パラサイトの感想。

この批評文は今期最も楽しかった「毎週見る映画をきめて、その感想をだらだら話す」みたいな授業の期末レポートとして提出したものだ。
いろいろ書きたいことを拾わないとという感じで書いたので結果小学生の作文みたいに散漫な文となったし、タイトルらしいタイトルを書けなかったのは批評文としてはてんでダメだなと思いながら、、けれども映画の批評文を書いた初めてのレポートだったし、この授業楽しかったしで、大事な思い出だと思ってこちらにも投稿することにした。

概要

パラサイトは 2019年のパルムドールをはじめとして、アカデミー賞作品賞など映画各賞を総なめした言わずと知れた話題作だ。監督のポンジュノは「グエムル」「殺人の追憶」「okuja」「スノーピアサー」など数々の話題作を手がけた監督の鬼才監督で、 パラサイト以前の近作2作はハリウッドで映画製作を行っており、良くも悪くも大きな規模の映画とならざるを得なかったのだが、今作パラサイトは原点回帰で、韓国のとある 2つの(あるいは3つのとも言えるが)家族に焦点を当てた小さな物語をコメディ的に、ホラー的に、そして社会的に映画作品を作り上げた、大変ポンジュノらしいである。


あらすじ

家賃の安い半地下に暮らす定職を持たない貧乏家族が、ひょんなきっかけから丘の上に暮らす金持ち家族の家に、家庭教師、美術の先生、ドライバー、家政婦として家族丸ごと入り込み、文字通り金持ちに寄生することで生きる様を描く物語だが、ともすればこの金持ち家族もまた、貧乏家族を使って生活を補いある意味で寄生しながら生きているとも読み取れる、というのがこの脚本の興味深い点である。


演出の抑揚 /テンポ と 前振り 

この映画では 、 社会の貧困や格差、韓国で深刻な受験格差、都市災害などの 社会 問題 が強く連想されるが、ポンジュノ作品がこういった社会的なテーマを扱いながら、数々のヒット作を作り上げる要因のひとつは、視聴者を退屈させないという気遣いを怠らないことではないだろうか。
おそらく演出に抑揚を意識的に作ることでそれをかなえているが、ここではその手法を「テンポ」と「前振り」に着目して書きたい。

まず、貧乏家族全員が寄生するまでのコメディ調の物語は映画前半で完了する。このテンポの良さは、観客をひきつけるために明らかに強く意識した点だと見受けられるが、特に面白い演出だと思ったのが、長女ギジョンが金持ち家族に初めて訪れるシーンだ。ここでは細やかな説明を省略して玄関の前に立つ長男ギウとギジョンが突然映し出される。インターホン押すギ ウを引き留めて、ギジョンが突然ラップ調?で個気味よく状況説明を行う。
とてもユーモラスな演出だが、この一節のラップでどういう設定で彼女がこの家庭に入り込むのか、彼との関係はどうか、など余計な説明を嫌味なく挿入し、物語に笑いとテンポを作り出す計算高い演出だ。

また、家政婦を入れ替える際に挿入された、 1節の音楽とともに流れるように映像を取る演出も効果的だった。これは半地下家族でピザを食べながら考えた「計画」を音楽に合わせて遂行する一部始終なのだが、演奏の(計画の)クライマックスで活躍するのがピザのケチャップというのもポンジュノらしいユーモアを感じるものだった。



テンポの良さだけでなく、緩急という点で言うと前振りの作り方もポンジュノらしいスリラー調の演出といっていいだろう。たとえば物語冒頭、家政婦が地下に梅ジュースを取りに行くシーンは作中後半で、そのさらに地下があるという驚きを作る前振りとしては十分すぎるほど効果的だったし、大雨のなか半地下家族で酒盛りするシーンもそれまでのテンポを考えると不気味なほど長いのだが、そこで鳴るインターホン。金持ち家族の帰宅を期待するが、しかし立っているのは元の家政婦。家政婦について地下室にいくとさらにその地下への扉が見つかり、さらに地下には住人がいて、と驚いている最中の電話、 そして 今度こそ金持ち家族の帰宅。というように、 1度クッションを挟むことで物語に緩急を作る手つきは作中何度か見られたが、どれも効果的だった。


社会格差を描く手法 /第3項目 ・ 図式 と構造

社会格差と戦う貧困家族を扱った映画は「万引き家族」をはじめとして近年の流行りともいえるが、ポンジュノの格差の描き方には大きな特徴がある。 それは、強者VS弱者という2項対立にさらにその下の階層を描くことで、 終わりのない 格差社会の根深さを映すという特徴だ。

