくと!」

 友梨佳が声を上げると同時にその男性は友梨佳と茉莉の手を引いた。そのまま階段を下り路肩に停めてあった車に2人を誘導すると、乗るよう促した。
 茉莉は何が何だか分からないまま猫のキャリーを抱え車に乗り込んだ。

 黒い服の人物は、まさに茉莉たちが車に乗り込んだ瞬間にあと僅かのところまで辿り着いた。
 車の窓から険しい表情で覗き込むと、次の瞬間乱暴に車の扉を叩いてきた。ドンドン、ドンドン、執拗に何度も叩きつけてくる。

「やば……」
「出すから二人ともつかまって!」

 利久斗と呼ばれた男性がエンジンをかけた。

「オイッ! クソッ! 待て、このやろう!」

 後方で車の中まで聞こえるほどの罵声を浴びせているのが聞こえた。振り返ると、持っていたキャリーを地面に叩きつけたようで、周囲の通行人が怯えて道を開けている。


「えっと。まず状況を整理しようか」

 しばらく車を走らせたところで、友梨佳が切り出した。茉莉はまだ心臓が早鐘を打ったまま猫の入ったキャリーを固く抱え込んで微動だに出来ずにいた。
 そんな茉莉をみて、友梨佳は矛先を変えた。

「利久斗、なんであそこに?」
「え? 俺?」

 まさか自分を指名されると思っていなかった利久斗は一瞬ハンドルがぶれる。

「わぁ危ない!」
「ごめんごめん。いや、なんでって、友梨佳を迎えにだよ」

 ミラー越しに、利久斗がニコっと笑った。友梨佳が大袈裟にため息をつく。

「迎えはいらないって朝言ったじゃん。まぁでも、おかげで助かったんだけど」

 利久斗は、軽くパーマのかかったウルフカットで鼻筋の通った顔立ちのさわやかな印象の男性だった。二人のやりとりを見ていた茉莉はようやく肩の力が抜けてきた。この人は友梨佳の彼氏だろうか。会話の流れからして今朝、家まで送ってきたのがこの男性なのだろう、と茉莉は考えた。

「あ、茉莉。この人、彼氏でもなんでもないからね」

 茉莉の心中を見透かすように友梨佳が言った。

「え、違うの?」
「やっぱり誤解してたか。そんな顔してた。この人は従兄弟ね、い・と・こ」

 思わず茉莉はミラー越しに利久斗を見た。ミラーを介してこちらを見た利久斗は「なんだぁネタバレ早くない?」とつまらなそうに笑う。

「子供の頃から近所に住んでて兄ちゃんみたいな感じなの。今朝、茉莉の家まで送ってもらった。まぁ、ここまでついてきたのは想定外だけど」
「だって、立川まで行くとか言うからさぁ。帰り車のがラクじゃん。戻ってきたら声かけようとモノレールの入口近くで待ってたんだよ。そしたら慌てて逃げてくるからさ。なんかこれ、やべーのかと思って」
「いやでも私、友達と行くって言ったよね? そしたらフツー帰りも友達と帰ると思わない? そのままカフェいったりとかもあるかもだし」
「お友達も一緒に乗ってもらおうと思ってたんだよ。まぁ入れ違ったら、それはそれでいいんだよ。俺、車の運転好きだから」

 再びニコっとミラー越しに微笑む利久斗。友梨佳は呆れたように窓の外をみた。いつもと違いペースを乱されているように見えた。こんな一面もあるのかと茉莉は不思議な気持ちで友梨佳を見た。
 友梨佳が自然に口にした〝友達〟というワードが妙にこそばゆい。

「で、次は茉莉の番だよ。なんで突然逃げ出したの?」

 友梨佳が茉莉を見た。その目は真剣で裏表なく茉莉の状況を案じているように見える。

 なんと説明したらいいのか。
 あの人は本物の飼い主ではない、そう思った。でもそれは直感めいたもので具体的な根拠はない。

「うまく、説明できないけど。嫌な予感がした。あの人は飼い主じゃない。このを渡しちゃいけないって不安で背筋が寒くなって。
 そういう不安があるとき、大抵あたるから」

