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伝統も新興も関係なく

愛知でダラダラと年末年始を過ごしている。

きのうは奥さんの身内で集まり、岐阜の神社まで初詣に出かけた。2歳7ヶ月の娘は、歳の近い従兄妹たちと遊んでもらって終始ゴキゲンさん。

駐車場から神社まで、岐阜城の下町を15分程かけて歩く。トタン屋根ときれいな建て売りが、区画に沿って並んでいる。地方の風情というのか。わざとらしい文化より、勝手に染み付いた錆や廃れが好きだなぁ。

初詣もわりと新しい文化らしい。七五三も成人式も。お年玉の相場は高度成長を遂げたあとが基準なんだと。そうこう考えていると、好景気時代の受け売りがたくさん残ってそうですね。何に詣でるかも意識してないし。

宗教。これは寺の話になるけど、日本のメジャー仏教も、その昔は新興宗教だったんですって。(習ったはずだけど、忘れました。)

インドから離れて此の地に根づく必要から、お布施も写経も仏像(偶像崇拝)もOKになったんだとか。お布施や戒名料など宗教法人活動が非課税ってのも、どうも遠因あるようで。

メディアが衰退して、信じるものも変わるがわる移り変わる。石盤、経典、法、辞書、教科書、新聞、テレビ、インターネッツやらなんやら。

最近話題になったフォロワーを増やす広告会社も、新興宗教なんじゃないか、と思ったり。これで広告を語るのは違うけど、ある範囲で熱狂的な人たちがクリエイティブごっこをしてるの。いけすかない。

フォロワー数=信仰の強さ?話題性=成果?話題に飛びつく人たちにとってしたら、それで信心足り得る結果になっているかもね。事実として、ある人の、ある世界を変えてるのかもね。批判はできても否定はできない。

けど、消費者にとってはただ消費されるだけ、クリエイターなる人の自己満足じゃない?と思って、どうも個人的には興味が向かない。これで広告を語られてもね。

伝統も新興も関係なく、人肌の触れる場所。身の丈でゆっくり向き合えるもの。消費されないものは退屈かもしれないけど、そんなものの傍にいたいな。

ダラダラしていて、ダラダラした文章になってしまった(笑)新たな年、何を信じましょうかね。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。