企業の謳い文句を素直に信じられないのはなぜ?【書籍から学ぶ】
皆さんこんばんは、福田達也です。
最近の記事の中で何度か通販のレビュー、特にAmazonのカスタマーレビューが信じられないという話をしました。本来であれば、レビューの数が多いほど信用ができて、平均のスコアが高いほど安心できるはずが、サクラレビューが蔓延っているせいで、そもそも疑いの目を向けなければならない。
その結果は、私たちがそこを信用できないだけでなく、全員が不幸になる負のループです。なぜ私たちがこういった事を信じられなくなり、その結果どういったことが起こるのか。そんな話が今回紹介する本のテーマです。
本日の内容はこちらの書籍『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』の第12章より、『不信の輪 なぜわたしたちはマーケティング担当者の話を信じないのか』です。
【要約】なぜ企業の広告は信じられない
私たちは、企業のプロモーションが私たちのためではなく企業のためであることを理解しはじめ、その結果、私たちを騙そうとしている相手だけでなく、誰に対しても不信感をつのらせている。
この根底にあるのは「共有地の悲劇」だ。長期的な観点から共有資源の持続可能性を気にかけている人がいる一方で、短期的には自分の公正な取り分以上に取ることで利益を得たい人たちがいる。そして、悪いプレイヤーが市場に数人いるだけで、他のすべての人にとっての信用がだいなしになってしまう。
この失った信用を回復するためには、適度な投資と方向づけが重要である。企業であれば、消費者の苦情に積極的に取り組むことだ。より極端な形としては、企業が透明化し、無防備になることでもある。
共有地の悲劇 ~自分の利益だけを考える~
要約でも書いたように、私たちが不信感を募らせているのは、多くの企業が自分の利益だけを考え、消費者である私たちを騙そうとしていることに気づき始めたからです。
騙され不利益を被らないためには、最初から疑ってかかり、本当なのかどうかを1つずつ確かめる必要があります。そして、この結果起こるのが「共有地の悲劇」です。
有名な逸話で、ある田舎の街に行った人が、誰も家の鍵をかけていない、どころかそもそも家に鍵がついていないのに驚いたという話があります。なんで鍵をかけないのか、不用心じゃないかと尋ねると、笑ってこう返されたそうです。「誰も何も盗ろうとなんてしないのに、なんで鍵をつける必要があるんだ」と。
性善説が成り立つ世界、お互いが悪いことがするはずがないと分かっている世界であれば、たしかに鍵は不要です。しかし仮に、ここにたった数人の悪人、すなわち人のものを盗ろうとする人がいればどうなるか。その途端、私たち全員が鍵をかけて自衛しなければならなくなります。
その結果、全員が鍵をつけるという金銭的・労力的なコストがかかり、そして今まで気にすることなく行き来できていたものが、できなくなります。盗った人も最初は少し儲かるでしょうが、最終的には損をする。誰も得をしない世界です。
私の尊敬する方は、商売を取り扱う上で非常に大事な考え方は三方良しであると常々言っています。自分よし、相手よし、世間よしで商売をするから、応援され拡大していきます。これを一方よし、すなわち自分だけ儲かれば良いという考え方では、市場そのものが小さくなっていってしまいます。
失った信用を回復する
自ら事業をする上で、もし一方良しによって、あるいは一部の誰かによって失った信用を回復する手段はあるのでしょうか。
それは、企業が透明化し、無防備になり、消費者の苦情に真摯に取り組むしかないと言います。
信用を積み上げるのは時間がかかっても失うのは一瞬です。そして同じだけの信用を積み上げるには、これまで以上の努力と誠実さが必要です。だからこそ、常に誠実であり続けることが、長期的な目線で見て実は最も正道であるのでしょう。
終わりに
今回は、企業が自分の利益だけを考えるようになった結果起こっている、私たちの不信感と共有地の悲劇について説明しました。
それぞれの企業がどうするのかは私たちの管理下にはなく、できることは自分がどう自衛するかと、自分が他社に対してどういう人であるかです。常日頃から誰に対しても誠実である自分でいたいと思います。
本日も読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いできることを、楽しみにしています。
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