 友梨佳も利久斗もよく分からないといった表情をした。当然だ。茉莉は自分の感覚を人に理解してもらうことの難しさを良く分かっていた。

「ふうん。まあ確かにあの男はヤバそうな人だったね」

 しばらくして友梨佳がそう呟いた。

「ごめん。友梨佳が電車の中で『相手が信用できるか分からない』って言ってるのを聞いて、ドキっとしたのもある。相手が信頼できるかなんて、よく考えてなかったって」

 茉莉は手元を見つめた。さきほど現れた人物を思い出した。とても生き物を慈しんでいる人物には思えない雰囲気と言動。
 まるで物を運搬しにきたようだった。

「でもさ、だとしたらあの男は何の目的で『とろろ』を探してるわけ?」
「……とろろ」
「ダメ? だって猫ちゃんじゃ味気ないでしょ。茉莉もそう呼ぼうよ」

 友梨佳がいつもの調子で言う。
 茉莉は諦めた。友梨佳に勝てる気はしないのだ。

「目的は分からないけど……。私はとりあえず明日動物病院に連れて行ってみる。それで本当の飼い主が分かるかもしれないし」
「わかった。タイミングあったら一緒にいく」

 そう言うとキャリーの中を友梨佳は覗いて、猫に微笑みかけた。


 利久斗に自宅まで送ってもらった茉莉は、自室に入ると後ろ手で扉を閉めた。キャリーを下に置くとそのまま床にへたり込んだ。
 昨日から立て続けに起きていることは、茉莉のキャパシティをとうにオーバーしていた。
 キャリーの中で猫が「みゃあみゃあ」と訴える。茉莉はケースを開け、出してあげた。猫は水を飲むとダンボールの中に納まり、またすやすやと眠り始めた。

 様子を見ながら、茉莉は一連のことをゆっくりと考えてみることにした。

 まず、猫ちゃん改め「とろろ」を拾った場所。ショッピングモールに面した大通り沿いの側溝。あの場所は車通りは多いがそこまで人は通らない場所だ。
 ショッピングモールは南北に敷かれた線路の西側に隣接する細長い長方形の敷地に建っている。鉄道は高架のため、改札口がそのままショッピングモールの二階部分に直結している。この直結している入口がイーストゲート。反対の大学側がウエストゲートとなる。
 ウエストゲートから大学まではペデストリアンデッキが続いており、大学の正門の手前で住宅街へ続く道へ降りることが出来る。

 そのため地域に住む地元民も、大学に通う学生もほとんどの者が、ペデストリアンデッキを使用する。デッキの下、つまり昨日茉莉がとろろを見つけたショッピングモール1階の出口から出る大通りは細い歩道はあるものの、ほぼ車の通行のためにあるような道だ。

 茉莉はインターネットで猫の自力での移動範囲を調べてみた。せいぜい200m~300mが一般的な範囲のようで、住宅街からも離れたあの大通り沿いの側溝にとろろが居たことへ違和感を覚えた。よしんば移動出来たとして、住宅のある地域からあんな大通りを車に轢かれることもなく渡れるものだろうか、と考えた。
 体調が回復してきたとろろは、人懐っこくいかにも飼い猫で野性味などこれっぽっちも感じない愛嬌のあるだった。人の力を借りずにあの大通りを渡れるとも思えない。

——ひょっとして棄てられたのだろうか。でも、だとしたら、あの人物は何故このを躍起になって取り返そうとするのか……。

 なにか訳があってとろろはあの場所に居たのだ。それは間違いない。


 リビングから母親が「夕飯よ」と声をかける。茉莉は慎重に扉を閉めると一階へ降りた。
 リビングのテレビではいつもの報道番組がついている。今日も闇バイトによる強盗事件の報道だった。闇バイトはどこにでもいる大学生や高校生でお金欲しさに簡単に手を出していることを何度も強調して報じている。
 連日同じようなテンションのキャスターの声は、だんだん茉莉の耳には入らなくなってきた。

「ごちそうさま!」

 飲み込むようにして食べると食器を下げた。2日連続そのような様子の娘に母親が訝しげに声をかける。

「ちょっと、茉莉。貴女昨日からなんなの? もう少しゆっくり食べなさいよ。今晩、貴女の好きな筑前煮にしたのよ? お代わりするかと思ってたくさん作ったのに。何も言わずに飲み込むみたいに食べて」

 茉莉は母親の顔をみた。申し訳ない気持ちはあるが、今はそれどころではない。課題にはまっていることを理由に謝ると、母親はしぶしぶと筑前煮をタッパーに詰め始めた。

 自室へ入ると、とろろはもぐもぐとキャットフードを食べていた。食べずに不安になった昨晩から何日も経過したように感じる。


 スマートフォンを見ると一件メッセージが来ていた。
 開いてみると「猫を返してください」という件名が目に飛び込んできた。あのソーシロという動画配信者からだ。

〔猫を返してください。
 本日、お約束していた待ち合わせ場所から猫を返さずにお帰りになったと飼い主である知人から聞きました。いったいどういう事でしょうか?
 猫のあまりの可愛さに返すのが惜しくなったのでしょうか?
 あなた様に、私どもの猫を拾っていただいたことは感謝しておりますが、もともとその猫は私どもの猫です。
 あなたに、所有権はありません。

 明日の朝、9時に再び立川駅へ来てください。
 お越しいただけないようなら、警察への通報も考えます〕

——あなたに、所有権はありません。

 茉莉はこの一文から目が離せなくなった。もちろんペットは飼い主の所有物である。そんなことは茉莉とて分かっている。

 ただ、なんだろうか。この言いようの知れない違和感は。
 次の瞬間、茉莉の手は自然に返信を打っていた。

〔失礼を承知でお尋ねします。
 猫がお知り合いの飼い猫であることを証明できるものは何かありますか?
 動画では不鮮明な写真のみでした。飼い猫でしたらいろいろと他にも写真があるのではないでしょうか?
 待ち合わせ場所にお越しになった方は本当に飼い主の方でしょうか?
 乱暴な態度でとても猫の飼い主のように見えませんでした〕

