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「借りモノで彩られた我が人生」[幼少期編]

 あの小さなレンタルビデオCDショップに、いろんな思いを返却せずに今もずっと延滞している。

 自分で作った音楽以外は、その時その時の付箋のようなものだ。その付箋は今も変わらずはりつけられっぱなしだし、また現在進行形で新たにはりつけている。
 そんなわたしにとって映画も付箋のようなものだ。
 ある時から映画は、いろんなしがらみから逃れる娯楽であり、人間を学んだり、ファッションに憧れたり、まるで教科書や雑誌の代わりといったカルチャー教育の一環だった。

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 物心がついた頃には存在していたあの店。店名は[フォーラム]だったと思う。
 片側二車線の道路沿いに建つ小さなビルの1階。わたしの1番色濃い記憶を参照すれば、入ってすぐ左にレジがあり、そのまま左側がCDやカセットテープのレンタルコーナーで、右側が全てレンタルビデオコーナーだった。
 店内の広さは、、、、雑な説明をすれば平均的なTSUTAYA1階建の半分ぐらいか、、、、とにかく広すぎることもなく狭すぎることもなかった。

 歳のだいぶ離れた兄にひっついて行っていた幼少期。いつのまにか何でも1本好きなものを借りていい暗黙のルールができていたため、例え夜中であっても意気揚々と店について行った。
 初めのうちは、本当にただ素直に自分が観たいだけの映画を借りていたが、そのうちあることに気付かされた。「これ前に借りて観たやつやんけ!!何考えてんねん!!」観たいものは何度も観たいから借りて怒られたり、「お前選ぶもんおもんないんじゃ!なんかちゃんとおもろいもん借りろ!」と観終わった後に言われ、「えっ!えっ!そんなに!?」っと思い周りを見渡すとガッカリした家族の顔が見えた。
 その頃、我が家にはビデオデッキがリビングに1つあるだけなので、必然的に家族の何人かは巻き添いをくうのである。
 つまり、、、、おもしろくない映画を借りてしまうと、、、、その人その人の「約2時間を奪う」ことになってしまうのだ!!幼いわたしは学んだのだ。お金を払ってもらう場合は自分だけではなく、出資者や周りの人達も楽しめる映画を借りなければならないと。ましてや1度観たモノを借りるなど「不届き千万」なのであると。
 個人で楽しむ場合は自分でお金を払うか、金曜ロードショーや日曜洋画劇場で録画して、誰も家族がいない時間に楽しむしかない。

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 自分の観たいと思うだけの欲を断ち切り、その場にいるみんなが喜ぶ映画を選別する日々が始まった。だが失敗の繰り返しだった。

 1、「グレムリン」のギズモやグレムリンをペットとして買いたい欲求を抑えることが出来ず、何度も借りてしまった、、、、それもパート1とパート2を何度も往復する為に「クソ演技でごまかす」という特殊スキルを会得する。
 日曜洋画劇場で淀川さんがテレビ放送をしてくれたとき、わたしは嬉しくて嬉しくて、録画ボタンを押すとき震えていたのを覚えている。
 とにかくギズモとグレムリンに夢中だった。実際にチャイナタウンに行けば売っていると本気で信じていた。

 2、家族内でホラー映画ブームが到来した時期があり、とにかく恐そうな映画を選んだら「超ド級に恐い映画」を借りてしまい、家族にトラウマを与えたりしてしまった。ちなみにこの時のホラー映画ブームで借りたモノを、記憶を頼りにインターネットで探してみると、次の3作品を見つけだした!あれは幼い頃みた悪夢ではなく、実際に観た映画だったんだ!
 [ジャンク][八仙飯店之人肉饅頭][人喰族]、、、、真っ当な人間ならば2度と観たくないと思う作品を見事に3連単で的中させる引きの良さを発揮する幼き頃のカワイイわたし。

 そんな中、わたしはある法則に気づく、、、、ジャッキーチェンを借りておけば怒られないし嫌がられない。
 そしてジャッキーチェンはわたしに奇跡をもたらした。なんと、もう1本借りてもいいことになったのだ。
 計2本のビデオを借りてもいい特権を得たわたしは、1本は自分が観たい映画(観たことのある映画はダメ)を借りて、おもしろくなかった場合の保険にジャッキーチェンを1本借りておく!するとどうだ!観たい映画が滑りに滑りまくっても、彼がカンフーでなんとかしてくれるのだ!! ジャッキーチェンを用心棒にしたことがある奴は、後にも先にも幼き頃のわたしだけに違いない。

 幼少期、、、、「フォーラム」の思い出はこんな感じだったな。あいにくこの頃に観た映画で、いい映画に出逢ったことはほとんどなかったなぁ〜。今ほど情報はなかったし、ましてやわたしも幼かったのでパッケージで借りてばっかりだった。
 この頃のいい映画との出逢いは全て「金曜ロードショー」「日曜洋画劇場」で録画してた映画だったな。

 もうとっくの昔になくなってしまっているレンタルビデオCDショップ。建物自体はそのまま残ってはいるみたいだが、テナントは代わる代わるしているようだ。
 こうやって文章を書いてみようと思っていなければ、こんなホコリまみれになった記憶のビデオテープを再生することはなかったと思う。

 気が向いたら「フォーラム」の思い出、青春音楽編もしくは青春映画編も書いてみようかな。

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