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文体がない
今思えば浅はかすぎて恥ずかしいのだけれど、文体というのは毎日書いていればふわーっと出来るものだと思っていた。
たしかに、noteのようなエッセイに関してはある程度のくせや語彙のチョイスが良くも悪くも固まってきている。
例えば私は「もちろん~だけれど、~なのだ」とか「でも、~だと思う」みたいなのが知らず知らずのうちに大量発生していたりする。あとから読み直しては、だけどとでものオンパレードに「使いすぎでしょ!」と一人でツッコミを入れていたりする。
でも、本を読むとすぐにその人の書き方に影響されてしまうのも事実。村上春樹を読んで「―それは本当か嘘か分からないけれど」とかを急に使いたがってしまったり。影響をもろに受けすぎて、今こうして書いていても恥ずかしくなってしまうくらいだ。本当にすぐに影響されてしまうので、元々の自分の文体が定まっていないんだなあと思う。
それに、正直普段のキャラは「~なのだ」なんて全然言わないし、ですます調の方が性に合っている。心の中では勝手に自分の中で会話を繰り広げているので、話し言葉。
きっとこれ、文を書く場面でも色々変わってくる。noteでは今まで比較的固めだったけれど、就活ではですます調を貫いて人柄を表現しているし、小説だともっと癖が出ている気がする。
実は共通して言えることは、どれも全部あまり気に入っていないということ。なかなか悲しいけれど、これが現実。
村上春樹は文体に関して「人をまねたり、たくさん本を読んで触れたりして、自分の文体を作り上げていく」というようなことを書いていた。
確かに、noteで使うような範囲だと自覚的な真似じゃない。それに、「じゃああなた、ぶつぶつ言ってますけど結局どんな文体が良いんです?」と言われても実はあんまり思いつかない。そう、一言で言うと努力が足りていない。
選ぶ本には偏りもあるし、このゆるっとした気持ちにしゃんと向き合うためにも、食わず嫌いしないで色々読んでみようかな。
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