 送信を押してからしばらくして、茉莉は手が震えてきた。すごい内容の返信をしてしまったように思う。

 車の扉を叩いたあの男の姿がまざまざと甦ってきた。
 茉莉は膝を抱えて座り込む。
 正直に言えば怖い。ドンドンドン、今でも叩かれた扉の音が身体に響くようだ。

 恐怖のせいか、茉莉の部屋の扉も同じくドンドンドンと激しい音がするように思う。次第にその音は強くなってきた。

 膝に頭を埋めていた茉莉は顔をあげた。音が現実かトラウマか瞬時に判断がつかなくて、声すら上げられない。次の瞬間、扉がバンと開けられた。

あね!」

 茉莉は扉の方をよく見た。そこには弟の翔太がいた。 

「翔太……! え? ちょっとなに?」

 無様な姉の格好とダンボール箱の中の愛らしい猫を交互に見て、翔太は「なるほどぉ」と口の端を上げた。
 その翔太の表情を見て、茉莉はようやく状況を理解した。

「ち、違うのこの猫は、その。ちょっと預かってて」
「違うの、って何がぁ? 預かってるの? 誰からぁ?」

 翔太はニヤニヤと笑う。

「なんで勝手に扉開けるの? びっくりしたじゃん」
「じゃあなんでノックしたのに反応しないんだよ? なんかあったのかと思うだろ」

 あまりにもごもっともな弟の言葉に茉莉は返答に窮する。

あねさ、昨日からなんか変だったんだよな。だって藤代巧のドラマをリアタイしないなんてありえないだろ?
 そしたら、今晩もそそくさと夕飯終わらすしさ。
 絶対なんかあると思ってたんだよ」

 翔太はニヒルに笑うと、ダンボールを覗き込みとろろを優しく撫でた。

「美人さんじゃん。どこで拾ったの? 飼うの?」
「飼えるわけないじゃない。お母さん生き物嫌いなのに。飼い主さんに返すためにいろいろ動いているところ」
「だよなぁ……。だからこんなコソコソしてんだもんなぁ。で、飼い主は見つかったの?」

 よりによって翔太にバレるとは……。諦めの境地で茉莉は昨日からの事を順を追って説明した。

 友梨佳と多摩モノレールに乗るくだりでは「姉に一緒に電車に乗るような友達いたの?!」と案の定ツッコミが入ったものの、翔太は相槌を打ちながら最後まで話を聞いた。

「まじか、その男やべーじゃん」
「だよね。なんか寒気がして、渡しちゃいけない気がした」
「姉がそう思うなら連れて帰ってきて正解だな」

 猫に目を落としていた茉莉は顔をあげて翔太を見た。弟は口調こそ生意気だが、昔から茉莉のことを理解してくれる数少ない一人だった。

「で、どうすんの? これから」
「とりあえず、明日病院に連れて行ってみる。それで、飼い主が分かるかもしれない」
「しっかし一万円はきついなぁ。俺、金欠だから、そんな金ないよ」
「……別に翔太に出してもらおうなんて思ってないわよ」

 実際問題、自分もそんなお金はないのだが、弟を頼るほど落ちぶれていないつもりでいた。

「まぁでも、金はともかく、姉が大学いってる間とか世話したり、移動するときの護衛……みたいなことなら出来るぜ?」
「え? 本当?」
「うん、俺、高3だから午前だけの日も多いし。明日とかも空いてるぜ?」
「助かる! 翔太、知らない間にちょっとまともになったんだね」
「は? なんだよ。キャンパスライフを友達も彼氏も作らず暗く過ごしてる姉よりは元々それなりにマトモだよ。
 ちなみにカノジョと遊ぶときもあるから、ほどほどでヨロシク」
「そっちこそ彼女なんていたの?」
「いるよ。常にいるし」

 翔太の顔をまじまじと見た。たぶん最近仲良くなった女の子でもいるんだな、と茉莉が内心思ったのが伝わったのか、気まずそうに翔太は「じゃあな」というと扉を閉めて出て行った。
 茉莉は思わず笑った。
 翔太はあれで家族思いだ。父の居ない我が家で唯一の男として母と茉莉のことを護ろうとしてくれている。

 茉莉はスマートフォンを見た。ソーシロからはその後返事がない。

 警察に通報したのだろうか。
 茉莉はそれならそれで良いと感じていた。もともと動物病院とともに警察にも届けた方がいいと感じ始めていた。

 とろろは丸くなったまま眠っている。可愛らしい斑らな模様を見つめながら、茉莉は首元を見た。
 首輪につけられた緑色のタグ。
 首輪をつけているから飼い猫なんだろうと思ったが、タグは色くらいしか注目していなかった。

「なにコレ……」

——103568

 緑色のタグには6桁の数字が印字してあった。

(つづく)

3話 / マガジン / 5話

お気に召したらフォローお願いします。ツイッター(@tatsuki_shinno)でも呟いています。