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私たち自身の不合理性を理解し、行動選択に活かす【書籍から学ぶ】

皆さんこんばんは、福田達也です。

これまで何度かの記事にわたって、私たちの選択の不合理性について、書籍を題材に紹介してきました。私たちは自分が思っている以上に合理的ではなく、様々な感情や衝動に突き動かされて行動を選択しています。

今回の記事では、これまでに紹介した私たちの不合理性を改めて振り返り、そこから何が得られるかを考えていきたいと思います。

不合理な私たち

相対的に物事を判断してしまう

私たちは相対的に物事を判断しているため、おとり価格などによって判断が影響を受ける。この相対性による影響を小さくするには、分不相応なものが目に入らないように輪を狭めたり、相場観を整えるよう輪を広げたりすることである。

最初の決断が将来の自分の決断に大きな影響を与える

私たちは過去に決断したことに対して、繰り返し従う傾向がある。この不合理な行動を改善するには、いまの自分の習慣に疑問を持ち、この習慣を続けるべきかを考えることだ。また、長い間同じ決断をしつづけそうな事については、最初の決断に身長になることだ。

無料であることを何よりも魅力的に感じる

私たちは、目に見えて何かを失う心配がない無料に対して強い魅力を感じる。しかし、それによって、ほかの活動へにかけるための時間や、よりよい選択を選ぶチャンスを失っていないか気をつける必要がある。

頼まれごとに報酬が発生するとやる気が無くなる

私たちはふたつの異なる世界――社会規範が優勢な世界と、市場規範が規則をつくる世界――に同時に生きている。社会規範は、友達同士の頼みごとのような、即座にお返しをする必要がない世界だ。一方、市場規範は賃金・価格といった支払った分に見合うものが手に入る世界だ。

私たちは、社会規範の頼みごとの方が熱心に取り組む傾向があるが、社会規範と市場規範が衝突すると、社会規範は長い間どこかへ消えてしまう。社会的な人間関係は、一度崩れるとそう簡単には修復できない。

対価にお金が絡むと利己的になる

私たちは無料で何かを貰う時には、その何かを共有資源としてとらえ、他の人を思いやれる社会的動物でいられる。しかし金銭的な対価を要求した時点で、より利己的になり、社会的に何が正しいのかを考えるのをやめてしまう。

興奮状態の意思決定の変化を予測できない

私たちは誰もが、興奮状態になると、平常状態の時とは大きく異なる意思決定をしてしまう。更には、この意思決定の変化による影響を大きく過小評価してしまい、正しく判断することができない。

そのため、万一の意思決定に備えて準備をしておくこと、興奮状態における感情の状態をなんとか経験し理解することで隔たりを埋めること、そしてたとえそこまでやったとしても不十分かもしれないことを認めることが重要だ。

長期の目標達成よりも目先の欲望を優先する

私たちの多くは先延ばしの問題、すなわち目先の満足とあとあとの満足にかかわる自制心の問題、を抱えている。

この先延ばしの問題に対する最善の策は、望ましい行動の道筋をあらかじめ決意表明する機会を作ることだ。この方法は、強制的な扱いほど効果はなくとも、わたしたちが正しい方向に進む道標になる。

自分の持っているものを過大評価する

私たちは自分たちが所有しているものを過大評価する癖がある。また、この所有意識という病を治す既知の方法はない。

この所有意識から少しでも逃れるためには、このような癖があることを認識することや、あえて自分と目的の品物の間にある程度の距離をおいて、できるだけ自分が非所有者であるかのように考えることが重要である。

選択肢を残し続けようとする

私たちはすべての選択の自由を残しておくように必死になる傾向がある。しかし、同時に私たちは、この選択肢を残すために機会や時間などほかの何かを手放している。

私たちは扉をあけておきたいという不合理な衝動を抱えていることを認めて、いくつかの扉を意図的に閉じることが必要だ。また、同じくらい魅力的なふたつの選択肢が残ったのなら、決断に時間を無駄に費やすべきではない。

同じものを見ていても意見が異なる

私たちは、予測の効果により過去の印象によってものの見方が影響を受けてしまうくせがあるため、同じものを見ていても解釈が違ってしまう。

この予測の効果に対処するためには「目隠し」条件をうまく使うことが重要だ。あるいは、私たちの観点が偏っていることを認め、この予測の影響を減らす努力をすること。

高価なものほどよく効くと思う

私たちの信念や予測は、感覚刺激に対する知覚や解釈のみならず、プラセボ効果により、客観的な経験さえ変化させる。

プラセボを働かせる予測は、信念と条件づけによって作られる。信念は、薬や治療や世話をしてくれる人に対する信頼や確信だ。条件づけは、体が何度も経験することで期待を高めていき、さまざまな化学物質を放出して私たちに先々の心構えをさせることだ。

企業の広告を信じることができない

私たちは、企業の広告が企業のためであることを理解しはじめた結果、私たちを騙そうとしている相手だけでなく、誰に対しても不信感をつのらせている。

この根底にあるのは「共有地の悲劇」だ。悪いプレイヤーが市場に数人いるだけで、他のすべての人にとっての信用がだいなしになってしまう。

この失った信用を回復するためには、適度な投資と方向づけ、企業であれば消費者の苦情に積極的に取り組むこと、が重要である。

正直な人たちが不正を犯す

多くの正直な人もチャンスがあればわずかなごまかしをしてしまう。さらには、一旦ごまかしをすると決めると、見つかる危険性があるかどうかは関係がない。また、どれだけチャンスが大きくとも、ごまかしの程度はそれほど変わらず小さなものである。

これを抑えるためには、宣誓などによって、誘惑にかられている瞬間に道徳心を呼び起こす仕組みを作ることだ。

現金でなくなったとたん不正をする

私たちは、お金を扱う時には不正がしにくいのに、現金から離れた途端やりやすくなる傾向がある。直接現金を扱わないようにするだけで、不正の割合はより高く、そしてより大胆になってしまう。

そして、この不正の問題は個人にとどまらず、ビジネス界全体の正直さの水準も下がっている。残念なことに、この不正に傾きがちな私たちの心に対して、それをコントロールする画期的な手段は今の所ない。

行動経済学を知り、自分に活かす

今回の記事にまとめたように、私たちは何かにつけて不合理な選択をする生きものです。しかもそれは、「予想通りに」と言われるほど、同じようなシチュエーションで同じように不合理です。

しかし、私たちの不合理性が予測可能であるというのは、逆に言えば事前に対処が可能であるということです。

いくつかの不合理な癖については、これまでの記事においても具体的な対応策を紹介してきました。対応策が無い癖についても、それを普段から自覚しておくことは、私たちの不合理性を抑える上でも非常に役に立ちます。

今回の記事が皆さんの選択をより良いものにするきっかけとなれば幸いです。

本日も読んでいただき、ありがとうございます。
また次の記事でお会いできることを、楽しみにしています。

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