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学校を休む日

毎年、学校を半年に一日くらいのペースでお休みしていた。本当に熱が出ていた時は二年に一回くらいなので、四分の三くらいは、そう、さぼりだった。

朝起きた時に、「あ、今日かもな」と思う。熱は絶対にないけれど、いつもはあるはずの起き上がる気力がてんでない。頭が枕にくっついてしまっているんじゃないかというくらい。

いつもは目覚まし時計で必ず起きられる私がそんな様子だから、親は大体「どうしたの?体調が悪いの?」そして「休む?」と声をかける。「うーん、そうしようかな…」とかなんとか言って、私の一日の休みは確定する。
多分、親も熱がないことは気がついているのだけれど、一応普段はきちんと過ごしているからか、そういう時は妙に優しいのだ。

そしてその一日は、本当にだらしなく過ごす。熱はなくても風邪気味の時は病院に行ったり。寝転びながらスマホを見たり。ただただ寝たり。いずれにしても、普段動いている時間軸とは違うパラレルワールドにいるみたいな気持ちになる。時計を見ると「あ、今3時間目が始まるところ」「もう学校は終わりの時間か」などと思って、そこにいない私を想像してしまう。

このだらだらはたいてい夕方くらいで終わって、夜ごはんを食べてからは明日の通常モードに備えて身体が慣れ始める。これが一連のお休みの日の流れだ。

学校を休むと、後から色々面倒なのは確か。ノートを貸してもらったり、授業に自力で追いついたりしなきゃならない。
それでも、この一日の猶予はなんだか自分にとってすごく大きかった気がする。毎日のあわただしさについていけない、と小さな悲鳴をあげた自分に対して素直に時間を止めてあげていた。

どうしてこの話が急に思い出されたかというと、なんとなく今日がその日だった気がするからだ。
朝ももやもやと起き、課題をちょびっとこなせたと思ったら、その瞬間気力がしぼんだ。そんな自分を持て余して、本を読みながらうつらうつらしていたら夕方だった。

何度か目覚めた瞬間は「なにやってるんだまた」と自責の念に駆られたけれど、今日はその反省の気持ちさえも弱々しい。頭はしっかり重たい。じゃあもういいよ、好きなだけ眠りなさい。そんな風に思って、好きなだけ眠っていたところだった。

そして今、夕飯前にむくりと起き上がって、このnoteを書いている。夜からはちゃんとまた、現実に向き合う自分に徐々に戻っていかなきゃだから。

ちょっと最近は毎日にゆううつな気分だったけれど、今はまた前向きな気持ちになれている。
一日くらいの猶予も大事だね。明日からまた、日常の中を生きていくぞ。

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