これは過去作品の「母なる証明」でも用い られた手法で、母なる証明では警察や弁護士などの権力者VS知的障害らしき息子と母という構図に、
母すら持たない知的障害者という第3項を挿入し、弱者がより弱者を引きずり下ろす大変痛烈な印象を残す脚本であった。
本作でも第 3項として、屋敷地下の住人を登場させている。
また、本作は社会階層を建物の構造に落とし込むという手法で、地上・半地下・地下という 3項がより図式的に表現された脚本だといえる。ポンジュノはこの図式の獲得によって強固にフレーミングされた階層を唯一行き来できる主体として半地下家族を効果的に描いている。
これは 半地下家族への救いなどでは決してなく、一度は中流階級に上昇したものの、拭いきれない格差のメタファーとしての「匂い」をきっかけにして、半地下家族は元の階層、或いはその下の階層に舞い戻ってしまうというどこにも救いのない脚本だ。
「ここが一番居心地がいい」と上昇をあきらめた地下とは対照的に、
上に這い上がろうと努力するも経済的にチャンスに恵まれず這い上がれない半地下を最も不安定な階層として描いている


「母なる証明」では最弱者としてワンシーンだけダウン症の俳優を起用する大胆な演出によって、障害者差別という問題をダイレクトに物語にひきつける脚本だったのに対し、本作は南北問題の痕跡として地下(第 3項)を扱い、「(証拠の)メールの送信ボタンは北のミサイルだ」と弱者同士がいがみ合う様を韓国と北朝鮮の構図と重ねる演出は、なぜかやたらと英語を話したがる(アメリカを敬愛する)金持ち家族とあいまって大変皮肉なものだった。


上下移動の演出

地上・半地下・地下を行き来する家族が主役なわけだから、当然上下移動というのは物語において大変重要なモチーフである。
長男ギウが初めて豪邸に訪れる際も、傾斜地にたつ豪邸に坂道を上ってエントランスにたどり着くシーンで は、半地下と地上というだけでなく、立地自体の高低差もほのかににおわせていた。物語後半、大雨の中豪邸から半地下の家に逃げ帰るシーンで初めて豪邸と半地下の家の地理的関係が明らかになるのだが、階段をどこまでも下りながら、下るごとに貧しくなってゆく周囲のまちの空気を映し、半地下の家は浸水し下水まみれとなっている様は半地下と地上の差がいかに大きなものかを表現する大変印象深いシーンだった。
また、この雨によって上流階級は被害がないどころか、そんなことはつゆ知らず「PM2.5が少なくていい」と口走ってしまう。加えてこれ まで「匂い」に気づかなかった金持ち母ヨンギョも鼻をつまんでしまうなど、最も格差を意識する瞬間として描かれている。
水や雨というモチーフはポンジュノ作品では頻繁に登場しており「殺人の追憶」では雨のたびに事件が起こるなど、重要な場面に(不安感を表すというとやや無粋だが、)使用することが多い。
ここでは、大雨でキャンプが中止となり、半地下家族が逃げ帰った先で浸水騒ぎ、下水の「匂い」に気づく、という流れは何度見返しても雨というモチーフをどこまでも効果的に用いた計算高い脚本と言わざるを得ない。


印象的なディテール /トイレ ・ 窓 ・ 食事 ・ 匂い

金持ちの家のセットは正直物足りなさ・そっけなさ を感じたが、やはり半地下の 家のセットは大変美しかった(汚かった) 。 一番印象的なのが、水圧の影響?か家の中でトイレが一番高い所に鎮座しており、トイレだけ地上の Wi-fiが通じるという設定は、過剰なほど半地下の特性を色濃く表している。水害の際にはトイレに逃げこみ、吹き出す下水や今後の不安すべてにふたをしてタバコを吸うシーンは作中最も美しいシーンである。現実逃避の行動に儚さと美しさを映す演出「母なる証明」の「鍼」にも通ずるものがある。

半地下家族が酒盛りするシーンとその後金持ち家族が食事するシーンにおいて、 例えば半地下家族 は 高級と思われる酒とつまみをリビングで床に座りながら食べるのに対し 、地上家族は ジャージャーラーメンのようなジャンクフードをダイニングテーブルで行儀よく食べている。 このシーンにも生活の水準の差が色濃く表れている。
たびたび登場する「匂い」は拭えない格差 の象徴として登場するが、この匂いにいち早く気づくのが最も純粋無垢なダソンだというのも悲しい脚本である。 現にギウが家に着くや否や、インディアンの矢を放ったのち、 みんな同じ匂いがすると言い放っている 。
つまり収入による格差など本来意識するはずのない小さな子でさえ、この家族は自分とは違う「匂い」がすると言わしめてしまう状況への痛烈なメッセージだと受け取れる。


「 計画 」について /投げかけられたもの

本作では、しきりに「計画」をたてるも失敗する長男ギウと、「無計画こそ最高の計画」と述べる父ギテクが対象的に描かれた。エピローグではギウは偶像の石を川に返し、父を救う計画をたてる。妄想か現実か分からないラストで、ギテクが地下の階段を上ってパンのまま庭で再会し抱擁するシーンは大変美しかったが、この計画を宙吊りにすることもなく妄想であることをほぼ明らかにするカットを最後に刺し込むなど最後の最後まで救いのない脚本だ。
最後に無計画者として地下に住むことを受け入れるギテクと、計画者だが(おそらく)半地下から抜け出せないギウの対比を観客に投げかけている。監督自身も最後のとどめだと評すように、私はこれ以上ないほど重たく冷たいメッセージだと受け取った。


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